常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

三日月

2021年10月10日 | 万葉集
秋の夕日を追うように三日月が山の端に沈んで行く。この景色を見るたび、その美しさに感動する。その度に写真に挑戦したが、自分の持っているカメラではうまく撮ることができなかった。新しくしたスマホのカメラがその姿を捉えてくれた。しみじみと日本の夕焼けと三日月に見とれてしまった。

月立ちてただ三日月の眉根掻き
 日長く恋ひし君に逢へるかも 阪上郎女
振り放けて三日月見れば一目見し
 人の眉引き思ほゆるかも   大伴家持 (万葉集巻6・994)

月見の宴はすでに万葉の時代に行われている。眉のような月は、今の我々にとって違和感のない表現だ。月を愛でる気持ちに時の差はない。この歌は、家持16歳のとき、初めて郎女の家を訪れ、歌会を催したとき三日月を詠題としたものだ。相聞ではなく、月を愛でながら男女の遊び心が歌に出ている。郎女の歌は「月が替わってほんの三日目の月のような細い眉を掻きながら、長らく待ちこがれていたあなたにとうとうお逢いできました」と詠んだのに対し、家持は「遠く振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の眉根がおもわれてなりません」と詠んだ。こんな風に、秋の三日月を楽しんだ万葉人の場に、立ち会っているような今宵の月だ。もうすっかり姿を消して、星明りの夜になった。
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小さな命

2021年10月10日 | 日記
散歩道の庭の片隅、切り詰められた桜の枝に花芽が出て、小春日和に花を咲かせた。わが家のベランダでは、秋口に芽をだしたアサガオが、少しのびて、こちらも季節外れの花を咲かせた。小さな花に命の神秘を感じる。どんな季節であれ、花は結実して、次の世代へ命をつなごうとするけなげな努力をしている。

今日、10月10日は命の日。胎児がこの期間、母の胎内で成長して、出産の時を迎える。これに因んで、「命に感謝する日」に制定されているらしい。毎年、医療関係者や救命救急士協会が式典を行っている。そんな式典も、遠い存在だが、身近に咲く返り花を見て、いのちの大切さに思いを馳せたい。

「人生は短い。わずかな時しか生きられないというよりも、そのわずかな時のあいだにも、わたしたちは人生を楽しむ時をほとんどもたないからだ。」(ルソー『エミール』)

ルソーの言葉を、命の日にしっかりと嚙みしめたい。
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