ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

京都、仏光寺の境内にある「D&DEPARTMENT」のカフェ「d食堂」。お寺と大学の新たな取り組み

2015-08-21 | グルメ

京都の町中、高倉通仏光寺下ル…大丸百貨店を四条通を超えて、南に進んだところに、「ホテル日航プリンセス京都」のそばに、立派な本堂をもつ真宗仏光寺派本山「仏光寺」があります。
 

真宗は、親鸞聖人を開基とし、ここ「仏光寺」は、天正14年(1586)にこの地に創建。本堂には、阿弥陀如来像などをお祀りしています。本堂と御影堂が並ぶ真宗寺院ならではの伽藍は、堂々とした風格を漂わせています。

町中の寺院として、広い敷地を有する「仏光寺」。その境内の一角にある古い佇まいの茶所が、2014年秋におしゃれなカフェになりました。
「d食堂」という名のカフェで、これは京都造形芸術大学が、ロングライフデザインの品々を全国の生産者から集め、展開するショップ「D&DEPARTMENT]プロジェクトの京都における初のショップとカフェなのです。
すでに東京、大阪、北海道、静岡などにショップを展開。京都は、10店舗目になります。

また、お寺と大学の協業という新たな取り組みは、京都ならでは。

まずは、「d食堂」に向かいます。
 
お寺を訪れる参拝者の休息所として利用されていた茶所。昔ながらの佇まいが…お茶を淹れるためのお釜も当時のまま。

「なんかいい雰囲気…」
正面の本堂を眺めながら、しばし静かなひとときを過ごします。

さぁ、中に入りましょ…木の戸をあけて、玄関に…
「お靴脱いで上がるのね~」とミモロ。

「あ、氷かき機がある…ということは、かき氷があるってことだ~」


中は、畳敷きの大広間…そこに低めのテーブルとイスが並びます。「すごく座りやすい椅子…」これも「D&DEPARTMENT]がセレクトした家具のひとつです。
「なんかすごく落ち着いちゃう…」とミモロ。

ゆっくりメニューを見ています。

「なんにしようかな~」ここのお品は、体にやさしいものばかり…。

「季節の定食だって~美味しそう…」

でも、これは数量限定だったので、すでに売り切れでした。

「じゃなんにする?」といっしょに行ったお友達。
「う~ん、おうどんにする」とミモロは、シイタケと湯葉がのった温かいうどんを注文。

お友達は、梅干ととろろこんぶがのった冷たいおうどんを頼みました。「ちょっと見せて…これも美味しそう…」


「お出汁の味がいいね~」と目を細めながらいただきます。


「いかがでしたか~」とスタッフの方。


「なんかゆっくりできました。お寺だからからかなぁ~心落ち着く感じです。おうどんもすごくいいお味…また、来ますね~」と。


京都の町歩きの途中に…ぜひ寄りたいお店です。

*「d食堂」(仏光寺境内茶所) 京都市下京区高倉通仏光寺下ル新開町397 本山仏光寺内 075-343-3215 11:00~18:00 金・土曜は~20:00 水曜休み



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浅草 伝法院通に昨年暮れ移転した江戸履物の老舗「辻屋本店」。江戸好みの粋な下駄や草履

2015-08-20 | 東京

久しぶりに東京の浅草に来たミモロ。「浅草寺」参拝の後、「行きたいところがあるの~」とお友達のお店に向かいます。
 
ここは、「辻屋本店」という下駄や草履の専門店。昨年、「浅草寺」にほど近い伝法院通に移転しました。以前、東京にいるときに、何度か伺ったお店です。創業は大正元年。100年以上の老舗です。

「あ、ミモロちゃん~お久しぶり~来てくれたんだ~。元気だった?」と店主の富田里枝さん。
 着物を着る機会が少ない東京の人たちに、和装の楽しさを味わってほしいと、数年前から「あさくさ和装塾」という講座を主宰されています。ミモロも、そこに伺ったことがあります。
「さすが京都のネコ…浴衣上手に着てますね~なかなか着なれてる~」とほめられたミモロ。「まあ~ね~」と照れながら…。
「やっぱり京都は、着物を着る機会が東京にいたときより多いの~。特に夏は、祇園祭があるから、毎日のように浴衣着てるんです」と。浴衣だけで、なんと5枚ももっているミモロ。

毎日、かならず何人か着物姿の人を目にする京都と違い、東京では、めったに和装姿の人に会うことはありません。
日本人ですから、やはり着物には、憧れを抱いている人が東京にも多いのですが、なかなか着る機会がないのです。それに「着物は、着るのも大変だし、後の手入れも手間がかかる~」と、思われていますから…。

冨田さんが、もっと着物を気軽に楽しんで欲しいとはじめた「あさくさ和装塾」。そこでは、毎回、ささまざまなテーマで、和装のプロの方が、お話しくださったり、着物を素敵に着るポイントなどを伺うことができます。参加者の多くは、着物を着て出席し、その後、浅草の名店でお食事会などが行われ、参加者の交流と和装の情報交換をしています。

「また、ミモロちゃんも参加してね~」と冨田さん。「はい、京都に行ってから、ミモロ、お着物すごく増えたの…振袖や小袖、色無地、袴ももってるの~。いろんなところに着物を着てゆくんです」と、やや自慢げに…。「すごい!また見せてね~」「は~い。でも、問題は、お草履があんまりないの~」と。着物に合わせた履物が欲しいおしゃれなミモロとしては・・・それが悩み。

「わ~ここにも素敵な履物がいっぱいある~」と、店内に並ぶ履物を次々に見てゆきます。
  
「すてきだな~」とちょっと履いてみたり…
「子供サイズもある」
いろいろ履いてみますが、やはりどれもミモロには大きすぎます。

「やっぱりここにもないかな?」と諦めず、見て回るミモロです。

京都は、西陣など染めの着物をはんなり着るのがお得意。一方東京は、紬などを好む人が多いようです。

履物にも、足元をあまり目立たせず、足を小さく見せる京都の履物とは、異なり、幅の広めで、鼻緒使いなども粋な感じの履物が多いように感じました。
 

ここには、職人さんが履く草履などもいろいろ。男性ものの品ぞろえも豊富です。
 

「いろんな履物があるんだね~」と、店内を飛び回ったミモロ…ふと足元を見ると…下駄の鼻緒が緩んでいます。
「なんか歩きにくいと思った…どうしよう…」と困っていると、「ちょっと見せてください…」と作業をしていた職人さん。
「あの~直りますか?」と心配そうに見つめます。「う~こんなに小さな下駄の鼻緒つけたことないからなぁ~。でもなんとかしましょ」と。
そばに置かれた道具を見ながら、待つことに…。
「はい、できましたよ~履いてみてください~」
「どう?具合は?」

「はい、いい感じです。ありがとうございます」とニッコリ。


草履や下駄の履き心地は、鼻緒のすえ方で大きく違いが出てきます。自分の足の合う履きやすい草履や下駄は、専門の職人さんがいるところで微妙に調整してもらいましょう。

最近は、外国人観光客も多く、洋装に気軽に履くものなどを求めていくそうです。

ミモロサイズの草履は、見つけられなかったけれど、江戸好みの履物の美しさを堪能したミモロでした。

*「辻屋本店」の詳しい情報は、ホームページで。「あさくさ和装塾」の情報も掲載されています。



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ちょこっと東京旅。外国人観光客に大人気の「浅草寺」。平安時代には比叡山座主、円仁も来山

2015-08-19 | 東京

夏休みのある日、ミモロは、東京に出かけました。
懐かしいお友達にあったり、銀座や青山などにお買い物に行くのも楽しみです。今回、ミモロが出かけたのは、浅草です。
まずは、「浅草寺」の総門にあたる「雷門」で、お決まりの記念撮影。
「この大きな提灯、松下幸之助さんが病気平癒のお礼に寄進したんだって~」。外国人観光客が大勢その前で撮影を…。提灯だけでなく、雷門自体を寄進なさっています。

外国人観光客が関心をしめす、歴史的名所が、京都には数多くありますが、戦争の空襲で焼け野原になった東京は、都心部では「皇居」「増上寺」「明治神宮」「浅草寺」が主な場所です。

8月の暑さにも関わらず、多くの外国人観光客が、「浅草寺」の参道である「仲見世通」を歩いています。
「さすが日本人観光客は少ないね~」ミモロは、仲見世に軒を連ねる、人形焼、和装雑貨やみやげ物の店をチラチラ横目で見ながら、まずは本堂へ向かいます。

仲見世通の先には、再び門が…「宝蔵門」という入母屋造の二重紋で、昭和39年に実業家大谷米太郎夫妻が寄進した鉄筋コンクリート造りの門です。大谷米太郎は、戦前は鉄鋼王と言われ、戦後は、「ホテルニューオオタニ」を作った人物です。

お線香でお浄めをして、本堂へ入ります。
 

「わ~ここもいっぱい人がいる~」


さて、「浅草寺」の歴史は、推古天皇の時代、隅田川の漁師が、網にかかった仏像をお祀りしたことからといわれます。この仏像が、秘仏である御本尊さまの「聖観音像」で、6センチ足らずの身の丈の金色の像と伝えられます。
「でも、秘仏だから、だれも見たことないらしいよ~。どんな仏様なんだろ?」とミモロも興味を抱きます。戦時中、空襲を避けるために、本堂から運び出され、地中に埋められていたといわれ、その時、確かに仏様がることは確認されたそうですが、布に巻かれていたため、そのお姿は誰も目にしていない…と、そんな話を耳にしたことがあります。

秘仏の前には、御前立の観音像が祀られています。この仏像は、平安時代の初期に比叡山の座主 円仁がこの地を訪れ、造られたといわれているもの。
戦前までは、そのため天台宗のお寺で、戦後、聖観音宗の総本山となりました。

「このお寺、比叡山とかかわりがあったんだ~」ミモロの家から見える比叡山を思い浮かべます。

参拝を済ませて、「おみくじがある~」と漢数字で書かれたくじをその形から、探す外国人の姿が…。「読めるのかな?おみくじ…」とちょっと気になるミモロですが…

近年、「浅草寺」の建造物の屋根は、地震に備え、軽量のチタン成型瓦葺きになっています。鉄筋コンクリート造りで、耐震構造も施されているのだとか…。

「浅草寺」には、高さ48メートルの五重塔が聳えています。
「なかなか立派~」
鉄筋コンクリート造り アルミ合金瓦葺です。

「境内からは、2つの塔が見えるんだよね~」とミモロの視線を移すと、
そう、スカイツリーが近くに見えます。

「昔と今が一緒に見える~」

ここも人気の撮影ポイントです。

ところで東京の祭りといえば、5月の「三社祭」。浅草一帯で、繰り広げられる神輿巡行が見どころ。
その祭りを行うのが、お寺のそばにある「浅草神社」です。

三社というのは、3柱をお祀りしているという意味で、ご祭神は、聖観音像を引き上げた漁師の檜前浜兄弟とそれを祀ることに尽力した土師真中知(はじのあたいなかとも)という方々。いずれも後に僧となり、その子孫が鎌倉時代初期ごろに、祖先を神様として祀ったことに始まるとか…。明治の神仏分離で「浅草寺」から離れ、明治6年に「浅草神社」になりました。

神社への参拝も済ませ、再び仲見世通を歩きます。
「う~暑い~」

日中日陰のない参道は、照り返しもあり、暑さ倍増…。

「どこか日陰に行かないと、日射病になっちゃう~」と、汗ダラダラのミモロは、知り合いのお店へと向かいました。

*「浅草寺」の詳しい情報は、ホームページで



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昭和26年創業のコーヒー豆専門店「出町輸入食品」。独自の焙煎、ブレンドなどで生まれる芳醇な味

2015-08-18 | グルメ

「ミモロちゃん、コーヒー豆を買いに行くんだけど、付き合って~」と、ある日、お友達に言われたミモロ。「あ、ちょうどうちでもコーヒー豆、切れそうなんだ~。一緒に買いたい~」と、ミモロとお友達は、自転車で出町柳駅から、河原町通と今出川通の交差点へと向かいました。


「ここのお店の前、何度も通ったことある、でも入ったことなかった~」とミモロ。

ここは、「出町輸入食品」という世界のコーヒーの産地から輸入したコーヒー豆を、独自の焙煎やブレンド、挽き方で販売しているコーヒーの専門店です。

店の一角に据えられた焙煎機。ここで、それぞれのコーヒー豆の個性と美味しさを引き立てる焙煎が行われるのです。

「わ~いろんなコーヒーがある~」お店自慢のブレンドの「ゴールドマウンテン」をはじめ、モカ、キリマンジャロ、コロンビアなど、約10種類ほどが並んでいます。

そもそも「出町輸入食品」は昭和26年(1951)に、京都府庁で農地開拓やブラジル移民のPRなどのお仕事をしていた中井實さんが、出町柳に輸入食品店をオープンさせたことから…。

当時、まだ京都には、進駐軍とその家族などが多く暮らしていたことから、日本では、まだ珍しいさまざまな品々が手に入り易かったのだそう。当時は、石鹸などの日用品も販売。コーヒー豆は、焙煎され、挽かれた缶入りのものだったのです。

昭和30年代になり、人々の生活にゆとりが生まれ始めた頃から、市内には、次々にさまざまなお店ができ、特定の商品に特化した専門店になることを、中井社長は考えたとか。そこで目を付けたのが、コーヒー豆。

でも、まだコーヒーは、一般には、贅沢品と思われ、そんな中、気軽に安価で楽しめるインスタントコーヒーが爆発的に普及。家庭では、コーヒー豆から淹れる本格的な味を楽しむ人は、ごくわずかだったそう。

「本物の美味しいコーヒーの味をもっと多くの人に知ってもらいたい…」という強い思いを抱き、コーヒーの試飲なども積極的に行います。

やがて時代は、本格コーヒーを求める時代へと移行。京都市内にも多くのコーヒー店がオープンすると共に、家庭でも、インスタントからドリップなどで淹れるコーヒーが多く飲まれるようになりました。

昭和40年からは、コーヒー豆とコーヒーを美味しくいただくための輸入されたチョコレートやクッキーなどのお菓子、そしてコーヒー関連用具を扱う専門店に…。


創業から来年で65年。本物のコーヒーの味にこだわり続ける「出町輸入食品」は、京都の人々に愛され続けるコーヒー豆の専門店。コーヒーを出す飲食店との取引も多く、その美味しさは今や全国に知られています。

「わ~いろんなものが並んでる~」店内を見て回るミモロです。
「あ、お菓子~」
ここでは、海外から輸入された、コーヒーに合う、さまざまなお菓子が豊富に…。

 コーヒーを淹れる器具や用具も揃っています。
「これ、そろそろ買い換えなくちゃ~」
ミモロは、家では、もっぱらエスプレッソを愛飲。濃いめのコーヒーにミルクをたっぷり入れて飲むのがお気に入りです。

「ミモロちゃん、お豆どれにするの?」とお友達…「あ、あの~キリマンジャロをエスプレッソ用に挽いてください~」とお店の方にお願いします。

「コーヒー豆で挽き終るまで、こっちでコーヒーの試飲させてもらいましょ」と、さすが何度も通っているお友達。
ミモロは、店内にあるカウンターに座ります。「ここ喫茶店もやってるの?」「いいえ、ここでは試飲だけ…」
「はい、どうぞ~」とミモロの前には、試飲というには、たっぷりした量のコーヒーが…
「わ~アイスコーヒーだ~喉渇いてたの~うれしい…美味しいね~」と。ふと横を見ると、美味しそうなクッキーが盛られたお皿が…
「美味しそう~なんでここにあるんだろ?」とミモロは気になってしかたありません。

「これ食べていいのよ~」とお友達。「ホント?」そこで「あの~このクッキー食べていいんですか?」とお店の方に確認を。
「はい、どうぞ~好きなものを食べてください…」と。「わ~これも試食できるんだった~」と嬉しそう。隣りに座っていたおじさんが、「好きなだけ食べていいんだよ~」と。「ホント?」と目を輝かせるミモロです。
カウンターの周りには、数種類のクッキーやビスケットなどが並んでいます。それを片っ端から試食するミモロ。

「なんかお腹いっぱいになっちゃった~美味しいコーヒーとお菓子だった~」と、口の廻りには、クッキーの粉が…。

夏は、アイスコーヒーが試飲できます。

「わ~いい香り…」挽きたてのコーヒーを袋にパックしてもらってお店を後にするミモロとお友達…。
「また、ここにコーヒー豆買いに来よう…」と。ミモロが訪れたのは、交差点から河原町通を少し南にいった本店です。交差点には、「北店」もあります。


*「出町輸入食品」の詳しい情報は、ホームページで。また美味しいコーヒーの淹れ方などもそこで学べます。




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五山の送り火の「妙」「法」のそばにある松ヶ崎の産土神「新宮神社」と日蓮宗「涌泉寺」

2015-08-17 | 寺社仏閣

8月16日は、「五山の送り火」が、夜20時に、大文字から、5分おきに点火され、京の山々に輝きます。

ミモロは、まずは下鴨のマンションの上の階から眺めることに。

「あ、見えた~」東側の山に大きな「大」の字が浮かび上がりました。
今年は、点火直前ににわか雨があったものの、見事に送り火が灯りました。

「でも、ここからだと『法』の字が見えない…」ということで、近くの御蔭橋に出かけます。
交通規制が行われ、橋の上には、見物人がいっぱい。

でも、高野川の上流には、「法」の字が浮かび上がっています。

「やっぱり『妙』の字は、ここからは見えないね~。でも今年は2つ、ばっちり見えたから…」
2つの文字に向かって、静かに手を合わせ、ご先祖様を送ります。



さて、15日の朝、「五山の送り火の見物ポイント探しをしていたミモロは、「妙」と「法」の文字がある松ヶ崎エリアをトコトコ歩いていました。
山際の住宅地の道を進んでいたとき、「あれ~こんなところに鳥居がある~」。山の麓に立派な鳥居が聳え、長い石段が山の上へと続いています。

「新宮神社っていうんだ~。熊野の新宮神社と関係あるのかなぁ?」とミモロは、とりあえずお詣りすることに…。

鳥居のそばには、太い杉の木が聳えていますが、「なんか葉っぱが少ない…雷でも落ちたのかなぁ~」と、幹だけになった杉の木ですが、その堂々とした太い幹から、かつてはかなり大きな杉の木であったことが想像できます。

「さぁ、がんばろう…」と、本殿へと続く石段を上りはじめたミモロです。

「う~汗が出る~」と息をはハーハーさせながら…。ふと石段の脇を見ると…なんとも可憐な白百合が涼やかに咲いていました。
「わ~キレイ…」と、心和むミモロです。


この「新宮神社」は、古くから松ヶ崎エリアの産土神として崇敬され、ご祭神は、熊野速玉神、イザナミノミコト、イザナギノミコト、猿田彦神をお祀りしています。熊野新宮のご祭神を勧請したのは、徳治2年(1307)のことだそう。もともと大比叡大明神と称したとか。神仏習合の時代は、僧が、祭祀をおこなっていたこともあったのだそう。明治になり神仏分離で、僧侶により祭祀はなくなり、白髪神社と号して、明治20年(1887)に新宮神社となったのだとか…。

手水で、お浄めをした後、社殿に拝殿より参拝を…
  

山の中腹にある神社、そこからは眼下に松ヶ崎の町が広がります。
 

「新宮神社」のそばに「なんかお寺がある~」とミモロは、再び、山へ続く坂道を上がることに。
しばらく進むと、風格ある山門が見えてきました。
「涌泉寺ってお寺なんだ~」 

「涌泉寺」は、大正7年(1918)に、松ヶ崎の集落にあった日蓮宗の「妙泉寺」と「本涌寺」が一緒になり、両方の名前から名づけられたお寺です。
ここ、松ヶ崎エリアは、鎌倉時代、日蓮宗が京都に入ってきたとき、それまでの天台宗から村をあげて日蓮宗に改宗した地域なのだそう。今も、昔からこの地域に住む人たちは、みんな日蓮宗なのだとか。

このお寺は、かつて僧、日生が、天正2年(1574)に開いた、日蓮宗の僧侶の修行、育成のための学問所「松ヶ崎壇林」をその由来にしています。明治初頭まで、全国から、日蓮宗を学ぶ人たちが集まる、近世日蓮宗教学の聖地としてさかえたそう。現在の本堂は、その当時の「松ヶ崎壇林」の講堂を転用したもので、日蓮宗壇林講堂としては、最古のものと言われています。

現在、その前は、併設する幼稚園の遊び場としても使われているよう。「へぇ~そんな歴史があるお寺なんだ~」とミモロ。

このお寺では、8月15日、16日に、『題目踊り』という盆おどりの起源とも言われる踊りが境内で行われるのだそう。

「ここ楓の木が多いから、きっと秋は、紅葉できれいだね~」と、青々した楓の下を歩くミモロ。


「松ヶ崎エリアって、なかなか古い歴史があるんだね~知らなかった~」と、「五山の送り火」をきっかけに知った松ヶ崎エリアの歴史でした。

*「涌泉寺」の詳しい情報は、ホームページで




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