年々歳々同じからず
えりも・悲恋沼の「ノハナショウブ」は今年7月9日に訪れた時には満開でした。思い返せば昨年も無数に咲いていたことを思い出しました。今年で悲恋沼のノハナショウブを見るのは3度目ですが、最初訪れた年はさほどの花の個体数ではなかったのです。年が変わるとその様子も大変わりするものなのです。
悲恋沼の散策路一面に群生する「グミの実」も今年はどうしたことか、まったく実が付いていません。春見た時にはグミの花が沢山咲いていたはずなのに、実をつける事もなくまったくないのです。一昨年はたわわに実をつけていて、綺麗な写真が撮れるであろうと何枚もシャツターを切ったものでしたが、今年は一枚もグミの写真を撮る取ることもなくその場を離れました。
野の植物はその年ごとに大きく変化するもののようです。
そして今年、今年こそ襟裳岬西海岸の段丘上の黄色い花のセンダイハギの写真を撮ろうと出向いてみると、今年は温暖化でセンダイハギの花はすでに終わりを告げて、目的とした写真にはならずガッカリでした。
同じことが、わが別荘(?)の地でも起っています。昨年も、一昨年もオオジシギが天空を切って羽音を立てて飛んでいたのが、今年はまったく見ていないのです。かすかにある日に見たのは見たのですが、繰り返し行われるオオジシギの羽音、鳴き声とも取れる音を立てた天空を切る飛び姿をいまだ見ていないのです。
そこで、「不思議 不思議 オオジシギを(今年は)見ていない」の言葉になって頭の中で渦巻いています。
自然は少しのずれで、花も鳥も変わるらしいのです。
そういえばカッコウはいつまで鳴いているのでしょうね?。今年は郭公の声に関心があったので気を付けて聞いているのですが、いまだにカッコウ、カッコウと鳴いているのです。郭公たちにはまだ春が続いているのでしょう。
市街地ではまったく聞かなくなったカッコウの声は7月15日になっても我が別荘の近くの防風林から聞こえてきいます。