山に自生する藤に先駆けて、公園の藤棚の花咲きだした。藤は桜とならんで、日本人が古くから愛した花である。古事記には、藤にまつわる話が出てくる。新羅から渡来した美しい乙女、伊豆志袁登女をめぐって、男たちの求愛がくり広げられた。その中の一人、春山之霞壮夫という青年がいたが、彼の母親が、息子のために衣装と弓矢の揃えを、すべて藤の木でしつらえた。息子をかの乙女にあわせたところ、衣服や弓矢から藤の花が一斉に咲きだした。その花のあまりの見事さに乙女は心が動かされ、この青年と恋に落ち、やがて結ばれた。
この逸話から想像できるが、麻のように、藤蔓から繊維を取り出し、衣服の素材として用いられた。衣や麻の糸が普及してくると、藤で作った着物は、仕事着の役割を果たしたのでないかと、ものの本には書いてある。藤の花の美しさは、女性の心を動かす力があったことから、古代では霊力を持つ木として尊重された。
恋しけば形見にせむとわが屋戸に植ゑし藤波いま咲きにけり 万葉集巻8 山部赤人
藤波は女性のふくよかな黒髪を連想させる。その黒髪の持ち主とは縁が切れてしまったが、この季節になって咲き、その面影を偲ばせる。赤人の余情に富んだ歌である。