北アルプスと真っ青な空を背景にした松本城は見ている者を圧倒する存在感を示します。
松本城の前身は「深志城」です。
この深志城は信濃守護小笠原氏の本拠を守る支城の一つに過ぎず、小笠原氏の支族島立右近貞永が、1504年に居を構えたのが始りと言われています。
1550年、甲斐の武田信玄が信濃に進出し松本の地の守護小笠原氏を駆逐、その後信玄は信濃統治の拠点として一支城であったこの深志城を大改修し、平地の城としての体裁を整えました。
1582年、武田氏が滅亡すると小笠原氏が入城し「松本城」と名を改めました。
1590年、豊臣秀吉による徳川家康の関東移封に伴い、松本城には豊臣配下の石川数正が入り、数正・康長親子二代に渡る築城工事により石垣・天守を持つ城郭としての松本城が誕生しました。
1633年、時の城主松平直政が天守に辰巳附櫓と月見櫓を増築し、現在の「連結複合式」の天守が完成しています。
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松本城の前身は「深志城」です。
この深志城は信濃守護小笠原氏の本拠を守る支城の一つに過ぎず、小笠原氏の支族島立右近貞永が、1504年に居を構えたのが始りと言われています。
1550年、甲斐の武田信玄が信濃に進出し松本の地の守護小笠原氏を駆逐、その後信玄は信濃統治の拠点として一支城であったこの深志城を大改修し、平地の城としての体裁を整えました。
1582年、武田氏が滅亡すると小笠原氏が入城し「松本城」と名を改めました。
1590年、豊臣秀吉による徳川家康の関東移封に伴い、松本城には豊臣配下の石川数正が入り、数正・康長親子二代に渡る築城工事により石垣・天守を持つ城郭としての松本城が誕生しました。
1633年、時の城主松平直政が天守に辰巳附櫓と月見櫓を増築し、現在の「連結複合式」の天守が完成しています。
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