ニシンの「群来」はむかしの話しか。
「群来」と書いて何と読むのでしょう。この群来という言葉は多くの人に知られているものなのでしょうか。意外に読めない人もいるようです。読める人でも、クキを漢字で書いて見て下さいと言われると多くの人が書けないのです。意味もわからない人がいるでしょう。
大辞典(小学館)によると 次の様に書いてあります。「くき 群来」魚が産卵のために沿岸に大群で来ること。特にニシンについていう。→鰊群来」。
春ニシンが産卵のために沿岸に押し寄せ、沿岸がニシンの精子で海が乳白色に色付きます。かつての乱獲でニシンが押し寄せなくなり、群来ることが無くなりました。近年ではニシン資源保護が進み、海が乳白色になる現象(群来)もみられるようになりました。近年の努力で少しづつニシンの資源がよみがえって来たのです。
海の幸は捕りすぎると資源が途絶えてしまう事があります。自然との共存をはかりながら生活することが望まれる代表例となります。
昨日(11月3日)、北海道地理学会と他2団体の合同秋の大会があり小樽巡検が行われました。小樽を巡る工業地巡検が中心でした。
その中で「北の誉酒造」の工場見学がありました。お酒の中に「群来」という銘柄のお酒が作られておりました。最も北海道らしい名のお酒のように思われました。早速晩酌用に買い求めました。
また、見学地の中に「小樽市総合博物館運河館」があり、小樽での鰊漁の盛衰の歴史も学習出来ました。むかしのニシン漁は驚くほどの大漁であったのです。岩内のニシン漁もすごかったのですが、小樽のにしん漁もすごいものでした。当時は更に小樽の北の地にもニシンが群来ていました。
驚く事はオホーツクの紋別(市)にもニシンが群来ていたとの記録がある事です。
日本海の古平町にアイヌ語地名のヒロカライシ(ヘクロ・カル・ウシ=ニシン・捕る・いつもする処)という地名があって、今ではこの地は「群来(クキ)」と意訳した地名となっています。 アイヌ語が先か、和人が付けた地名かは良く分かりませんが、この地はアイヌ時代からニシン漁の盛んな所であったのです。
戦時中食料の不足気味な生活の中で、北海道の人たちの命を救ったのはニシンとクジラ肉でした。ニシンは箱ごと配給になり、ある時季の重要な食べ物となっていました。