常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

羽黒山

2015年05月09日 | 登山


今回の山行は、参加者を2グループに分け、いでは記念館から階段をへて神社本堂から羽黒古道へ歩く班と羽黒古道から階段に至る班の交差縦走とした。各班は5名づつ、三山神社の本堂前が待ち合わせ場所である。私は階段からのコースを取る。国宝になっている五重塔あたりで、杉の古木が圧倒的な存在感を示している。羽黒山に来るのはもう20年も前で、階段を歩いてからは40年も経過している。今回と合わせて3回目である。古い記憶を辿って見ると、辺りの景観はさほど変わっていない気がする。



2446段の階段は、普通の山登りとは違った筋肉を使う。2の坂から3の坂にかけて、見上げると果てのない長さを感じる。同行したメンバーも、石段を一つづつ、根気よく登って行く。土曜日であったが一般の参拝客は多くはない。途中にある古びた神社と杉の古木が階段の両脇を固めている。



途中、九州から自転車で日本一周をする青年にあった。聞けば先月九州を出てほぼひと月で北海道を巡り、今日山形へ着いたということである。これから半月をかけて九州に戻っていくとのことである。宿はとらず野宿しながの旅。北海道の夜は寒かったという。記念写真を一枚撮らせてもらう。九州でお笑い芸人をやっています、と教えてくれた。青年には自分の足で巡る日本の景色はどのように見えているだろうか。階段を走りながら駆け上がって行った。



羽黒山の山中には、「おくの細道」の旅で、ここを訪れた松尾芭蕉の足跡がある。芭蕉がこの山中で会覚阿闍利の頼まれて三山巡礼の句を短冊にしたためた。偶然のことではあるが、この短冊を山形美術館が印刷したものが手元にある。何かの講演の時買ったものだ。短冊には

涼風やほの三か月の羽黒山 桃青

の句が芭蕉の真筆で鮮やかに書かれている。また南谷の本房では、このとき俳諧を興行。芭蕉は次の句を詠んだ。

有難や雪をからす南谷



羽黒山の山頂の鏡池の傍らに蜂子神社がある。蜂子皇子は崇徳天皇の第三子で、天皇が蘇我馬子に暗殺されたとき聖徳太子の勧めで流浪の旅に出、海路を北上、由良の八乙女で乙女の吹く笛の音に誘われて上陸し、ここから羽黒の山中に入ったと伝えられている。蜂子皇子の風貌は画像に残されているが、その怪異さに驚かされる。皇子が修行を積むうち、災いを良く除く術を身につけ能除仙と呼ばれるようになった。人々の苦悩を一身で引き受けたため容貌がどんどん怪異になっていったと言われている。

この日の歩行距離5.1キロ、歩行時間3時間30分。古道で山菜、コシアブラ、ワラビ、ウルイを家づとにする。晴天、気温は暑からず寒からず。楽しい山行の一日であった。

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牡丹

2015年05月08日 | 


落語家の三遊亭円朝の作った話に、『怪談牡丹灯篭』いうのがある。この怪談に出てくる女主人公お露は、女中を連れていた。盆の十三日の宵の口のことゆえ、女中は灯篭を下げていた。灯篭はそのころ流行っていたちりめん作りのもので、牡丹の花がつけてあった。丁度、新三郎が蚊遣りを焚いて、団扇を片手に冴え渡る月を眺めていた。

カラコンカラコンと下駄の音がする方を見ると、女中の後から十七八と思われる娘が、髪は文金の高髷に結い、着物は秋草色染めの振袖に、緋縮緬の長襦袢に繻子の帯をしどけなく締め、上方風の塗柄の団扇を持って、ぱたりぱたりと通って行った

かつてみそめたお露の姿であるが、この時お露はこの世のものではなく、新幡随院の通りの新墓に眠っていた。幽霊になったお露は死んだことは認めず、私と新三郎の間を諦めさせようとする方便だと強弁する。だが、新幡随院の墓の前に行って見ると、牡丹の花の灯篭が雨ざらしになって手向けてある。その灯篭は、お露が新三郎に会いにくるとき、女中に持たせていた灯篭に違いがなかった。そのために新三郎は、お露が幽霊であることを知るのである。
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ズッキーニの芽だし

2015年05月07日 | 農作業


今年は気温が高く、野菜の苗は生長も早いが、乾燥で畑への水遣りが欠かせない。野菜の種は蒔いてもなかなか芽が出ない。そこで考えたのは、ベランダでの芽だしである。1週間ほど前に蒔いたズッキーニの種は写真のように元気に芽を出した。畑では苗を植える畝作り同時進行させる。天気の様子と苗の生長を見ながら、定植の時期を待っている。

現在畑ではエンドウ豆の花が咲き、里芋の苗、キャベツの苗、ネギの苗を植えつけた。この2週間で少しの雨が一度あっただけで、畑は土埃が立っている。しばらくは朝の水遣りが欠かせない。藤の花が咲いたし、霜の心配もなさそうだから、定番の野菜苗と種まきが、この一週間の仕事になる。



裏の庭ではケマン草が満開だ。
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立夏

2015年05月06日 | 日記


『古今和歌集』の夏歌は、わずかに34首を数えるのみある。春歌が134首収められているから、その少なさが際立っている。その夏歌のうちホトトギスを詠んだものが、28首あるから、夏を象徴するものは古今集では、ホトトギスにつきる言っても過言ではない。次の歌は夏歌の冒頭にある歌であるが、読人しらずとなっているが、詞書に「この歌ある人いはくかきのもとの人まろがなり」とある。果たして真偽のほどはどうであろうか。池の上に垂れれる藤。花は藤波とも言われる。池に立つ波と呼応する。

わがやどの池の藤波咲きにけり山郭公いつかきなかむ 読人しらず

そう言えば去年ホトトギスの鳴き声を聞いたのは、初夏の小柴山であった。鳴き声で鳥の名を聞き分けることはあまり経験がないので自信がないが、買った野鳥図鑑の付録にある鳥の声のCDで何度も確認したので間違いないように思う。ウグイスとヒヨドリ、梟はあまりに聞きなれているので問題ないが、このごろ鳥の鳴き声を聞くと、つい何鳥か気になって空を見上げる。



目を下に落とすと、三寸アヤメが可愛く咲いている。立夏は数えきれない種類の花とともにやってきたが、熱中症の心配と畑の水不足ばかりが頭をよぎる。

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百花繚乱

2015年05月05日 | 日記


近所を散策すると、次々に花が咲き乱れている。まさに百花繚乱である。牡丹もツツジもそしてライラックも、例年なら少しづつ花期をづらして咲いてくれるが、今年はそういった配慮はなく、同時に咲いている。北国では、幾種類もの果実の花が同時に咲くいて、そんな状態を見ると違和感を感じたものだが、今年の庭の花はそういう感じで咲いている。白ツツジの大きな花は、いつもより心なし瑞々しく感じる。

白つつじ妻の愁ひは触れ難し 安住 敦



ライラックの薄い紫の花も見逃せない。そっと近づくと、上品な香水のような香がする。北海道ではライラック祭りなどで、この花が主役であるが、スズランと並んで北国の代表選手のような花だ。この花の咲く木陰で恋人たちが、甘い語らいをするのは、西洋的でロマンチックな想像をかりたてる。

地と水の出会ひけぶらすライラック 北村 仁子
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