嵯峨野に、お友達を案内してやってきたミモロ。「落柿舎」の次は、さらに奥にある「祇王寺」へと向かいました。
まだ強い陽射しが注ぐ午後…でも、ここに来ると、空気もヒンヤリ、「嵯峨野って涼しいね~」と。
「わ~苔がきれい~」
夏は、緑の世界が広がるお庭。みずみずしい苔が、一面を覆い、まるで緑の絨毯のよう…。
林を渡る風も爽やか…。ミモロの顔をやさしく吹き抜けてゆきます。
さて、「祇王寺」は、現在、真言宗大覚寺派のお寺で、ご本尊は、大日如来さまをお祀りしています。
ここは、法然上人の弟子、念仏房良鎮が、平安時代に創建した往生院というお寺の跡にあたります。そして、「平家物語」にも登場する祇王などが出家し、生涯を過ごした寺と言われ、現在も、寺の一角に、苔むしたお墓が残ります。かつて栄えた往生院は、時の流れの中、衰退し、ささやかな尼寺として残りますが、明治初年に廃寺になります。
廃寺となった寺には、墓と仏像が残され、大覚寺に保管されることに。
その後、その寺の再建を願った大覚寺門跡の思いが叶い、明治28年に再建されることに。現在、ここにある建物は、祇王寺再建計画に心動かされた、元京都府知事北垣国道が、嵯峨野にあった別荘を寄付したものです。
「ということは、建物と「平家物語」の祇王の話は、関係ないってこと?」とミモロ。まぁ、建物は、明治のものですから、もちろん祇王が住んだことはありません。でも、この地に暮らしたことは確かです。
さて、この寺の名前にもなっている祇王は、平安時代、平清盛に寵愛された白拍子。その妹と共に、舞や歌の上手が評判だった美人姉妹です。清盛の寵愛を受け、幸せに暮らしていた祇王と妹の祇女、そしてその母親、刀自(とじ)ですが、ある日、同じく白拍子の仏御前が、清盛に舞を披露したいと訪れます。でも清盛の心は、祇王にあり、興味を示さず、門前払いを。そこで、祇王が、とりなして、仏御前を清盛に会わせます。このやさしさが悲劇の始まり。なんと清盛は、仏御前が気に入り、寵愛は、彼女へ移ってしまい、祇王は館を追い出されてしまいます。世の無常を感じた、祇王。そして妹、祇女と母親も、共に剃髪し、仏門へ入ります。その3人が、庵を結び暮らしたのが、この地と言われます。
しばらくして、なんと仏御前も、自分を世話してくれた祇王の悲劇を知り、館を出て、剃髪。以来、4人が、この地でしばらく一緒に暮らすことになったといわれていますが、ある説では、祇王と仏御前は、二人の年齢からして、実は、会ってはいないとも…。まぁ、昔のことですから…
「それにしても、清盛ってヒドイよね~プンプン」と、ムッとするミモロ。まぁ、心変わりは責められないこと…。ちゃんとしたフォローしないで、それまで愛した祇王を追い出すようなことをしたのが、男としていかがなものか…とは思います。結局、仏御前にも出て行かれてしまった清盛。二人があった時、清盛は、50代、仏御前は、16歳くらいですから・・・去られた清盛は、さぞやがっかりしたことでしょう。
さて、「祇王寺」の建物の中には、祇王、祇女、刀自、仏御前の像と共に、清盛の像もありますが、彼だけ、柱の蔭に置かれています。鎌倉時代の作といわれる尼僧像と清盛の像。誰が作ったのか、いずれも作者不明の像です。
お庭の中を歩き回るミモロ。「祇王寺のお庭って、静か…」
「気持ちいいね~」
今は、緑の世界ですが、秋になると、紅葉が美しく…緑の苔の上に、散る紅葉の美しさはいっそうです。
「あ、ここにも双葉葵が植わってる…」
「いいなぁ、すごく元気そうで…」青々としげった双葉葵。
「どうして、ミモロの双葉葵元気ないんだろ?もっとお水あげなくちゃダメかな~」とミモロ。ちゃんとお世話してるのに、元気がないミモロの双葉葵です。それが、今、ミモロの悩み…
「わ~お水冷たい~」
静かな時間をゆっくり過ごしたミモロ。
「さぁ、そろそろ夕ご飯食べに行こうね~」とお友達と、念仏寺方向へと進みます。
*「祇王寺」の詳しい情報は、ホームページで
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