今年の登り初めは、福島の花塚山である。この稜線は、川俣町と飯館村の境界線なっている。頂上からは、遥かに富士山が見える。奥の遠い山並みに、ポツンと見える三角点がそれであるといおうが、目視で確認された実感はない。先月、孫の住む流山から見えた富士山と比べるとあまりにも遠く、小さい。川俣町は、今般野球殿堂入りした作曲家、小関祐而のゆかりの地としても名高い。また、2011年の東日本震災では、原発の放射能汚染が広がり、近辺を除染した汚染土が、今なお、黒いビニール袋に詰められて麓に積まれている。
自分にとって、山道を踏むことは、生活が日常に復したことの証しでもある。栗子のトンネルをこえて福島に入れば、灰色の雪の地域から、山地に雪の見えない地から、青空の広がる地域へと入ることになる。この日も、県境の高速道に雪が降っていたが、栗子のトンネルの先は、一転穏やかな陽気の長閑な空気に包まれる。登山口はかって整備された花塚の里と名付けられた子どもたちを遊ばせる公園だが、遊具も使われなくなって錆に冒されている。放鹿神社という由緒ある鳥居と神社が鎮座しているところから登山道となる。
階段状に整備され山道を行くと、やがて奇岩が目の前に出て来る。修験道の行者が、岩を巡った修験の道であることが分かる。岩は花崗岩で、そのユニークな形は、見る者の目を驚かす。烏帽子岩、行者戻し岩、鎮護岩などその形かろ名付けられた岩が次々と現れる。この山はかって女人禁制の山で、女性が神社の上に入ることを厳しく禁じていた。
雪はない山と思ってきたが、標高700mを過ぎた辺りから、落葉の上に数㌢の雪が積もっている。落ち葉の上の雪は、滑りやすい。カンジキ、アイゼン不要とのアナウンスがったが、数日前からの天候で或はと、簡易アイゼンを持参したことが正解だった。頂上から北峰への分岐には、胎内くぐり、護摩壇岩など修験の奇岩がこれでもかと存在感を示す。護摩壇ではかの慈覚大師が37日間の行を行った場所との伝説がある。岩の間に白い岩つつじの花が可憐に咲く。
うえもなきみのりの花の岩つつじ
護摩たく跡の幣とぞ見む
北方から堅岩コースを下る。急な坂を下って行くと、モアイ像を思わせる堅岩が見えてくる。その大きさは、坂を下る人と比べて初めてわかる。震災の大きな揺れにも耐えた岩。自然の神秘さを余すところなく語っている。
この下の山道は、泥がこんな季節でも乾くことなくぬかるんでいる。山頂への道も結構急だが、このぬかるみの道は急で、足元が危ない。その先には長い登りがあって、ようようの思いで、花塚の里への下りにたどり着く。正月の運動不足が足にくる。距離は5㌔ほど、歩数も1万と少しだが、久しぶりの山歩きで、足が疲れる。本日の参加者9名、内男性4名。