雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

今年度始めての大雪 11月13日

2014-11-14 23:12:15 | 記録

大雪だあ! 一日で13㎝ 野山、そして平地も銀世界に。

ニシン漬けようやく漬けこむ。

13日夕方から雪が降り出し、夜中じゅう降り続き、札幌でも積雪13㎝となりました。14日も一日中降り続き、一気に一面が冬景色に変ったのです。

一面が白銀の世界になり、落ち葉も隠れ汚れ無しの風景となりました。、本州の人から見ればみごとで美しい景色に変化したのです。

庭に植えられているニシキギの実の上に雪がのっかり綺麗です。

雪が降る天気予報を聞きながらも毎日せわしくしていて、ようやく今日(13日)になって、頑張って「ニシン漬け」を完了しました。漬物主任はラビ妻で、漬物の食べ役はカムイラビットということです。

我が家の冬の漬けものは味が良く、食が進みます。家の漬け物はラビ妻の友人たちからも喜ばれ人気です。

14日の朝、庭に実を付けていた木イチゴの赤い実の上にぼた雪が積もり綺麗でした。

我が家の毎年定番の漬物の一つが「ニシン漬け」で、他に「カボチャ漬け」の2種類にこのごろはしぼっています。以前には玄米漬やら味噌粕漬けやら4種類も、5種類も漬けていたのでしたがね。

今年の計画では、早めに「ニシン漬け」をして11月中に食べてしまい、そして12月にもう一度ニシン漬けをして漬け物を楽しむ計画でいたのですが、こう時期が遅くなっては2度目のニシン漬けは漬けずじまいになりそうです。

キャベツは当別の農家の無人野菜販売所から買い入れました。美味く漬かるのが楽しみです。


石狩映画の舞台 喜びも悲しみも幾歳月 これぞ魅力の風景

2014-11-10 22:25:31 | 歴史

喜びも悲しみも幾歳月

松竹映画の「喜びも悲しみも幾歳月」を年配の方は多く知ってられることでしょう。石狩灯台を舞台に物語は作られました。カムイラビットの心の中にもこの映画の画面の一部が焼きついて残っています。

楽しみの少ない年代にあってこの映画が強烈であったのでしょう。今この映画を再生して見てもむかし与えられた強烈さは感じなくなっています。

佐田啓二、高峰秀子主演の映画で、その時の様子の写真がハマナスの丘の建物に展示されています。掲示されている写真を見て、一枚、一枚の写真に当時を伝える貴重さに関心しています。

 子役に起用されていたのは地元の子供たちであったそうで、当時としては町を上げての最大の行事となったことが伺えます。

  

  

佐田啓二、高峰秀子さんのサインのコピーも飾られてあって、コピーであっも貴重なものをみせてもらったという思いに浸れます。 

 

そのあと、石狩での映画の撮影はありませんでしたが、10年も前になるでしょうか、石狩浜などをロケ地にした「天国の本屋・恋火」が作られました。石狩での映画ロケはこの二本ということでしょうか。

あるいきさつから、天国の本屋・恋火にラビ妻も、カムイラピットもエキストラに出ることになり、一カットの画面に映像として残りました。この時は沢山の人がエキストラとして集められ、大賑わいのロケでした。

 

 


金だけ・今だけ・自分だけ

2014-11-09 07:41:51 | 紹介

「三だけ」の話し

NHK朝のラジオで、「三だけ」の人が多くなったとの話がされていました。どうゆう事かと言いますと、①「金だけ」儲ければよいような人が多くなっている。それも②「今だけ良ければ良い」と生活する。、今その人にとって都合がよければ良いという事です。三つ目は③自分だけ良ければ(満足すれ)ばと云う事で、すべて自分に都合が良ければ良いという、身勝手な人が多くなっていると云うのです。この話しに納得する事があります。

太平洋戦争の時に外人たちが日本人の当時の記録映画の姿を見て驚いています。それは食料配給の時整然と並び受けている姿です。これほどまでに切羽詰まって生活していても整然としている日本人の姿に心から驚いているのです。三年前の三陸地震の時も整然とした日本人の行動にも外人は驚いています。日本に流れている心には素敵な人としての流れがあるのです。

中には地震の被害を受け留守になった家に盗みに入るやからがいると報道されていましたが、その人は「三だけ」の人になってしまっているのです。生活が豊かな人、貧しい人と二分化された結果なのかもしれません。

10月に襟裳岬に10度目の写真撮影旅行に出向いた折、風の館近くの岬のお花畑にビニール包みの大きなごみが二個も無造作に投げられていて驚きました。心無い人がいる物だと腹立たしく思いました。典型手的な「三だけの人」なのです。投げた人は経済的に苦しいわけでなく、心の貧しい人になっているのです。

自分だけが良ければよいというの典型な的な人なのでしょう。このビニール袋をお花畑で見た時、秋にようやく咲きだしたお花の為の囲いかと一時思ったのですが、とんでもないごみが捨てられていたのです。この出来ごとで心がすさびました。皆で自然を守ってこその観光地だからです。

先日もそうでしたが、石狩のブユニの丘フォーラムの帰り道海岸線のススキの原の道をドライブしましたが、海岸から「佐藤水産」近くの国道に入る道の周りはゴミが散らばった気持ちの悪い道となっています。近年はビニール製品が多く、自然にくちないのでゴミがたまっていくばかりです。誰が投げたのでしょう。自分だけが良いという人が多くなったことにがっかりします。

錦江湾沿岸が国立公園になる

近年鹿児島の錦江湾沿岸が国立公園になったそうです。一番新しい国立公園として指定されたのです。景色の良い場所の様ですが、住民が一体となってごみを取り除き、むかしの姿にもどす努力が繰り返えされた努力のたまものなのです。

錦江湾の話と同じように、世界自然遺産になった富士山もむかしはその麓はゴミの捨て場所になっていたそうです。ある人の呼びかけ(この人の講演をお聞きしたのですが今思い出せません)と多くの人たちの協力でゴミは一掃され綺麗となり、富士山が自然遺産に指定される迄になったのです。「三だけ」の人が多くなれば、世の中がすさぶばかりになるので、自分だけ良ければ良いという考え方は取り除かなければ良い世の中は保たれません。

まず、身の周りにある「良い物(事)」を見付けて前向きに生活することによって、お互いがエネルギーを発することになるのです。多くの人が自然を愛せる世の中が望まれます。

 

 


「石狩灯台」 絵になる風景 喜びも悲しみも幾歳月の映画の舞台

2014-11-06 22:26:28 | 観光

灯台は絵になるねえ!

今回ここに載せた写真はすべてブユニの丘から撮影したものです。

 

ブユニの丘カフェーの二階から見る風景、景観がなかなか良いですよ。

石狩川河口の砂州にある灯台、年々砂州が延びて「灯台として役に立っているのかなあ!」と思う位置に今では灯台があります。いま石狩灯台付近も観光地として価値が見出されてきています。

砂州の根元にあっても、灯台があるか無いかで景観がまったく違います。灯台があることによって風景にメリハリが出来ています。

 

もともと石狩灯台は白色一色だったと言います。「喜びも悲しみも幾歳月」の灯台守の映画の撮影の時に白と赤の縞模様に色が塗りかえられたといいます。

風景写真としても、絵描きさんが絵にするにしても灯台が無ければ風景としての面白味がありません。カムイラビットの言う臍がそこにあると云う事になります。

5日(11月)に石狩浜のフォーラムに出掛けました。この間も石狩浜に出向いたので、今年は5度も石狩灯台近くに出向いたことになります。今回も何枚かの灯台の写真を撮りました。さすがに秋も進み外は寒い風が吹き、浜の辺りをまわる気持ちにもなれず、ブユニの丘から撮影したのみですが、さすが灯台は絵になりますねえ。 

ブユニの丘カフェーの二階に飾られているスケッチも石狩灯台がありました。 

 

石狩市でフォトコンテストもしているのですが、何枚か石狩灯台を入れた写真がありました。落日と灯台の組み合わせの写真も面白そうです。

 

この日は海も荒れていて、海岸の波もまた魅力的でした。

帰り道、水産加工品販売で知られる「佐藤水産」に寄り、夕食のおかずの一品を買い求めてきました。


群来(クキ) ニシンが群れ来る

2014-11-04 19:19:53 | 

ニシンの「群来」はむかしの話しか。

「群来」と書いて何と読むのでしょう。この群来という言葉は多くの人に知られているものなのでしょうか。意外に読めない人もいるようです。読める人でも、クキを漢字で書いて見て下さいと言われると多くの人が書けないのです。意味もわからない人がいるでしょう。

大辞典(小学館)によると 次の様に書いてあります。「くき 群来」魚が産卵のために沿岸に大群で来ること。特にニシンについていう。→鰊群来」。

春ニシンが産卵のために沿岸に押し寄せ、沿岸がニシンの精子で海が乳白色に色付きます。かつての乱獲でニシンが押し寄せなくなり、群来ることが無くなりました。近年ではニシン資源保護が進み、海が乳白色になる現象(群来)もみられるようになりました。近年の努力で少しづつニシンの資源がよみがえって来たのです。

  

海の幸は捕りすぎると資源が途絶えてしまう事があります。自然との共存をはかりながら生活することが望まれる代表例となります。

昨日(11月3日)、北海道地理学会と他2団体の合同秋の大会があり小樽巡検が行われました。小樽を巡る工業地巡検が中心でした。

その中で「北の誉酒造」の工場見学がありました。お酒の中に「群来」という銘柄のお酒が作られておりました。最も北海道らしい名のお酒のように思われました。早速晩酌用に買い求めました。

 

また、見学地の中に「小樽市総合博物館運河館」があり、小樽での鰊漁の盛衰の歴史も学習出来ました。むかしのニシン漁は驚くほどの大漁であったのです。岩内のニシン漁もすごかったのですが、小樽のにしん漁もすごいものでした。当時は更に小樽の北の地にもニシンが群来ていました。

 

  

驚く事はオホーツクの紋別(市)にもニシンが群来ていたとの記録がある事です。

日本海の古平町にアイヌ語地名のヒロカライシ(ヘクロ・カル・ウシ=ニシン・捕る・いつもする処)という地名があって、今ではこの地は「群来(クキ)」と意訳した地名となっています。 アイヌ語が先か、和人が付けた地名かは良く分かりませんが、この地はアイヌ時代からニシン漁の盛んな所であったのです。

戦時中食料の不足気味な生活の中で、北海道の人たちの命を救ったのはニシンとクジラ肉でした。ニシンは箱ごと配給になり、ある時季の重要な食べ物となっていました。


モエレ沼公園 秋の素材で クラフト作り

2014-11-02 17:58:08 | 樹木

モエレ沼公園の最大の行事。

モエレクラフトⅥ 「公園の落ち葉や木の実で作る秋の工作」

この催しは今年で六回目、人気の行事です。毎年11月最後の土曜日9時過ぎから行われます。今年も50数名の親子連れが参加しました。齢を取ったの男の人も姿が見られました。

今回は写真でその時の様子を紹介します。

  

松カサは利用価値があります。

    

羊の牧場も作りました。

    

作業の様子です。木の実、花などはモエレ日だまりのサポーターが集めます。

  

                                     蔦の葉で花束を作りました。

  

    材料はふんだんにあります。

   

子供中心に作らせる親が今年は多く見られました。

来年は是非参加してみて下さい。この日一日カムイラピットはお手伝いでした。指導する仲間が10数人います。