「三だけ」の話し
NHK朝のラジオで、「三だけ」の人が多くなったとの話がされていました。どうゆう事かと言いますと、①「金だけ」儲ければよいような人が多くなっている。それも②「今だけ良ければ良い」と生活する。、今その人にとって都合がよければ良いという事です。三つ目は③自分だけ良ければ(満足すれ)ばと云う事で、すべて自分に都合が良ければ良いという、身勝手な人が多くなっていると云うのです。この話しに納得する事があります。
太平洋戦争の時に外人たちが日本人の当時の記録映画の姿を見て驚いています。それは食料配給の時整然と並び受けている姿です。これほどまでに切羽詰まって生活していても整然としている日本人の姿に心から驚いているのです。三年前の三陸地震の時も整然とした日本人の行動にも外人は驚いています。日本に流れている心には素敵な人としての流れがあるのです。
中には地震の被害を受け留守になった家に盗みに入るやからがいると報道されていましたが、その人は「三だけ」の人になってしまっているのです。生活が豊かな人、貧しい人と二分化された結果なのかもしれません。
10月に襟裳岬に10度目の写真撮影旅行に出向いた折、風の館近くの岬のお花畑にビニール包みの大きなごみが二個も無造作に投げられていて驚きました。心無い人がいる物だと腹立たしく思いました。典型手的な「三だけの人」なのです。投げた人は経済的に苦しいわけでなく、心の貧しい人になっているのです。
自分だけが良ければよいというの典型な的な人なのでしょう。このビニール袋をお花畑で見た時、秋にようやく咲きだしたお花の為の囲いかと一時思ったのですが、とんでもないごみが捨てられていたのです。この出来ごとで心がすさびました。皆で自然を守ってこその観光地だからです。
先日もそうでしたが、石狩のブユニの丘フォーラムの帰り道海岸線のススキの原の道をドライブしましたが、海岸から「佐藤水産」近くの国道に入る道の周りはゴミが散らばった気持ちの悪い道となっています。近年はビニール製品が多く、自然にくちないのでゴミがたまっていくばかりです。誰が投げたのでしょう。自分だけが良いという人が多くなったことにがっかりします。
錦江湾沿岸が国立公園になる
近年鹿児島の錦江湾沿岸が国立公園になったそうです。一番新しい国立公園として指定されたのです。景色の良い場所の様ですが、住民が一体となってごみを取り除き、むかしの姿にもどす努力が繰り返えされた努力のたまものなのです。
錦江湾の話と同じように、世界自然遺産になった富士山もむかしはその麓はゴミの捨て場所になっていたそうです。ある人の呼びかけ(この人の講演をお聞きしたのですが今思い出せません)と多くの人たちの協力でゴミは一掃され綺麗となり、富士山が自然遺産に指定される迄になったのです。「三だけ」の人が多くなれば、世の中がすさぶばかりになるので、自分だけ良ければ良いという考え方は取り除かなければ良い世の中は保たれません。
まず、身の周りにある「良い物(事)」を見付けて前向きに生活することによって、お互いがエネルギーを発することになるのです。多くの人が自然を愛せる世の中が望まれます。