しなしなの記録

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ハンセン病に対する偏見と差別の歴史を学びました 松丘保養園

2010-08-08 07:05:38 | Weblog
 ハンセン病はかつてらい病と呼ばれていました。平成8年「らい予防法廃止に関する法律」ができるまで、「らい予防法」により、強制隔離が行われました。ハンセン病を引き起こすらい菌は、感染力が弱く、自然治癒する人もいます。スルフォン剤(1943年)、リファンピシン(1965年)という治療薬も開発されているそうです。WHOが1981年(昭和56年)に提唱した多薬併用療法で後遺症も無く治るようになったそうです。
 しかし、強制隔離は1907年「らい予防に関する件」から始められ、1931年の「らい予防法」で強化され、平成8年のらい予防法の法律廃止まで続けられたそうです。
 私は、物語で、「王様は恐ろしい、らい病に罹ってしまいました」というのを子供の頃に聞いた記憶があります。病気に対して、相当な偏見があったと思います。

 松丘保養園はこうしたハンセン病に対する隔離施設だった、全国に13ある国立療養所(他に私立の療養所が2つあります)のうち、最北に位置する療養所でした。
 トップの写真は松岡保養園の門です。
 下の写真は門の所に写っている案内看板を写したものです。



 かつて隔離施設だったため、ここには生活できる全ての物が揃っています。
 もちろん、郵便局もあります。松丘簡易郵便局です。



 施設があるから良いわけではありません。病気への偏見が患者の自由を奪うことになりました。さらに、旧優生保護法は、感染症であり、遺伝病でないハンセン病に断種という非人道的な処置を認めていました。本来は本人、配偶者の了解の基でなければできない断種手術が、なかば強制的にされていたそうです。断種は、1915年から開始されているそうです。妊娠したハンセン病患者には妊娠中絶が行われたそうです。かなり非人道的な行為がなされていました。偏見が差別を生んでいます。
 こうした差別と偏見から解き放つために、らい病はハンセン病に名称を改めたそうです。
 現在、松丘保養園は入居者が平均年齢70歳以上となり、超絶した高齢化社会です。運営には苦労しているそうです。郵便局訪問から、ハンセン病に対する偏見と差別の歴史を学ぶことができました。
コメント
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