「あれ~ミモロちゃんのスタイル…高松塚古墳の壁画の女子の姿だったのね~」とお友達。
「え~やっとわかったの?」そう、ミモロは、奈良に来るために、飛鳥時代スタイルを用意していたのでした。
今回の奈良のツアーは、奈良に詳しい方々が集う「奈良まほろばソムリエの会」主宰のもの。それぞれの場所で、いろいろなお話が伺えました。
「高松塚古墳」は、昭和47年から始まった調査により、石槨(せっかく)内部に壁画が発見されました。それは、壁面に四神の図、男女の群像、天井に星宿図が描かれたもの。すでに盗掘された石槨ですが、鏡や錺金具なども発掘されました。
発見後、壁画は、国宝に指定され、保存上、公開はされないので、古墳のそばに「壁画館」を造り、そこに模写した壁画や模型などが展示されることになりました。ミモロが訪れたのもその「壁画館」です。
「ホント、ミモロちゃん、そっくり…」いつもミモロの着物を作ってくださるミニ着物作家の赤塚先生の作品です。
そして、その布は、「高松塚古墳の壁画」を見て、友禅作家の黒田庄七郎先生が染めてくださった正絹の生地を使っています。
「また、ミモロちゃん、すごい衣装もってるんだ~」と、お友達はビックリ。「まぁね~。みなさんにお世話になったの~嬉しい…」とミモロ。
スカートのような裳と裾にフリルが付いたような上着…この時代の女性たちのファッショナブルな装いです。
「でも、奈良時代のこのスタイルと平安時代の十二単って、すごい違いあるじゃない?なんか不思議~」といつも思うミモロです。
さて、「高松塚古墳」は、誰の古墳なのでしょう?いろいろな説があるようですが、文武天皇とも…でも、そばには、「文武天皇陵」とする御陵があります。
また、そばで発掘が進んでいる中尾山古墳こそ、文武天皇陵ではないかとも…。
「う~つまり古墳って、まだまだよくわからないんだ~」ということかも…。
「ロマンを感じるね~」と、明日香村の景色を眺めながら思うミモロです。
誰の古墳の石室だったのかわからない大きな石…その形から、「鬼のまな板」「鬼のせっちん」と呼ばれるものも。
「え~どなたかの石室を、鬼のトイレって呼ぶの失礼じゃない…?」と思うミモロ。「まぁ、形がそう想像させるけど…」と。
さらに「猿石」と呼ばれる不思議な石像が…。
もともと、欽明天皇陵の南の水田から掘り出され、その後「吉備姫王墓」前に移されたものだそう。
「すごくユニークなお顔…ホントはなんのために作られたんだろ?」と首をかしげるミモロです。
そして古墳巡りのツアーの最後に訪れたのは、「岩屋山古墳」です。
古墳時代末期の方墳で、石室が開いているので、自由に中に入ることができます。
「ここも誰の古墳かわからないんだって…」と。
古墳の多くが盗掘にあい、そのため手掛かりとなる資料が失われているケースが多いのです。また、天皇陵であるため、研究調査は困難なのです。
「キトラ古墳」は、7~8世紀初頭に造られたと言われます。
「その時代って、もう仏教伝来や小野妹子が遣隋使になってた時代でしょ。それより後に古墳作られていたって、なんか不思議な気がする…、古墳って、もっともっと昔のものだと思ってた~」とミモロ。
「古墳めぐり」をいろいろ解説してくださった「奈良まほろばソムリエの会」の方々。
奈良愛にあふれたみなさんです。いろいろありがとうございました。
「古墳というのは、まだまだ分からないことだらけです。でもそれを少しずつ解明してゆくのは、興味深いもの…」と。
なんでも、今回案内してくださった「キトラ古墳」「高松塚古墳」や、「天武・持統天皇陵」は、「藤原宮」の朱雀大路に通じるラインの上に並んでいるそう。それをもっと北に進むと、なんと京都山科の「天智天皇陵」に通じるそう。
「偶然とは思えないことが、いろいろあるんですよ~」と。
「奈良って、不思議がいっぱいだね~」と、秋の田を眺めながら思うミモロです。
そう、だから何度も訪れたくなる魅力にあふれているのでしょう。
「また、いつか来ようね~」とミモロ。
秋は、実りの季節…稲穂の輝く田んぼの畔では、栗も…
「たくさん歩いたから、お腹空いちゃった~」とミモロ。さぁ、そろそろ京都に戻りましょう。
近鉄飛鳥駅から再び、丹波橋を経て、京都に戻ったミモロです。
*奈良に精通したベテランガイドと巡る日帰り旅は、「奈良まほろばソムリエの会」でチェックしてください。魅力的な奈良に出会えます。
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