常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

関山街道 寒風山

2021年10月20日 | 登山
関山街道は東北の交通の要衝であった。東根の関山から宮城の作並を経て仙台に至る峠越えは古い歴史を持っているが、万治2年(1659)街道に番所を設けた。その目的は、飢饉などのおり、米などの食料の他国への流出を止めるためと伝えられている。明治2年に横浜と仙台をつなぐ海の航路ができ、物資の峠越えの必要が増えてくると、寒風山と面白山の間の650ⅿの峠越えに急峻な部分に隧道を掘削して高度を下げ安定した道路の建設計画が持ち上がった。関山トンネルが開通したのは明治15年のことである。この計画を推進したのは、土木県令として名高い三島通庸であった。

明治26年8月6日、仙台から作並温泉の岩松旅館に泊まり、関山街道を通り開鑿された関山トンネルを経て東根へ入った俳人がいる。芭蕉の句に入れ込み、「奥の細道」の旅を試みた正岡子規である。この日作並から羽州街道へ出て、楯岡に至って投宿した。

雲にぬれて関山越せば袖涼し 子規
寒風山への登山口は、現在の関山トンネルの宮城県側の出口数㍍のところ。ここから沢筋の道をジグザグに辿り、尾根へと向かって行く。関山トンネルの上を通る登山道は次第に高度を上げ、国道が遥か下にある。かっての峯越えに思いを馳せ、子規の足跡を思いながら歴史の道をふり返るのには格好の道である。列島を背骨のように走る奥羽山脈を横断することがいかなることであったか。自分の脚で歩いてみて実感できる。切れ落ちる沢を這うように付けらてたトラバースの道は細く、一歩踏み外すと滑落の危険がある。900m地点からは、面白山や大東岳の山容が山地の深さを語っている。ジグザグの道を終え、最初のピークがコブノ背(995m)。登山口からここまで1時間半である。そこを下ると次のピークアオノ背へ行く鞍部に出る。冷たい風が吹き抜ける。この山の名はここを吹く風のよっているのかと推測したくなる。
すでに紅葉はこの近くまで下りてきている。登山口から2時間30分、寒風山の頂上に着く。今回の参加者9名、内男性3名。風の冷たい頂上を避けて、直下の藪を背にした道の広場で昼食。ここから白髭山までさらに厳しい登山道が続くが、今日の歩きはここまで。次第に雲が厚くなり、雨が来る様子なので、来た道を返してそのまま下山する。
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