夕ぐれの散歩で菊の花を撮った。あまり使わないフラッシュを焚いて、ヒナギクの白い花を愛でることができた。漢詩の世界では、菊は秋の詠題として好まれる。白居易に『菊花』がある。その後半に
寒に耐うるは東籬の菊のみありて
金粟の花は開いて暁更に清し
と霜が下りて、花や植物の枯れていく季節に、咲く菊の花への賛辞を惜しまない。東籬の菊を詠んだのは、陶淵明が隠居した地でのことはよく知られている。白居易が44歳で左遷されて江洲に流された処こそ、淵明が住んだ地であった。菊は雑草の繁る荒地にあっても、勢いのない雑草を圧するように、過ぎていく秋に咲き誇る。
卒業式に歌われるのは「蛍の光り」だが、蛍雪の功の中国の故事が歌のもとになっている。東晋の車胤は油が買えずランプがないので、蛍のわずかな灯りで、また孫康は窓の雪あかりで書物を読んだという伝説がある。北宋の魏野という詩人は、この蛍雪の向こうを張って「白菊」をたよりに書を読んだ隠者である。
濃霧繁霜着けども無きに似
幾多の庭除を照らす
何ぞ須いん更に蛍と雪を待つを
便ち好し叢辺夜書を読まん
しかし、暮れていく白菊を見た限りでは、ここで書を開くのは難しいような気がした。詩人が言わんとするのは、白菊の夕べの輝きは蛍や、窓べの雪に劣るものではないことを強調したのであろう。