常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

黒伏山

2021年09月11日 | 登山
今週の山は黒伏山(1227m)である。嘆いていた長雨がようやく晴れた日、4年前にアクシデントで撤退した山へのリベンジである。写真では切れ落ちた山が見えているが、視点をかえればこの壁面は比高300m、巾1.5㌔の大岩壁が見えるはずだ。東北最大の岩場で、ロッククライムのメッカでもある。さらに視点をひくと、南北に二峰が重なるように聳えている。南の山端が90°に切れ落ちた山が、今回登る黒伏山、観音寺黒伏山と呼ばれ北は沢渡黒伏山(1100m)。かつて麓に黒伏神社を持ち、修験道の行者の修行の場であった。今もこの山に登るのは、上級の沢や岩の技術を身に着けた登山者しか近寄れない山である。船形山を山形では御所山と呼んでいるが、黒伏山は仙台カゴ、最上カゴ、柴倉山と五つの山を行者が巡礼したのでこう呼ばれるとの説がある。

我々が歩いたコースは、野川を渡渉する大平コースである。山裾を巻いて沢筋の石やらや雑木林を抜ける長いだらだら道を分岐まで、コースタイムで1時間40分。その先はブナ林を抜けて尾根への急登、尾根の道は傾斜の比較的ゆるい道が山頂に続く。ここもコースタイムで1時間30分。先月の朝日縦走にもなかったような急な山道だ。但し距離は短い。出した脚に重心を移動させながら練習通りに登ると、さほどの疲労感もなくほぼコースタイムで頂上に着く。頂上のあたりがガスって、雑木林が幻想的に見える。頂上には灌木に被われて見晴らしはない。

昭和3年黒伏山は大きな山火事があった。頂上の灌木帯も大火に焼かれ、かなり広く草原化し、灌木も進入できない時期が五十以上続いた。今見られる頂上の風景は、山火事以前の佇まいを取り戻したようである。一匹の猿が山道の中央で、一行を睨みつけるような形相で道を塞いでいた。近づいても動こうとしない。Sさんが「ごめんなあ。道を通らせて!ごめん」とやさしく声をかけると、猿はふいと身をひるがえしてもりなかに消えた。本日の参加者11名。内男性3名。病が癒えて久しぶりに山を歩きに来た人、5日後に奥穂に挑む人、純粋に山を楽しむ人。山に来る人の動機はそれぞれだ。コロナでなかなか趣味の集いも遠ざかっている現状では、山で思い切って体力を使うことは楽しい。

頂上で昼食。狭い場所を占領し尽くすような形のなかに、ソロの男性が2人、違ったコースから登ってきた。本日行き会ったたった二人の人である。我々は登った道をそのまま下る。急な道は、下りでも登り以上に筋肉を使う。ロープにつかまり、灌木にすがり、転倒に注意を払って慎重に下る。坂の多い分岐まで所要1時間。その先は長く、悪路を交えた帰路である。3時30分無事に渡渉を終わって駐車場に着く。帰宅5時。

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2021年09月10日 | 日記
長雨に終止符が打たれて、やっと青空が見えた。萩の花も雨の重みを脱して、風にゆらゆらと気持ちよさそうに吹かれている。『枕草子』に萩の花が取り上げられているが、秋の花のなかでも、その露にぬれた重たげな花の様子に言及している。

「すこし日たけぬれば、萩などいと重げなるに、露の落つるに枝のうち動きて、人も手ふれぬに、ふとかみざまへあがりたるも、いみじうをかし」(第67段)

朝露にぬれた萩の枝がその重さに垂れているが、日があがり露が落ちて乾いてくると、人が手も触れないのに、ぽんと花ごと枝を跳ね上げる。まるで、動画を見るような感覚で萩を愛でている。たおやかな萩の花は、平安の時代、女性の象徴として歌に詠まれてきた。添えられるのは、雌を求めてなく鹿の声であった。秋の花を愛でるにも、皆が了解する約束事があった
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七つ滝

2021年09月08日 | 登山
鶴岡市田麦俣の多層民家で有名な集落の奥にある名瀑、七つ滝。崖状の岩を流れる滝を七筋とみたのか、この滝壺では、湯殿山神社に参拝する行者が身を清めるために滝に打たれた。庄内と内陸を結ぶ、六十里越街道は1200年前に開かれたと伝えられている。近代の鉄道ができるまで庄内と内陸を結ぶ交通は、主に最上川を利用する水路が利用されてきた。六十里越街道は、湯殿山、月山などの山岳信仰に利用されてきたことが大きい。

この日、山の会は湯殿山神社の参籠所の裏の土手を沢へ下り、増水気味の川を渡渉し六十里越街道を田麦俣へ向かった。往時の道型を残す古道には間もなく笹小屋跡の看板がある。その脇の方に古びた石碑が立ち並んでいる。この笹小屋は木食行者がこもった小屋である。木食とは五穀を断ち、木の実や草のみを食べて修行する。石碑には行者名と参籠日数が彫られていた。行者は智明海など海を号とする人が殆どだ。参籠日数は様々だが、9千日、5千日、2千日などとあったようだ。5千日は13年と7か月、かくも長い修行生活である。かくて、即身成仏を遂げた行者は多い。六十里越街道には、この山麓に住む人の安寧を祈って厳しい修行を続けた行者たちの跡が、かすかに残っている。

語られぬ湯殿にぬらす袂かな 芭蕉

『おくの細道』で湯殿山を訪れた芭蕉が残した句だ。なぜ語られないのか。湯殿のご神体である岩が、女陰の形をし、湧き出る湯はその部分を洗っているように見える。参籠所から本宮へ50mほど登ると、むき出しになった岩頭がある。品倉山の一部であるが、剣神社とされその向いには仙人沢があり、御神滝と呼ばれ、男女和合の姿とされる。人々は古来、この山を恋の山と呼び、縁結び、家内繁盛などを実現する神として信仰してきたのである。
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棚田の秋

2021年09月07日 | 日記
棚田の稲穂も垂れてきた。こんな風景を見るたびに懐かしい思いがする。生まれた処に棚田があったわけではない。山から流れてくる水を利用して田を作るというのは、稲づくりの始まりと言える。稲の原点をたどれば、インド東北部とそこに隣接する雲南地方の高地という説がある。高地で生まれ水陸に生育した稲は、そこから水田へと広がっていった。棚田は遠い稲作の歴史を語る、今に残る風景だ。誰もがこの風景に懐かしさを感じるのは、そこに命が育まれてきた記憶が身体に刻み込まれている故ではないだろうか。

暑すぎる夏が、一気に肌寒い季節を迎えた。今日は二十四節季の白露。夜露が降り、白く輝くように見える頃である。確かに朝の散歩で草むらに行くと、露にぬれている。スニーカーが濡れないかと気になるが、まだそれを厭うまではいかない。鴻雁来る、と記され冬の渡り鳥やってくる季節である。稲刈りのニュースが出てきた。棚田の稲刈りには今少し時間がありそうだが、そろそろ秋本番である。

稲みのりゆっくり曇る山の国 広瀬直人

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センニンソウ

2021年09月05日 | 日記
花の名にあまり興味がなかった。無数にある花の名を覚えたところで意味があるのか。どうせそのうちに忘れてしまうだろう、くらいの気であった。ブログを書くようになって、散策しながら写真をとることが多くなり、名前を知りたくなった。花を書くブログを拝見しても自由に花を名を書かれていて羨ましくもある。花の辞典や、グーグルカメラで検索する機会も増えた。しかし、一度検索してもしばらく経つとやはり忘れてしまう。花の通にはなれそうもない。

散歩をしながら、珍しい花にあったとき、どうしても名を知りたい花がある。昨年、公園で見たマロニエ。歌にまで歌われている花であったことを知ることは感動である。つい先日見かけた風蝶草、クレオメも衝撃的であった。北海道に住む方から、当地でもクレオメが咲いたことを知らせてくれた。花の名を媒介にして、メールでお話できる機会も生まれる。

昨日見たセンニンソウも名を知りたくなった花である。グーグルレンズでは何と、センニンソウ。実をつけると、仙人のような長い髭を垂らすらしい。テッセンの仲間でクレマチスともいう。トケイソウやカザグルマも仲間だから、それほど珍しくないのかも知れない。但し、センニンソウの花期は8月から9月で、野山に自生しているという。こうして、つい忘れてしまう花の名を身につけることは、自らの心の生活を豊かにするような気がする。

窓に咲いたダーリア。
窓から入って来る蝶。
私の眺めている雲、高い雲。 (三好達治「測量船」)

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