9月9日は、「重陽の節句」。
ミモロは、「上賀茂神社」で行われる珍しい神事「烏相撲」に出かけました。

神社の資料によると…
「初代の天皇である神武天皇が東に進まれるとき、上賀茂神社のご祭神のおじいさま賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が八咫烏となって先導した」という伝説と、稲の不作をもたらす悪霊退治の信仰行事である相撲に由来する神事なのだそう。
ミモロが神社に到着したとき、ちょうど、宮司様や神職の方々、そして烏相撲を仕切る方々、またまわし姿の子どもたちが、神事へと向かうところでした。


やや緊張の面持ちの子どもたち…氏子町の小学1年生から6年生の児童です。

まずは、お浄めをしてから、本殿へと進みます。


この神事は、平安時代、斎王がご覧になったそう。斎王制度が絶えてから、800年ほど途絶えていたところ、平成3年から、斎王代がご覧になる形で復活しました。
ミモロたち観客は、土俵が造られた細殿前で待機。

本殿での神事が終了後、再び、宮司様、斎王代、そして子どもたちが本殿より出て、細殿前へと進みます。


宮司様と斎王代が細殿に着座。「いよいよ子供たちのお相撲始まるのかな?」と土俵を見つめます。


ここから、「烏相撲」の神事がスタート。土俵の左右に分かれて座った10人ずつ子どもたち。細殿に向かい、左を祢宜方(べねぎかた)、右を祝方(ほうりだい)と呼びます。
そこから、まずは、それぞれの方の神職が、自分の方が勝つように、土俵に地取りという神事を行います。
それから、相撲を取る子どもたちの名前を聞こえないほど小さな声で読み上げ、その名簿を斎王代に奉納します。
それから、烏帽子と白張姿の刀称という人が、それぞれ東と西から登場し、立砂に向かい、弓矢、太刀を立てかけると、今度は、ピョンピョンと3回横飛びをします。さらに座布団に座り、扇をあおりながら、「オウーオウー」「コウーコウー」とカラスのように鳴きます。これは、祢宜方、祝方が交互に行います。

「大相撲でも、弓取りや太刀持ちいるけど、これが原型なのかも…。やっぱりお相撲って神事なんだ~」と、今やスポーツ化している大相撲に残る神事の形を思い浮かべます。
その後、子供たちは立砂のまわりを3周。

そこから相撲の取り組みが始まりました。


やがてすべての取り組みは無事に終了。平安時代から続く伝統の「烏相撲」の神事は納められました。

この日は、その後、重陽の節句の「菊酒」のふるまわれます。


神事の前後には、「熱中症にご注意くださ~い」というアナウンスが流れるほど、暑い「重陽の節句」でした。
*また、子どもたちの写真は、インターネットに載せないようにとのことなので、後ろ姿だけ、相撲の様子がお伝えできませんでした、あしからず…

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