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今回の山行は、参加者を2グループに分け、いでは記念館から階段をへて神社本堂から羽黒古道へ歩く班と羽黒古道から階段に至る班の交差縦走とした。各班は5名づつ、三山神社の本堂前が待ち合わせ場所である。私は階段からのコースを取る。国宝になっている五重塔あたりで、杉の古木が圧倒的な存在感を示している。羽黒山に来るのはもう20年も前で、階段を歩いてからは40年も経過している。今回と合わせて3回目である。古い記憶を辿って見ると、辺りの景観はさほど変わっていない気がする。
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2446段の階段は、普通の山登りとは違った筋肉を使う。2の坂から3の坂にかけて、見上げると果てのない長さを感じる。同行したメンバーも、石段を一つづつ、根気よく登って行く。土曜日であったが一般の参拝客は多くはない。途中にある古びた神社と杉の古木が階段の両脇を固めている。
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途中、九州から自転車で日本一周をする青年にあった。聞けば先月九州を出てほぼひと月で北海道を巡り、今日山形へ着いたということである。これから半月をかけて九州に戻っていくとのことである。宿はとらず野宿しながの旅。北海道の夜は寒かったという。記念写真を一枚撮らせてもらう。九州でお笑い芸人をやっています、と教えてくれた。青年には自分の足で巡る日本の景色はどのように見えているだろうか。階段を走りながら駆け上がって行った。
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羽黒山の山中には、「おくの細道」の旅で、ここを訪れた松尾芭蕉の足跡がある。芭蕉がこの山中で会覚阿闍利の頼まれて三山巡礼の句を短冊にしたためた。偶然のことではあるが、この短冊を山形美術館が印刷したものが手元にある。何かの講演の時買ったものだ。短冊には
涼風やほの三か月の羽黒山 桃青
の句が芭蕉の真筆で鮮やかに書かれている。また南谷の本房では、このとき俳諧を興行。芭蕉は次の句を詠んだ。
有難や雪をからす南谷
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羽黒山の山頂の鏡池の傍らに蜂子神社がある。蜂子皇子は崇徳天皇の第三子で、天皇が蘇我馬子に暗殺されたとき聖徳太子の勧めで流浪の旅に出、海路を北上、由良の八乙女で乙女の吹く笛の音に誘われて上陸し、ここから羽黒の山中に入ったと伝えられている。蜂子皇子の風貌は画像に残されているが、その怪異さに驚かされる。皇子が修行を積むうち、災いを良く除く術を身につけ能除仙と呼ばれるようになった。人々の苦悩を一身で引き受けたため容貌がどんどん怪異になっていったと言われている。
この日の歩行距離5.1キロ、歩行時間3時間30分。古道で山菜、コシアブラ、ワラビ、ウルイを家づとにする。晴天、気温は暑からず寒からず。楽しい山行の一日であった。