秋の夕日を追うように三日月が山の端に沈んで行く。この景色を見るたび、その美しさに感動する。その度に写真に挑戦したが、自分の持っているカメラではうまく撮ることができなかった。新しくしたスマホのカメラがその姿を捉えてくれた。しみじみと日本の夕焼けと三日月に見とれてしまった。
月立ちてただ三日月の眉根掻き
日長く恋ひし君に逢へるかも 阪上郎女
振り放けて三日月見れば一目見し
人の眉引き思ほゆるかも 大伴家持 (万葉集巻6・994)
月見の宴はすでに万葉の時代に行われている。眉のような月は、今の我々にとって違和感のない表現だ。月を愛でる気持ちに時の差はない。この歌は、家持16歳のとき、初めて郎女の家を訪れ、歌会を催したとき三日月を詠題としたものだ。相聞ではなく、月を愛でながら男女の遊び心が歌に出ている。郎女の歌は「月が替わってほんの三日目の月のような細い眉を掻きながら、長らく待ちこがれていたあなたにとうとうお逢いできました」と詠んだのに対し、家持は「遠く振り仰いで三日月を見ると、一目見たあの人の眉根がおもわれてなりません」と詠んだ。こんな風に、秋の三日月を楽しんだ万葉人の場に、立ち会っているような今宵の月だ。もうすっかり姿を消して、星明りの夜になった。