8月16日は、「五山の送り火」が、夜20時に、大文字から、5分おきに点火され、京の山々に輝きます。
ミモロは、まずは下鴨のマンションの上の階から眺めることに。

「あ、見えた~」東側の山に大きな「大」の字が浮かび上がりました。

「でも、ここからだと『法』の字が見えない…」ということで、近くの御蔭橋に出かけます。
交通規制が行われ、橋の上には、見物人がいっぱい。

でも、高野川の上流には、「法」の字が浮かび上がっています。

「やっぱり『妙』の字は、ここからは見えないね~。でも今年は2つ、ばっちり見えたから…」
2つの文字に向かって、静かに手を合わせ、ご先祖様を送ります。
さて、15日の朝、「五山の送り火の見物ポイント探しをしていたミモロは、「妙」と「法」の文字がある松ヶ崎エリアをトコトコ歩いていました。
山際の住宅地の道を進んでいたとき、「あれ~こんなところに鳥居がある~」。山の麓に立派な鳥居が聳え、長い石段が山の上へと続いています。

鳥居のそばには、太い杉の木が聳えていますが、

「さぁ、がんばろう…」と、本殿へと続く石段を上りはじめたミモロです。

「う~汗が出る~」と息をはハーハーさせながら…。ふと石段の脇を見ると…なんとも可憐な白百合が涼やかに咲いていました。

この「新宮神社」は、古くから松ヶ崎エリアの産土神として崇敬され、ご祭神は、熊野速玉神、イザナミノミコト、イザナギノミコト、猿田彦神をお祀りしています。熊野新宮のご祭神を勧請したのは、徳治2年(1307)のことだそう。もともと大比叡大明神と称したとか。神仏習合の時代は、僧が、祭祀をおこなっていたこともあったのだそう。明治になり神仏分離で、僧侶により祭祀はなくなり、白髪神社と号して、明治20年(1887)に新宮神社となったのだとか…。
手水で、お浄めをした後、社殿に拝殿より参拝を…



山の中腹にある神社、そこからは眼下に松ヶ崎の町が広がります。


「新宮神社」のそばに「なんかお寺がある~」とミモロは、再び、山へ続く坂道を上がることに。
しばらく進むと、風格ある山門が見えてきました。



「涌泉寺」は、大正7年(1918)に、松ヶ崎の集落にあった日蓮宗の「妙泉寺」と「本涌寺」が一緒になり、両方の名前から名づけられたお寺です。
ここ、松ヶ崎エリアは、鎌倉時代、日蓮宗が京都に入ってきたとき、それまでの天台宗から村をあげて日蓮宗に改宗した地域なのだそう。今も、昔からこの地域に住む人たちは、みんな日蓮宗なのだとか。
このお寺は、かつて僧、日生が、天正2年(1574)に開いた、日蓮宗の僧侶の修行、育成のための学問所「松ヶ崎壇林」をその由来にしています。明治初頭まで、全国から、日蓮宗を学ぶ人たちが集まる、近世日蓮宗教学の聖地としてさかえたそう。現在の本堂は、その当時の「松ヶ崎壇林」の講堂を転用したもので、日蓮宗壇林講堂としては、最古のものと言われています。
現在、その前は、併設する幼稚園の遊び場としても使われているよう。「へぇ~そんな歴史があるお寺なんだ~」とミモロ。
このお寺では、8月15日、16日に、『題目踊り』という盆おどりの起源とも言われる踊りが境内で行われるのだそう。
「ここ楓の木が多いから、きっと秋は、紅葉できれいだね~」と、青々した楓の下を歩くミモロ。

「松ヶ崎エリアって、なかなか古い歴史があるんだね~知らなかった~」と、「五山の送り火」をきっかけに知った松ヶ崎エリアの歴史でした。
*「涌泉寺」の詳しい情報は、ホームページで

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