常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

花塚山

2023年01月19日 | 登山
今年の登り初めは、福島の花塚山である。この稜線は、川俣町と飯館村の境界線なっている。頂上からは、遥かに富士山が見える。奥の遠い山並みに、ポツンと見える三角点がそれであるといおうが、目視で確認された実感はない。先月、孫の住む流山から見えた富士山と比べるとあまりにも遠く、小さい。川俣町は、今般野球殿堂入りした作曲家、小関祐而のゆかりの地としても名高い。また、2011年の東日本震災では、原発の放射能汚染が広がり、近辺を除染した汚染土が、今なお、黒いビニール袋に詰められて麓に積まれている。

自分にとって、山道を踏むことは、生活が日常に復したことの証しでもある。栗子のトンネルをこえて福島に入れば、灰色の雪の地域から、山地に雪の見えない地から、青空の広がる地域へと入ることになる。この日も、県境の高速道に雪が降っていたが、栗子のトンネルの先は、一転穏やかな陽気の長閑な空気に包まれる。登山口はかって整備された花塚の里と名付けられた子どもたちを遊ばせる公園だが、遊具も使われなくなって錆に冒されている。放鹿神社という由緒ある鳥居と神社が鎮座しているところから登山道となる。

階段状に整備され山道を行くと、やがて奇岩が目の前に出て来る。修験道の行者が、岩を巡った修験の道であることが分かる。岩は花崗岩で、そのユニークな形は、見る者の目を驚かす。烏帽子岩、行者戻し岩、鎮護岩などその形かろ名付けられた岩が次々と現れる。この山はかって女人禁制の山で、女性が神社の上に入ることを厳しく禁じていた。
雪はない山と思ってきたが、標高700mを過ぎた辺りから、落葉の上に数㌢の雪が積もっている。落ち葉の上の雪は、滑りやすい。カンジキ、アイゼン不要とのアナウンスがったが、数日前からの天候で或はと、簡易アイゼンを持参したことが正解だった。頂上から北峰への分岐には、胎内くぐり、護摩壇岩など修験の奇岩がこれでもかと存在感を示す。護摩壇ではかの慈覚大師が37日間の行を行った場所との伝説がある。岩の間に白い岩つつじの花が可憐に咲く。

うえもなきみのりの花の岩つつじ
    護摩たく跡の幣とぞ見む

北方から堅岩コースを下る。急な坂を下って行くと、モアイ像を思わせる堅岩が見えてくる。その大きさは、坂を下る人と比べて初めてわかる。震災の大きな揺れにも耐えた岩。自然の神秘さを余すところなく語っている。
この下の山道は、泥がこんな季節でも乾くことなくぬかるんでいる。山頂への道も結構急だが、このぬかるみの道は急で、足元が危ない。その先には長い登りがあって、ようようの思いで、花塚の里への下りにたどり着く。正月の運動不足が足にくる。距離は5㌔ほど、歩数も1万と少しだが、久しぶりの山歩きで、足が疲れる。本日の参加者9名、内男性4名。
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塩麹

2023年01月16日 | グルメ
麹には古い歴史がある。紀元前から用いられたもので、中国から伝えられたと言われている。和食に欠かせない、味噌、醤油、酒は麹を使って初めてできる。麹のよさは、古くから語り伝えられている。米を蒸し、麹菌を加えると、菌糸をのばして生育する。こうしてできるのが、米麹だ。この時、麹菌は酵素を生産する。多種類の酵素を生産するが、そのなかで大きな働きをするのが、澱粉を分解するアミラーゼ、たんぱく質を分解するプロテアーゼという酵素だ。アミラーゼは澱粉を分解して糖を作り、プロテアーゼはたんぱく質を分解してアミノ酸を作り出す。食物の甘みや独特のうま味のもとがこの酵素の働きで生成される。

麹がおいしいというのは、すでに体験済みである。塩麴をまぶしてつけおいた鶏の胸肉はやわらかく、これを食べる度に感動する。高価な米沢牛や三元豚の肉に負けないおいしさだ。今日、格安の素材、エノキ茸のタラコ合えを試してみた。市販のエノキ1パック。タラコ1/2腹、塩麹小匙1。エノキは食べやすい大きさに切り、タラコ一腹を皮から出し塩麴小匙1杯を混ぜておく。エノキはフンワリと皿に盛り、ラップし 電子レンジ1分加熱。エノキが温かいうちに調理済みのタラコをかけ、まぶす。食べてみて、びっくりするような美味しさだ。コストパフォーマンスがよく、食べておいしいのであれば、さらにバリエーションを広げてこれからの食生活を豊かなものにしていきたい。
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一名山の視点

2023年01月15日 | 登山
新しい年、今年も山行が始まった。高齢になってこれからの登山はどうあるべきか、色々考えている。山友会の仲間に、「日本百名山を完登しました」という人もいた。計画がああるままに、どこの山でもという今までの姿勢ではいけない、と思っている。ブックオフで『わたしの一名山』という本を見つけた。石井スポーツが、「とっておきの山大賞」というものを創設し、その記念に「あなたのとっておきの山について綴ってみなせんか」と文章の投稿を呼びかけた。店の予想を超えて、応募は300編に達した。そのうちの選ばれた41編が本書になった。

この本を参考に、身近な山を掘り下げ、その山の四季、植生、歴史を知り尽くし、その山の主のような存在になること、そんな山との関りもあるかなと思えた。戦中戦後、厳しい時代に80歳まで山に登り続けた父を持つ娘の秋山康子さん。父の思い出を確認するために登った根子岳の記録がある。「三六〇度の山頂の展望を見渡していると、ふと「天国ってこういう所ではないか」と思えた。うっとりと美しい景色だった。ポッカリと雲が浮かんでいる。その雲を見ていたら、つぎはぎだらけの登山服の父と、日傘をさし紺の縞模様の着物を着た母の姿が、私のまわりを飛び回っているように思えた。」

夏が来る山また山の奥処より 飯田龍太

これからの山の会では、会員の安全のみを考え、その残りの時間で山の四季、季節の移ろい、そしてその山の素晴らしさを心眼に焼きつける。そんな作業が自分に与えられた課題であるような気がする。

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濃霧

2023年01月13日 | 日記
霧が深い朝だ。歩くと霧に包まれているような感覚で、寒さもさほど感じられない。視界が狭く、車の量も少ない感じだ。陽が登ると、霧は晴れてくると思っていたが、10時近くなってさらに濃度が深くなる感じだ。空気が乾燥しているせいか、消防車の出動の音が聞こえる。霧につつまれると、心も閉ざされたようで、憂鬱感も生まれてくる。ただ、そんな感情も一時のこと、高齢となって憂いに閉ざされるナイーブな心はすでにない。漱石の句に

春待つや云へらく無事はこれ貴人 漱石

禅に興味を持った漱石は、臨済禅師の言葉に共感を覚えたかも知れない。「求心歇処、即ち無事」。他に求めたり、内に求めることを捨て去った境地が無事ということのようだ。『吾輩は猫である』の苦沙弥先生は、ずぼらで懐手して座布団から腰をあげず「無事是貴人」と言う姿を、膝の猫からからかわれている。漱石の禅の境地も、さほど深いものでもなかったか。

一月十四日、今朝大雪。葡萄棚堕ちぬ。 国木田独歩

明治30年1月。国木田独歩は25歳、妻と別れ、東京市街渋谷村の住まいへ独り移った。武蔵野の自然は美しく、そこで独り、自由に暮らす生活に喜びを見出した。今、渋谷の自然は失われてしまったが、列島に大雪をもたらす自然の活動は続いている。この正月を無事に過ごしているのも、自然のふるまいに身をまかせている故であろうか。
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寒の朝

2023年01月12日 | 日記
小寒に入って3日目、朝の気温は2℃。最高気温は8℃ほどになるらしい。3月なみの気温という。外に出ても、寒気は少なく、風が頬に当たって気持ちいい。ほぼ、暮並みの3000歩ほどを歩いた。空にはくっきりと、月齢18.7の月が中空に見えた。月の入りは11時頃だ。満月から5日目、月は30%ほど欠けた。最近、朝の目覚めがスッキリしている。ヘルスケアの睡眠挑戦が、結果を出しつつある。夜中の目覚めがなくなったことが大きい。熟睡時間にはやや問題があるが、入眠してから、朝の目覚めまでひと眠りというのがいい。快眠の朝のラジオ体操と30分ほどの朝散歩。このルーティンはしっかりと続けたい。

鏡餅わけても西の遥かかな 飯田龍太

昨日は鏡開きの日であった。厳寒や床の間に鏡元餅を飾る風習とお別れしてから随分の年数が経つ。妻の実家では、義母の晩年まで鏡餅を、家中の置いていたが、これも見なくなって5年になる。飯田龍太は笛吹市の境川村に住んでいた。床の間の大きな鏡餅と、自宅から西に見える3000m級の赤石山系の山々が、鏡餅のように白く輝いていた。山と神、そんな自然のなかの暮らしであった。西へは日が沈み、仏の住む国もある。鏡餅の風習に別れてしまった我が家には、神仏は遠い存在になっている。

ツクヨミ神というのがある。天照大神、スサノウ命と兄弟で三鬼神と言われている。月の満欠けを読み、海をおさめる神として、農業守護神とした古来多くの信仰を集めてきた。月山神社はこのツクヨミ神を祀る神社として名高い。太陽の神として有名なアマテラスと仲が悪いことで知られるが、古事記にこんな逸話がある。アマテラスの命でツクヨミは、保食神であるオオウケノミコトを訪ねた。歓迎したオオウケは、口から飯、魚、獣肉を出してもてなした。これを見たツクヨミは、「不潔なことする」と怒り、剣を抜いてオオウケを切り殺した。これを聞いたアマテラスが激怒し、ツクヨミには二度と会わないことにした。そのために、アマテラスは太陽を、ツクヨミは月や海を治める神となった。
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