「桑の実」
年配の方なら誰しもが経験した桑の実、小粒ながら甘くて美味しく、木登りして取りあさって食べたことを思い出す事があるでしょう。
桑の木はしなりに強く、枝先でも子供たちの重さに耐えてくれます。桑の実の季節は今が旬です。白色から赤実になり、食べごろは黒紫色に変わります。黒味のものだけを食べます。
ラビ妻は山梨育ちですら、「桑の実を今朝食べてきた」というと、自分もその場所に行きたがります。山梨県はむかし養蚕業の盛んな土地でしたから、子供のころを思い出すのでしょう。
「何個か取ってきて」というのですが、つぶれやすくカップでも持っていかないと駄目ですので、まだ実現していません。
「それでは桑の実を食べに行こう」と誘うと「明日はボランティアの日で人に会うから駄目です」「友達に会うので口を紫にしてはいけない」などと言います。
桑の実は食べた後、口の中が紫色になり目立つので恥ずかしがり屋はなかなか食べに行けないのです。ポケットに入れて持ち帰ろうなら、服は紫色にそまり、汚れ取りに後ほど苦戦します。
もう三十数年も前のこと、帯広の百年記念博物館に出向いた折、たわわに実った桑の実を通路横に見つけ、これ幸いと桑の実を取っては食べたものでしたが、枝の裏側でごそごそするものが居る様子です。動くそのものを確認して驚きました。相手は「エゾリス」だったのです。
桑の実をあさるエゾリスを驚かしたのか、エゾリスがこちらを驚かしたのかは定かではないのですが、近距離でお互いが楽しんで桑の実を食べていたのです。
エゾリスも美味しく食べていたのでしょう。
「おかいこさん」
絹糸を取る為には「かいこ」を育てなくてはなりません。養蚕業の基本はカイコ(蚕)を育てることから始まります。カイコは大切なものですから「おかいこさん」と呼びました。おかいこさんを育てるには桑の葉が必要でした。
桑は本州ばかりでなく、北海道にも桑の木が自生していました。戦時中は着る物にも不自由するようになり、おさがりのぼろ服を着せられました、服の穴をつくろう糸にも不自由していました。
そこで我が家でも、カイコを育てている農家に教わり、カイコを飼うことになり、小学1年生のカムイラビットも「桑の葉」を取ってくる役が与えられたのでした。その時の副産物が、桑の実だったのです。カイコは繭になり、繭玉の糸を集めて日常の糸をつくって使ったのでした。
札幌には「桑園」という地名があるのも、札幌でも広くおかいこさんを育てていた事が分かるものとなっています。北海道の戦時下の地形図には桑畑の記号をみつけることがありますが、養蚕農家のあった証しとなっています。