ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

山科区、御陵にある「天智天皇御陵」。うっそうとした森に抱かれた、静寂の御陵

2017-05-10 | 歴史・史跡

地下鉄東西線の「御陵駅」に、ある日、ミモロは降り立ちました。「御陵駅」という名前からもわかるように、ここには天智天皇の御陵があります。駅からトコトコ歩くと、御陵への入口に至ります。
「ここだ~」ミモロの前には、うっそうとした森が…その奥へと石畳の道が続いています。
  

この日は、小雨・・・ミモロのほかに人(ネコ)の姿はありません。
 
天智天皇は、第38代天皇。在位する前は、中大兄皇子の名で知られ、蹴鞠を通じ親しくなった中臣鎌足と共に、当時、大きな力を持っていた蘇我入鹿を討つ、「大化の改新」を起こしたことで教科書に登場しています。

「大化の改新」の時期、朝鮮半島では、新羅、百済、高句麗の間の情勢に緊張が高まっていました。倭の国(日本)と遣唐使の交流などで、友好関係をもつ中国大陸の唐は、これまた倭の国と深いつながりのある百済への攻撃も計画、倭の国は、外交上微妙な立場に置かれます。この時、倭の国は、百済と連合し、唐と新羅軍との海戦に望みますが、大敗。これが「白村江の戦い」の大敗です。

唐の勢いは収まらず、倭の国への侵攻の危機が高まります。天智天皇は、唐との友好関係の樹立に奔走。新たに遣唐使を派遣。その後も友好関係のため、遣唐使を送り続けます。

「なんか今の日本の危機感に通じるものがある感じ~」と思うミモロです。

この時期、朝鮮半島から多くの人が、日本に渡り、その後の日本の文化や町づくりに大きな役割を果たすことに・・・。

天智天皇は、国の防御を強化。九州などに城を築き、防人を配備します。
667年、当時都があった難波から、内陸部の近江へと、天智天皇は、都を移し、さらに防衛体制を強めることに。

「琵琶湖のそばって安全ってこと?」とミモロ。う~今は、どうかわからなけど、昔は、海から攻められることを心配して、移ったのかなぁ~。「まぁ、空から攻め込まれる危険はなかったものね~」とミモロ。

今よりも、情報が伝わらない時代において、国を守る危機感は、どんなだったことでしょう。

671年に天智天皇が近江で急死すると、その息子、大友皇子と、弟の大海人皇子の間で、「壬申の乱」が起こり、勝利した大海人皇子が、天武天皇として即位します。
「おじさんと甥っ子の戦いだよね~」とミモロ。歴史上、本当に多いのは、親族間の戦い。

天武天皇は、唐ではなく、朝鮮半島の新羅との関係を深め、遣唐使も中止し、新羅からの使節を迎えます。
唐の勢力に、新羅と組んで国防を保とうと考えたとも。

天武天皇の没後は、持統天皇が国を納め、倭の国は、日本へと国名も変わり、強固な国家体制を築きます。
それから後、関係が悪化していた唐との国交も回復。遣唐使の派遣も再開されます。

時代を経て、唐が滅び、中国もほかの国に勢力を及ぼす余裕がなくなり、日本は、ひとまず侵攻の危機から救われることに。それから日本は、鎖国体制を長い間とることで、江戸の幕末、アメリカから黒船が来るまで、他国からの侵攻にあまり気を使わなくて済む、いわば平和な時代を送ります。

「へぇー天智天皇の時代って、大変だったんだね~」と、改めて思うミモロでした。

さて話を、御陵に戻しましょ。

大阪難波から滋賀の近江に都を移した天智天皇。昔は、人口が少なかったのか、桓武天皇が平安京を作るまで、歴代の天皇は遷都を何度も行っています。

ここ近江大津宮に遷都したものの、わずか5年で、天智天皇は、病気に倒れ、その後、「壬申の乱」が起きて、天武天皇は、その後、都を奈良、飛鳥へと移します。
「天智天皇って何歳で亡くなったの?」とミモロ。年表によると46歳みたい~。[若かったんだ~」とミモロ。

天智天皇にとって、近江(滋賀)は、言うなれば、生まれ育った奈良を離れた場所。「もしかしたら、奈良、恋しかったかもね~」と、小雨が煙る道を歩きながら思うミモロです。



足元には、雨で濡れた石畳。それには、苔も生しています。
滑らないように一歩一歩注意しながら進むミモロ。

キ~と突然、大きな音・・・ミモロは、ビックリし、足を止めて上を見上げます。
 
ミモロをすっぽり包み込むように茂る木々。「あ、野鳥だ~」。そう、姿ははっきり見えませんが、野鳥が飛び去る気配が。

ミモロは、さらに奥に進みます。
「ここが御陵なんだ~」

見事に掃き清められた白砂の向こうに、御陵の門が見えます。


誰もいない…そこには静寂だけがミモロを包みます。
ミモロは、しばらく切り株の上に立ち、じっと御陵を見つめていました。


日本史では、「大化の改新」を行った天皇として、華々しく登場する天智天皇。その御陵が、京都の山科にあることは、意外に知られていないのでは?「奈良のイメージ強いよね~」


天智天皇の娘は、後の持統天皇。弟である大海人皇子(後の天武天皇)へ、13歳の時に嫁ぎます。
「天武天皇のもとに、天智天皇は、4人の娘を嫁がせてるんだって~。なんか、すごく不思議~」と、今の感覚では計り知れないことが、その時代には、いろいろあるのです。

天智天皇の死後、皇位は、弟の天武天皇の血筋がしばらく続きますが、聖武天皇の娘、孝謙天皇(称徳天皇)の没後、天智天皇の孫にあたる光仁天皇が第49代に即位し、再び、天智天皇系の血筋が皇位を継ぐことになります。平安京を作った桓武天皇は、天智天皇のひ孫になります。

わずか5年で消えた近江大津宮。「きっと建設途中だったんじゃないの~もっと長生きしたら、歴史変わってたかもね~」と思うミモロです。


さざなみや志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの山桜かな  平忠度(たいらのただのり)
ミモロが訪れたのは、4月上旬、御陵の森には、ひっそりと山桜が咲いていました。

まだ止まぬ小雨の中を、ミモロは、また御陵の森の中を歩きます。


*「天智天皇御陵」京都市山科区御陵 8:30~17:00 地下鉄東西線「御陵駅」徒歩5分




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