ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

坂の脇の奥まった場所の開発が進む清水エリア。茶室のある日本庭園や福招きの「百福くぐり」など

2013-08-16 | 京都

夕方、久しぶりに清水寺へと向かったミモロ。円山公園から、高台寺の前の「ねねの道」、産寧坂、二年坂をへて、清水寺へと続く清水坂のコースは、石畳の道で、京都情緒があふれる人気の散策コース。どの道沿いにも、おみやげ物を扱うお店や、甘味店などが軒を連ね、常に、多くの観光客で賑わっています。
「ここを歩くと、京都にいるって感じがする…」。京都に暮らすミモロが、新鮮な観光客気分を取り戻す場所です。

高台寺では、夏に「百鬼夜行」展という幽霊や妖怪などの絵画を展示する企画が開催中。(「百鬼夜行」展:高台寺で、8月31日まで、9:00~18:00)
「ねねの道」沿いは、今年もそのプロモーションのため、妖怪の提灯が飾られています。

「怖いけど、なんかカワイイ…」
ミモロがトコトコと石畳の道を歩いていると、「写真撮っていいですか?」と英語で話しかけられました。チェコのプラハからの観光客です。

今年の夏、京都の町には、日本人観光客より、外国人の姿が目立ちます。お盆の日本は、観光地より帰省する人が多いためでしょう。この猛暑をものともせず、自転車などで観光地を回る海外からのゲストたち。「さすが、基礎体力が違うのかなー」と、暑さにまいっているミモロには、驚きです。スケジュールの都合上、どんな気候であっても予定変更がむずかしいのでしょうけど…。

さて、ミモロは、夕暮れ時の産寧坂へ。
「夕方だと空いてる…」
みやげ物の店が続く中に、古い大きな門が。脇には青龍苑という木札が。

ここは、かつて料亭「阪口」があった場所で、平成12年から、再開発されて、お庭が公開。その敷地には、「イノダコーヒー」「井筒八ッ橋本舗」「京つけもの西利」など京都を代表するお店が並んでいます。

そもそも昔からこの辺りは、北の政所の甥で桃山歌人である木下勝俊の隠棲した場所で、近世に至るまで、芸術、文芸など文化的な雰囲気が漂っていたところです。竹下夢二も、以前、この辺りに住んでいた時期があります。

「この奥に、こんな庭園があるって、知らなかったー。お店ばかりだと思ってたー」と。ミモロは、何度もこの道を通っていますが、この門をくぐったことがありませんでした。中に入ると…

そこには、山の斜面を巧みに使った日本庭園が広がり、草庵形式の茶室が3軒建っています。
「きっと紅葉のときは、キレイだろうなぁー。また、その頃来よう…」
いつもメインの通りだけを歩いていたミモロ…「こういう脇に入ると、まだまだ知らないところがたくさんあるのかも…」と。
庭を見学した後は、その敷地内にある「イノダコーヒー」(営業時間9:00~17:00ごろ)へ。

「ちょうどコーヒー買おうと思ってたんだー」と、店を代表する味の「アラビアの真珠」を購入しました。

そこから二年坂をあがり、清水坂へ。普段は、修学旅行生でいっぱいの道も、さすがこの時期は、まだゆっくり歩くことができます。「あれ、ここの奥なんだろ?」と、今回ミモロは、脇道に興味を…。
木のトンネルのような路地が奥へと続きます。「へぇーこんな広い場所が奥にあったんだー」

ここは、「普門庵」という和菓子屋さん。

お福さんの顔をイメージしたパッケージの「百福饅頭」などが並ぶ、お土産店舗とお茶やわらび餅などが味わえる茶寮の建物があります。

ミモロが、興味を抱いたのは、「百福くぐり」。

お福さんの顔の形をした石の中を通ると、願い事が叶うと、木札に…。もちろんさっそくくぐります。

「清水坂の両脇って、すごく眺めがいい場所なんだー」と、そこからの見える町の景色に見惚れます。
眼下には、茶碗坂に並ぶ町家の屋根が連なる姿が…。表通りとは、全く異なった静かな京都の景色が広がっています。それは、いままでミモロがあまり気に留めなかった景色。
ますます清水坂の脇歩きに、興味を抱くミモロです。



人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。夕方のお散歩が楽しみなミモロより
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都のお盆。「東大谷万灯会」と千日分のご利益がある清水寺の「千日詣り」、そして特別拝観へ

2013-08-15 | 京都

京都の町のお寺では、お盆の時期、ご先祖様をお迎えする万灯会(まんとうえ)が、いろいろなところで催されています。
ミモロは、昼間の暑さを避けて、夕方から、東山周辺のお寺をめぐることに…。
まず、立ち寄ったのは、円山公園のそばにある「大谷祖廟」での「東大谷万灯会」です。

「大谷祖廟」、通称「東大谷」は、浄土真宗真宗大谷派の総本山、東本願寺の宗祖である親鸞の墳墓の地。そのため、ここは、東本願寺の飛び地境内地に当たります。隣接する山には、京都でも大きな規模の「東大谷墓地」があり、山の斜面には、数多くのお墓が並んでいます。

8月14日から16日は、18時頃から21時で「東大谷万灯会」が行われ、境内および墓所には、約1万個の提灯が献灯され、先祖の御霊を法要します。

ミモロは、まだ日のあるうちに、到着。

境内には、多数の提灯が、夕暮れからの点灯を待っています。
「わー墓所にも提灯がいっぱい…」隣接する「東大谷墓地」にも、お墓のそばに提灯がさげられています。

「まだ、点灯するには、時間があるから…」とミモロは、売店へ。
そこで出会ったのは、東本願寺のキャラクターの堂々としたライオンをイメージした「鸞恩(らんおん)くん」です。
なかなか凛々しいお姿。信楽焼の置物で、合掌している手に数珠が下げられるそう。そして、プロフィールを見ると、「えー44歳のおじさんなんだー」とミモロは、ビックリ。もうひとつのキャラクター蓮の花の妖精をイメージした「蓮ちゃん」(17歳の女の子)の父親だそう。「えーパパなのー。で?ママはだれ?」とミモロは、またビックリ。残念ながら、ママは誰なのかよくわかりませんでした。東本願寺には、3つのキャラクターがいて、残るひとつは「あかほんくん」という、真言の教えを書いた本をイメージした男の子で、「鸞恩くん」と「蓮ちゃん」のふたりで大切にしているそう。
3つのキャラクターは、それぞれ着ぐるみが作られていて、お寺のイベントなどに登場し、活躍しているそうです。


さて、「鸞恩くん」と別れて、「また、後で来よう…」と、ミモロは、境内をぬけて、ねねの道方向に歩きだしました。その途中…立ち止まったのは、アイスもなかの看板の前。
「暑いし、冷たいもの食べたいよー」と、動かなくなりました。
ここは、「桔梗菴」という茶店。お盆や桜、紅葉の時期に、オープンしているそう。夏は、かき氷や冷たい飲み物が味わえます。
ミモロは、「抹茶もなか」を注文。大きなもなかの中には、抹茶のアイスクリームと餡子がいっぱい。もなかは、持ち帰り専用なので、茶店の入口の緋毛氈で頂きました。「やっと元気になった気がする・・・」と食べ終わったミモロ。もちろん水分補給を怠りません。境内の自動販売機で購入したのは、「東本願寺のお茶」。販売元は、京都府茶協同組合で、なかなか美味しいお茶です。

再び、夜訪れると、境内は、昼間とは、全く違った雰囲気に。

山の斜面も、光が広がって、幻想的な景色に…。「ご先祖様も楽しんでいらっしゃるねー」と思うミモロです。

さて、この日、訪れたもうひとつの場所は、京都観光人気ナンバーワンスポットの「清水寺」。

8月14日~16日は、「千日詣り」という1日のお詣りで千日分のご利益があるといわれる日。観音様の最大の高徳日です。
また、同じ期間中に、いつもは、入ることができない本堂の内々陣で、参拝することができる特別拝観も行っています。「観音様に一番近い場所でお詣りできるんだってー。それに1日で千日分のご利益があるって、スゴイ…」。そう言いながら、特別拝観の列に並びます。内々陣は、めったに入れない場所。秘仏で33年ごとにしかご開帳されない観音様の手に、この期間だけ結ばれているという五色の紐を握りしめながら、ミモロは、なにやら熱心にお祈りを…。そして清水の舞台からは、京都タワーの姿も、遠くに輝いて見えます。

さすがに昼間に比べ、観光客の数も少ない清水寺の周辺。お詣りを済ませたミモロは、家路を急ぎます。

「なんか充実した夜だったー」と…。

*「清水寺の千日詣り」および本堂内々陣の「特別拝観」は、16日まで9:00~16:00(15,16日は、19:00~21:30の夜間拝観もあります)

人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。猛暑のため、夜行性になったミモロより
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都御所をはじめ、名だたる寺社仏閣ご用達の有職翠簾(みす)。寛政年間創業の「みす平」

2013-08-14 | ものづくり

京都伝統のものづくりに関心を抱くミモロ。今回、訪れたのは、寛政年間初期に創業された翠簾の工房「みす平」です。現在は、岩倉にありますが、以前は、御所の近所にあったそう。

「みす?あ、知ってるよー」とミモロ。「夏に下げるのでしょ?」と。いいえ、ミモロがいうのは、夏の強い陽射しを遮るために家の外側に下げられる、いわば日除けの役割のもの。材料も葦(よし)や蒲芯などです。

一方、翠簾(みす)は、部屋を分けるために、また装飾として、家の内側にさげるもの。特に御簾ではなく、翠簾という文字を使うものは、竹ひごを巧みに糸で編み、周りに布の縁取りをした高級品を指すとか。

源氏物語絵巻などでも、それぞれの部屋に翠簾を見ることができます。また、神社などで、翠簾は、内と外を分ける、つまり神聖な場所と俗界を区切る、結界の役割も担っています。さらに、身分の高い人と会う時などに、直接お顔を拝見しないために、下がられます。その場合も、立場を分ける役割を果たすのが、翠簾です。
「これが翠簾ねー」工房で作業中の翠簾を近くで見学します。

「こっちからは、そっちがよく見えるよー」と。でも、こちら側からは、ミモロの姿は、よく見えません。ところが、ミモロ側に灯りをつけると、ミモロの姿がよく見えます。部屋のしきりには、ふさわしいものだったのでしょう。

「翠簾って、すごく細い竹でできてるんだねー」と、では、それを作っているところを見学しましょう。

そもそも「みす平」は、寛政初期の創業、つまり200年以上前。京都御所のおかかえ職人から独立したそう。現在も、宮内庁からの注文をはじめ、八坂神社、三千院、北野天満宮、橿原神宮、伊勢神宮などの御用を務めています。
また、ニューヨーク・メトロポリタン美術館の日本ギャラリーでは、京都御所などの歴史的な翠簾の復元も担当なさったそう。

現在は、八代目となる前田平八さんを中心に、ふたりの息子さんが、代々受け継がれた技で、翠簾づくりをなさっています。

「これが、材料?」黄色に染められ、細く整えられた真竹。「この材料もすごいねーこれを作る職人さんも素晴らしい…」黄色には、厄除けの意味があるので、外からの厄を防ぐ思いも翠簾に託されていたのでしょう。

細い竹を翠簾を編む機に設置して、糸巻に巻かれた縦糸を、巧みに渡して、1本1本編んで行きます。

「根気のいる仕事で、1日30~40センチ作るのがやっとです」と前田さん。
1間ほどの幅を、今は、兄弟ならんで作業をすることが多いそう。
カタンカタンと糸巻が心地よい音を響かせます。

ここ「みす平」のように、良質の国産の真竹を使い、手で編み上げる翠簾の工房は、とても少なくなっているそう。「今は、中国産の安価な簾が、多量に流通しています。また国産でも、ほとんどが機械を使って作っているんですよ。手づくりのところは、おそらく数えるほどしかありません」と。
本物の翠簾の注文は、以前に比べたら減少しているそう。でも、これからも欠かせない貴重な技術です。

ミモロ、邪魔しちゃダメよ。一緒に作業する気分を味わいたいミモロです。「なんか一見簡単そうに見えるけど、順番がわかんなくなっちゃう…むずかしい…」と、手慣れた人の作業ほど、いとも簡単に見えるもの。

翠簾の編み方には、亀甲編みや八重編みなど、種類もいろいろ。

編み方により、翠簾には、さまざまな表情が生まれます。また、竹の節の位置によっても、印象は異なったものに。

編みあがった翠簾には、京都らしい西陣織の錦で縁取り、房や錺金具を取り付けて完成します。
それぞれ取り付ける品も、見事です。


「ホント、りっぱな仕事だねー」と、まさに芸術品とも言える翠簾に、見惚れるミモロでした。


*「みす平」京都市左京区岩倉南四ノ坪町63 電話075-722-8008 FAX75-722-8007
ここでは、個人からの注文にも応じてくれます。本物の翠簾をお探しの方は、ご連絡を…。





人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。お昼寝が日課のミモロより
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新島襄、八重、山本覚馬のお墓参り。若王子山の山頂の「同志社墓地」まで、山道を約20分。

2013-08-13 | 歴史・史跡

NHKの大河ドラマ「八重の桜」を毎回、楽しみに見ているミモロ。「だって、ドラマに登場する場所が、すぐ近くなんだもの…」と。そうあの松平容保が、京都守護職になり、会津藩士と共に過ごしたのは、ミモロの住む岡崎エリアにほど近い、黒谷の金戒光明寺でした。

お盆も近くなったある日、ミモロは、新島襄と八重のお墓参りを思い立ちます。
向かったのは、哲学の道のそばにある若王子神社。お墓は、その脇の道を登った山の上にあります。
「えー徒歩20分…そんなに遠いんだー」。道沿いの看板を見て、ちょっとひるみます。
「女性の一人歩きは、注意!」との看板も。「えーどんな山道なんだろ?」と思い傍らを見ると、そこには竹の杖。
「これがあるってことは、かなり険しい道なんだー」
ミモロの予想通り、その山道は、なかなか険しいもの。猛暑の京都、平坦の道を歩いても、汗が噴き出す日、険しい山道を登るミモロは、ハーハーと息も上がって苦しそう…。大丈夫?「うん、苦しい…でも、もう少し…」と、ゼーゼー言いながら、それでも山道を進みます。

「なんで、こんな山の上にお墓があるのーもうお参りするの大変じゃない」と、逆切れしそうな感じです。

実は、この山の上にあるのには、それなりの理由が…。
新島襄は、ご存じのように、京都の同志社大学の創立者。天保14年(1843)に安中藩の下級武士の長男として生まれ、21歳の時、函館から密航してアメリカへと渡ります。キリスト教の洗礼を受け、明治7年(1874)にキリスト教の宣教師として帰国。博愛精神に基づく近代教育による人間育成のため、明治8年(1875)に、現在の同志社大学の前身となる同志社英学校を設立します。しかし、大学の設立を目前にした明治23年(1890)、大学設立のために奔走していた彼は、滞在先で倒れ、病気療養をしていた神奈川県大磯で、京都から駆け付けた八重に見守られながら、息を引き取ります。享年46歳。彼の遺体は、当時、開通したばかりの東海道線で、京都に運ばれます。
はじめ、彼の父親が眠る南禅寺の墓所に埋葬するはずでしたが、キリスト教徒であることからそれができず、若王子山の京都市の共同墓地となります。その後、墓所の一角は「同志社墓地」となり、同志社大学ゆかりの人たちと共に安らかに眠っているのです。


息を切らせながら、やっと「同志社墓地」に到着。

鉄の囲いで区切られた場所は、静寂に包まれています。


入口には、墓地内配置図が。「えーっと新島襄さんと八重さんはどこだろ?あ、山本覚馬さんのお墓もあるんだー」と、配置図で場所を確認します。

墓地の正面には、堂々と聳える新島襄のお墓が。そして、その横に八重の墓が並びます。

「ふたり仲良しに並んでるー」そういいながら、2人の墓にお詣りします。

「あれ?新島の文字が二人違ってる…」新島襄の文字は、勝海舟の手によるものだとか。その折、島の横棒を一本書き忘れてしまったのだとか。でもそのまま、採用。「きっととても勝海舟に書き直して…って言えなかったんじゃない?」と、勝手な想像をするミモロです。

墓地の左側には、八重の兄の山本覚馬のお墓が。
大河ドラマファンのミモロには、覚馬役の西島秀俊さんの顔を浮かびます。
覚馬は、同志社の発起人であり、現在の大学の今出川校舎の場所は、彼が薩摩藩から譲り受けたもの。また、同志社という名前も彼の発案だとか。京都府顧問であり、初代の府会議長という、現在の京都の礎は作った人です。「偉い人なんだねぇー」と、尊敬のまなざしを向けるミモロです。

その傍らには、覚馬と八重の両親と弟、三郎が眠る山本家のお墓が立っています。
「え、父親と弟は、戊辰戦争や会津での戦いで亡くなったんじゃないの?ここに遺骨があるの?」と、ちょっと疑問を覚えるミモロです。たぶん戦いで亡くなった方を慰霊するために立てたお墓なのではと…。
また、新島襄の父親のお墓もあります。「南禅寺から移したのかなぁー」と、これもきっと息子の近くにお墓を立てたということかも…。

ここには、同志社大学の学生たちが、命日にお詣りに訪れるそう。

「どうぞ、これからも安らかにお眠り下さい…。そして京都の町をこの山から見守ってくださいねー」とお願いして墓地を後にしたミモロです。


*墓地までの山道は、石ころもゴロゴロしています。歩きやすい靴を用意してね。

*「同志社墓地」の詳しい情報は、「同志社大学」のホームページから。「建学の精神と新島襄」のところから、「同志社墓地の案内」へ入って下さい。



人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。世界陸上で寝不足気味のミモロより
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミモロの暑さ対策。白川での川遊びと白川沿いにある「桝富」で食べる鴨せいろ。

2013-08-12 | 京都


「こう暑くちゃ、なんか涼しいことしなくちゃ…」と、連日、38度以上の日々が続く京都の町に暮らすミモロは、近くの白川へと出かけました。
白川は、美術館などの周囲にある琵琶湖疏水から、「京都国立近代美術館」のそばで分岐し、知恩院参道付近、そして祇園を経て、鴨川へと流れます。この夏、ミモロは、白川の美化活動や、川全体を使ったダイナミックな金魚すくいに参加しました。

夏は、近所の子供たちが、川遊びをする場所。水の深さは、大人のひざくらいです。いまどき、近所で川遊びができるなんて、町では信じられないこと。それができる京都は、やはり特別な町です。

さて、浮き輪を体に巻いたミモロは、白川に掛る石の橋の上に。
「ねぇ、ここから飛び込むから、川の下流で捕まえてねー」と。え?そこから飛び込むつもり?
「絶対、捕まえてよー。絶対だからねー」と、念を押します。大丈夫?ミモロ…。「うん、浮き輪があるから平気…」と、なかなか大胆なミモロです。では、リクエストに応えて、川の下流に入って、ミモロが流れてくるのを待つことに。
「いい?飛び込むよー」「イチ、ニーのサーン!」とミモロは、川の中へジャンプ。
この川は、人間はダイブできません。また実際、泳ぐのも無理。だって、あまりに浅すぎるので…。できるのは、ミモロくらいのもの…。ネコなのに…信じられない…。ジャボーン。約5メートルほどを流れてきます。

「わー面白いー」なぜか、浮き輪が下に、ミモロはバックスタイルで泳ぎます。本人は、泳いでいるつもり…。

はい、キャッチ!流れてきたミモロを、捕まえます。「わーよかった。捕まえてくれて…ちょっとドキドキしちゃったー。このまま鴨川まで流れたらどうしようかと…。もう一回やるー。今度は、もっと遠くに離れてー」と調子に乗ったミモロ、それから何度も川の中へのジャンプを繰り返します。「あー楽しかったー。川で泳ぐのって気持ちいいねぇー」と、すっかり暑さも引いたようです。

家に戻ると、8月4日に参加した「白川子供まつり」での金魚すくいイベントで、すくった金魚のところへ。
この日も金魚鉢の前で、じっと金魚を見つめます。

「ねぇ、川で泳ぐのって、すごく気持ちよかったよねー。水が冷たくて…広くって…。ここの金魚さん、幸せかな?小さな金魚鉢の中で…。なんか暑そうだし…川に戻してあげようかな…」とポツリ。

でも、ミモロ、金魚を川に放したら、他の魚に食べられちゃうかもよ…。それに、せっかく可愛がっているのに、いいの?毎日、朝起きると、真っ先に金魚に餌をあげているミモロです。でも、ミモロには、少し気がかりなことが…。それは、連日の猛暑日で、留守中の部屋の温度はかなり高く、金魚鉢の中の水温も、上昇しています。

「うんーなんか心配…水もぬるくなって、酸素が足りなくなっちゃうかも…」と、冷たい川遊びが、ミモロには、とても楽しく、気持ちよかったのでしょう、小さな場所でしか泳げない金魚が、気の毒に思えてきたよう。

そこで、その夕方、ミモロは、思いきって、金魚をバケツに入れると、再び白川の畔へ。
「確か、ここら辺ですくったと思う…」そういうと、バケツの金魚を水と一緒に川の中へ。金魚は、ミモロのバケツから、勢いよく川へ入って行きました。
放したばかりは、赤い姿が川に見えたのですが、間もなく、見えなくなりました。どこかに泳いで行ってしまったよう。

「バイバイ…元気でねー。鴨川まで泳いでゆくんだよー」と川を眺めるミモロは、なんか淋しそう…。


ミモロ、家に帰る前に、美味しいお蕎麦を食べましょうか…。「え?おそばー?わかった!『桝富』でしょ。行く行く」急に、目の色が輝きだします。

三条通から、北へ。白川に沿ってお店はあります。
こちらは、何度かブログでもご紹介した場所。手打ちのそばでつくる品々は、いずれも美味しいと評判のお店です。
ミモロが好きなのは、ここの名物「鴨せいろ」。
せいろにのった蕎麦を、鴨と葱が入った熱いお汁でいただきます。金魚のことより、今は、鴨に夢中のミモロです。
わずか5分ほどの後…
「あ、ミモロちゃん久しぶりー。もう食べ終わったんですね。では蕎麦湯用意します」とご主人。

「美味しかったー。いつ食べても、美味しいけど、夏は、なんか塩分も取れるし、蕎麦っていいねー」と、完食!

水遊びと塩分補給…ミモロの暑さ対策です。どうぞ、皆さま、熱中症にご注意を…。

*「桝富」京都市東山区白川橋西入ル大井手町103 075-771-5973 11:30~15:00LO 17:00~20:30LO 火曜休み 地下鉄東西線東山駅の平安神宮方向の出口を上がり、三条通を左に。一筋めを進んですぐ。

人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。日焼けしたミモロより
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする