雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

蜜蜂 異変

2015-07-03 04:46:35 | 草花

「蜜蜂異変」

蜂蜜をいつも安く分けてもらっていた農家のMさんから、「ミツバチが多量に死んで、蜂蜜を上げる(売る)ことができなくなった」と言われてから、もう5年以上もなります。

我が家では食事も自然志向で、できるだけ蜂蜜を使っているのですが、安く手に入らなくなるとそう言ってはおれません。

今年の北海道医療大学の「漢方・薬用植物研究講座」の第二回目の五十嵐一夫さんのお話にも「なぜ蜜蜂が大量に死んでいるのか」の話があり、「ふんふんそうなのか」と感心し、メモも取らずに聞き流してしまっている自分に今気づいているのです。

近年は、畑に行っても、蜂も虫も蝶もめっきり見なくなりました。ミツバチなども近くでなかなか見なくなりました。

むかしはトマトを植えると教えられた基本通りに「トマトトーン」を買ってきて、トマトの花に付けて完全に実がつくようにしていたのですが、今では、花粉の媒体する蝶も蜂も少ないのに完全にトマトが結実するで、トマトトーンを付ける作業はまったくしておりません。むかしと今の違いに不思議がっているのです。

身近に飛んでくる蜂はマルハナバチですが、むかし取りあさった蜂(マルハナバチ)より小型ですので、セイヨウマルハナバチかも知れません。この蜂は人に害を与えませんので、周りを飛ばしています。むかし花の周りに無数にいた蜜蜂の個体はいまでは本当に見なくなりました。

農家は形の整った製品を作ろうと、虫を駆除しますが、ついでに自然破壊に近い行為をしてしまっているのです。「仕方のないことである」と言ってしまえばそれまでですが、昆虫たちにとっては大変な時代を迎えていると言ってよいのかも知れません。

今蜜蜂にどんな異変が起きているのかについて説明します。

2014年度の農林水産省の報告によると、巣箱の近くで養蜂用ミツバチの死骸が多く見つかる大量死。この数は道内で27件あったと言います。13年度より8件少なくなったというのですが・・・・

この数の減少について、「原因となる農薬の散布を、ミツバチの活動が盛んな時間帯以外に行うなど、農家が養蜂家に協力した効果が表れた」のであろうと農水省では見ているようです。

この数字を見て、楽観するわけにはいかないのです。

大量死の報告は全国で79件、道内の報告件数は27件で全国の3割以上を占めることになります。道内で使用されている農薬の種類によるものなのか、大量に農薬を散布しているせいなのか。

ミツバチだけでなく長い目で見ると、道民の健康にもつながることが行われているという懸念さえ考えさせられるのです。

 

 


桑の実・蚕・繭、そして貴重な糸を取る

2015-07-01 11:35:20 | 草花

「桑の実」

  

年配の方なら誰しもが経験した桑の実、小粒ながら甘くて美味しく、木登りして取りあさって食べたことを思い出す事があるでしょう。

桑の木はしなりに強く、枝先でも子供たちの重さに耐えてくれます。桑の実の季節は今が旬です。白色から赤実になり、食べごろは黒紫色に変わります。黒味のものだけを食べます。

  

ラビ妻は山梨育ちですら、「桑の実を今朝食べてきた」というと、自分もその場所に行きたがります。山梨県はむかし養蚕業の盛んな土地でしたから、子供のころを思い出すのでしょう。

「何個か取ってきて」というのですが、つぶれやすくカップでも持っていかないと駄目ですので、まだ実現していません。

「それでは桑の実を食べに行こう」と誘うと「明日はボランティアの日で人に会うから駄目です」「友達に会うので口を紫にしてはいけない」などと言います。

桑の実は食べた後、口の中が紫色になり目立つので恥ずかしがり屋はなかなか食べに行けないのです。ポケットに入れて持ち帰ろうなら、服は紫色にそまり、汚れ取りに後ほど苦戦します。

もう三十数年も前のこと、帯広の百年記念博物館に出向いた折、たわわに実った桑の実を通路横に見つけ、これ幸いと桑の実を取っては食べたものでしたが、枝の裏側でごそごそするものが居る様子です。動くそのものを確認して驚きました。相手は「エゾリス」だったのです。

桑の実をあさるエゾリスを驚かしたのか、エゾリスがこちらを驚かしたのかは定かではないのですが、近距離でお互いが楽しんで桑の実を食べていたのです。

エゾリスも美味しく食べていたのでしょう。

「おかいこさん」

 絹糸を取る為には「かいこ」を育てなくてはなりません。養蚕業の基本はカイコ(蚕)を育てることから始まります。カイコは大切なものですから「おかいこさん」と呼びました。おかいこさんを育てるには桑の葉が必要でした。

桑は本州ばかりでなく、北海道にも桑の木が自生していました。戦時中は着る物にも不自由するようになり、おさがりのぼろ服を着せられました、服の穴をつくろう糸にも不自由していました。

そこで我が家でも、カイコを育てている農家に教わり、カイコを飼うことになり、小学1年生のカムイラビットも「桑の葉」を取ってくる役が与えられたのでした。その時の副産物が、桑の実だったのです。カイコは繭になり、繭玉の糸を集めて日常の糸をつくって使ったのでした。

札幌には「桑園」という地名があるのも、札幌でも広くおかいこさんを育てていた事が分かるものとなっています。北海道の戦時下の地形図には桑畑の記号をみつけることがありますが、養蚕農家のあった証しとなっています。