ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

「あだしの念仏寺」の「千灯供養」。同じ時期に開催される「愛宕古道街道灯し」

2015-08-28 | 祭事・神事・風習

東京から来たお友達と一緒に、奥嵯峨野を訪れているミモロ。鮎で知られる江戸時代からつづく老舗の「鮎茶屋 平野屋」で、ゆっくりお食事。陽も落ちて、あたりが暗くなり始めたころ、愛宕神社の一の鳥居から二尊院、清凉寺までの街道沿いに灯りがともりはじめます。

ミモロたちが食事をしていたとき、愛宕神社の一の鳥居の前に、大勢の人が集まりはじめました。



鳥居のそばでは、和太鼓の音が…。


これは、「愛宕古道街道灯し「(あたごふるみちかいどうとぼし)という、毎年、「あだしの念仏寺」で行われる「千灯供養」に合わせ行われるもの。以前も、ミモロは、訪れたことがありますが、その時より、規模が大きくなっているよう。


手に手に、提灯を下げた子供たち…ここから、愛宕古道沿いに、用意された提灯に灯りをともしにゆくのです。
ミモロもちょっと提灯を持たせてもらいました。
「いってらっしゃい~」ミモロは、みんなを見送ります。


古い家並みが続く愛宕街道…その家の軒下に設置された提灯は、地元の子供たちにより、さまざまな絵が描かれています。その数およそ800個にもおよぶそう。また、京都嵯峨芸術大学の学生さんたちも、大きな提灯を製作しています。

ロウソクのやさしい光が照らす道の風情は、いっそう。「なんかすごく京都らしい感じ…」

提灯のあかりは、嵐山駅への道しるべにもなっています。

ミモロたちは、「鮎茶屋 平野屋」で食事を終えると、いただいた提灯をもって、「あだしの念仏寺」へと向かいました。


提灯を下げて歩いていると、観光客が、「それ、どこでもらえるんですか?」と…。
その様子を見ていた地元の方が、「その提灯は、『平野屋』さんで食事した人だけもらえるんですよ」と替わって答えてくれました。
「なんか特別感あるね~」とミモロは、お友達に…。
「この提灯もったまま、念仏寺入れるのかな?」とちょっと心配になるミモロ。

「あだしの念仏寺」の階段…「わ~灯りが続いてる~」。

「平野屋」の提灯は、ここでも有名で、「あの子は、平野屋さんで食事したんだよ」と、ミモロの提灯を見て、係の方たち。
「この提灯、みんな知ってるんだ~」

さて、「あだしの念仏寺」の「千灯供養」は、境内に置かれたたくさんの石仏や墓石に灯りを奉納し、供養するもの。

平安時代、葬送の地である、ここ化野(あだしの)、東山の鳥辺野、北の蓮台野などに放置された無名の遺骸を、弘法大師さまが埋葬し、その菩提を弔ったことが、ここ「あだしの念仏寺」のはじまりと伝えられます。

開創した当時は、如来寺という真言宗のお寺でしたが、法然が念仏道場にしたことから、浄土宗の念仏寺となりました。ご本尊は、阿弥陀如来さま。

境内には約8000体の無縁仏の石仏、墓石などが並びます。そこに灯されるロウソクの灯り…なんとも幻想的…。

ミモロも入口でいただいたロウソクを石仏のそばに灯します。
「南無~」と手を合わせるミモロです。
「無縁仏さまたちも、みんなでいっしょだから、さびしくないね…」平安時代に無縁仏になった人たちも、平成になって大勢の人たちにお詣りされるのですから、今は、きっと幸せに…。



8月…京都は、ご先祖様の供養の月。今、自分たちがいるのは、いかなる時代をも生き抜いたご先祖さまがいらしたから。
「江戸時代も、戦国時代も、平安時代も…どの時代にもご先祖様がいらしたんだよね~。きっとすごく大変なときもあったよね…。そう思うと、今、こんな平和な時代に生まれられて幸せだよね」としみじみ思うミモロです。

さぁ、そろそろ帰りましょ・・

「わ~提灯が続いてる~これをたどると駅にいけるんでしょ…迷子にならないし、さびしくないね」

人通りも少なくなった街道には、この日は、参拝者を見送るように提灯がともっていました。

*「あだしの念仏寺」の詳しい情報はホームページで

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