常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2017年05月29日 | 日記


尾花沢の親戚の持ち山にワラビ採りに誘われ行ってきた。ここはつい20年ほど前まで、養蚕の餌にする桑畑であった。長く放置されていたが、桑を除き、整地するとみごとな蕗の畑になったという。その後にワラビが出てきた。山なども伐採したあとに、先ず出てくるのはワラビだ。これに限って方言のようなものはなく、全国どこでも通用する。(らしいと書くべきか。調査したわけではないので)万葉の時代から、日本の山野に自生し、食用にされてきた。ものの本によると、延喜式の文書にワラビを塩蔵したことが記されているという。

石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になるにけるかも 万葉集巻8・1418 志貴皇子

志貴皇子は天智天皇の子であり、天武天皇の系統が幅をきかす時代に、不遇の生涯を送った。歌は天武天皇の子である長皇子が奈良に佐紀宮を造営した祝の宴会で奉じられた、喜びとお祝い表わすものである。蕨は早春のものように詠まれているが、こちらでは初夏のものである。

久しぶりに妻と遠出して、尾花沢の山中に入る。山は一面タニウツギの花盛りであった。この花が咲くころには、ワラビが最盛期を迎えると言われる。収穫したワラビは、延喜式のように塩漬けにして、そのあと日に晒して乾燥させる。こうして昔も、今もこの時期にしか採れない貴重な食糧を、次の年の収穫期まで食べ続ける。

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