東京から来たお友達と一緒に、奥嵯峨野を訪れているミモロ。

ミモロたちが食事をしていたとき、愛宕神社の一の鳥居の前に、大勢の人が集まりはじめました。

鳥居のそばでは、和太鼓の音が…。

これは、「愛宕古道街道灯し「(あたごふるみちかいどうとぼし)という、毎年、「あだしの念仏寺」で行われる「千灯供養」に合わせ行われるもの。以前も、ミモロは、訪れたことがありますが、その時より、規模が大きくなっているよう。
手に手に、提灯を下げた子供たち…ここから、愛宕古道沿いに、用意された提灯に灯りをともしにゆくのです。


「いってらっしゃい~」ミモロは、みんなを見送ります。

古い家並みが続く愛宕街道…その家の軒下に設置された提灯は、地元の子供たちにより、さまざまな絵が描かれています。その数およそ800個にもおよぶそう。また、京都嵯峨芸術大学の学生さんたちも、大きな提灯を製作しています。
ロウソクのやさしい光が照らす道の風情は、いっそう。「なんかすごく京都らしい感じ…」

提灯のあかりは、嵐山駅への道しるべにもなっています。
ミモロたちは、「鮎茶屋 平野屋」で食事を終えると、いただいた提灯をもって、「あだしの念仏寺」へと向かいました。

提灯を下げて歩いていると、観光客が、「それ、どこでもらえるんですか?」と…。
その様子を見ていた地元の方が、「その提灯は、『平野屋』さんで食事した人だけもらえるんですよ」と替わって答えてくれました。
「なんか特別感あるね~」とミモロは、お友達に…。
「この提灯もったまま、念仏寺入れるのかな?」とちょっと心配になるミモロ。

「あだしの念仏寺」の階段…「わ~灯りが続いてる~」。
「平野屋」の提灯は、ここでも有名で、「あの子は、平野屋さんで食事したんだよ」と、ミモロの提灯を見て、係の方たち。
「この提灯、みんな知ってるんだ~」
さて、「あだしの念仏寺」の「千灯供養」は、境内に置かれたたくさんの石仏や墓石に灯りを奉納し、供養するもの。

平安時代、葬送の地である、ここ化野(あだしの)、東山の鳥辺野、北の蓮台野などに放置された無名の遺骸を、弘法大師さまが埋葬し、その菩提を弔ったことが、ここ「あだしの念仏寺」のはじまりと伝えられます。
開創した当時は、如来寺という真言宗のお寺でしたが、法然が念仏道場にしたことから、浄土宗の念仏寺となりました。ご本尊は、阿弥陀如来さま。
境内には約8000体の無縁仏の石仏、墓石などが並びます。そこに灯されるロウソクの灯り…なんとも幻想的…。
ミモロも入口でいただいたロウソクを石仏のそばに灯します。
「南無~」

「無縁仏さまたちも、みんなでいっしょだから、さびしくないね…」平安時代に無縁仏になった人たちも、平成になって大勢の人たちにお詣りされるのですから、今は、きっと幸せに…。

8月…京都は、ご先祖様の供養の月。今、自分たちがいるのは、いかなる時代をも生き抜いたご先祖さまがいらしたから。
「江戸時代も、戦国時代も、平安時代も…どの時代にもご先祖様がいらしたんだよね~。きっとすごく大変なときもあったよね…。そう思うと、今、こんな平和な時代に生まれられて幸せだよね」としみじみ思うミモロです。
さぁ、そろそろ帰りましょ・・
「わ~提灯が続いてる~これをたどると駅にいけるんでしょ…迷子にならないし、さびしくないね」

人通りも少なくなった街道には、この日は、参拝者を見送るように提灯がともっていました。
*「あだしの念仏寺」の詳しい情報はホームページで

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