京都の北西に位置する小高い山・・・「船岡山」。ここは平安京が定められたとき、風水に基づき、都を守護する「北」の玄武の小山と崇められた場所。
もともとの平城京は、現在の「京都御所」の位置より西に内裏を築きました。内裏の北に位置するのが、この「船岡山」で、その南に都のメインストリート朱雀大路が通っていたのです。

「お詣りしよう…」とミモロは、神社がある船岡山に上ります。


山に向かって石段が続きます。そばにもっとなだらかな石段もありますが・・・。

石段を上がった山の中腹には、「稲荷命婦元宮」の社が。


また、そのそばには、「義照稲荷神社」という奈良時代、このエリアに住んだ帰化人秦氏の守護神で、西陣の守護神でもあります。



この山の中腹には、山が大きな岩盤であることを示す岩が露出した部分が見られます。
標高112m、山の周囲1300mの小山は、約3億年前の古生代の海底だった地層が隆起したもの。


昔と言っても、日本列島ができる時代のお話です。
ミモロ、本殿に行きますよ~。岩に上り始めたミモロ…そこから行くのは無理・・・「あ、そう…」
都を守る山として、そのパワーは強く、京都のパワースポットのひとつです。


まずは、御祓いをして、本殿に参拝します。

拝殿、本殿、そして本殿前の神門の建物は、平成20年に国の登録有形文化財に指定されました。

さて、「建勲神社」に織田信長公が祀られたのは、応仁の乱などで、戦火にまみれた京の都。多くの町衆が家を焼かれ、世情不安な時代を過ごすことに。その後、信長が天下統一を果たし、京都の町に平和が訪れます。
ここ「船岡山」は、桓武天皇が平安京を造営したように、平和な都を守護する場所。信長の功績に、秀吉の時代に、正親町天皇の勅許を得て、信長の霊地となったのが、神社のルーツと言われます。明治時代に明治天皇により、別格官幣社に列せられました。そして明治43年にそれまで山腹にあった社殿を移転し、現在の山頂に社殿を構えることに。

山頂からは、大文字の如意ヶ岳、そして比叡山を望みます。

都、そして国の平安を願う山なのです。
参拝をしたミモロ・・・「気を付けて降りなくちゃ~」再び急な石段を慎重に後ろ向きで降りてゆきます。

*「建勲神社」の詳しい情報はホームページで

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