常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

頭殿山

2021年10月02日 | 登山
頭殿山とは山の名としては珍しい。しかし考えて見れば、湯殿山など有名な山の名ともどこか共通点がある。殿とは立派な建造物を意味するが、山をそうしたものの例えだとすると、その群を抜いた存在という意味であろうか。この朝日連峰の前山としては、周囲ではづ抜けた存在である。大井沢に湯殿山神社があることにも注目したい。置賜から大井沢を経て、朝日鉱泉へ続く道智道という道が存在していた。白鷹町の黒鴨から茎の峯峠を経て、木川、山毛欅峠、古寺、地蔵峠から根子、大井沢と山深い道をつないでいた。巨額の費用を投じて作ろうとして廃道になったスーパー林道が、この道に一部かぶさる。湯殿山は女人禁制であったため、置賜地区の女性は、大井沢の神社まで入って遥拝所としての機能も持っていた。

頭殿山(1206m)へは本来の登山口は前記の黒鴨にある。湯殿山信仰とこの登山道は一部重なっている。それだけに、山登りということは、古来の日本人の信仰の一端に触れることでもある。今回の山行では、黒鴨登山口へのアクセスが閉鎖されているため、朝日鉱泉口からの登山ということになった。杉林からブナの林を通る道は、トラバースの歩き難い道である。沢が縦横に巡らせていて、足を踏み外すと危険な箇所がたくさんある。ブナカノカや山ブドウなど秋の味覚も出始めていた。台風一過の青空が広がる爽やかな秋晴れだ。足元の草や灌木には、昨日の雨のあとが残っている。登山口から休憩を入れながら2時間半、見晴らしのきく頂上に出る。後方に懐かしい朝日連峰の山々、山形の市街地を見おろすように蔵王をはじめ奥羽山脈が繋がっている。
10時半で頂上。たっぷりと時間をとって昼食。頭殿山で出会えるのは大きなブナの巨木。年輪を重ね、幹には苔を背負い、別種の小さな植物の温床にもなっている。少し歩くと、成長期の若々しいブナの木々。こちらには、木の生命力が漲り、他の樹に負けまいとする闘争心が見てとれる。山にきて、木の息吹を感じられるのが好きだ。ヘルマンヘッセの一文。
「樹は私にとって、もっとも痛切な説教者だった。彼等が民衆や家族のような生活をして森や林をなしている時、私は樹を尊敬する。そして彼等が単独で立っている時、私はなお一層彼らを敬う。そういう彼らは孤独な人間を思わせる。どうかした弱さから人知れず世を逃れた隠遁者ではなく、ベートーヴェンやニイチェのような偉大な孤立した人々を思わせる。」(『ヴァンデルンク』)

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