私は札幌生まれ、札幌育ちです。当時の札幌の中学校では、修学旅行は青森県に行くか、道東に行くかでした。私の中学校では、青函連絡船を使い、青森県に行きました。その時、弘前城にも行きました。でも、何も印象に残っていません。友達と騒いだこととか、好きな女の子のことしかありません。
今回の郵便局訪問の前に46年ぶりに、弘前城に行こうと思いました。
弘前市役所前の追手門から入りました。
2層の櫓門で、戦国時代の古い形式だそうです。重要文化財です。このほか、天守と4の門と3の隔櫓が重要文化財です。
紅葉が美しいです。
弘前城は、1611年(慶長16年)二代藩主津軽信枚が築いたそうです。三重の濠と土塁を配し、五層の天守が有ったそうです。しかし、1627年(寛永4年)に五層の天守は焼失したそうです。しばらく天守の再建は江戸幕府から認められませんでした。ようやっと1810年(文化7年)に認められ、九代藩主津軽寧親が本丸辰巳櫓を解体して、三層の天守を築いたそうです。
南内門や辰巳櫓も紅葉に包まれています。
弘前城は、現在、石垣の修復作業が行われています。
膨らんできた石垣を積みなおすそうです。約10年の工期が予定されています。
下の写真が工事中の石垣の様子です。
ここに天守が載っていたのでしょう。
この工事のため、天守は約70m曳家されました。トップと下の写真です。
NHKでも曳家の様子が放映されていました。入口の門を残したままで、曳家できるかが最大の問題だったようです。その入り口から中に入ります。
曳家のための補強の鉄骨がそのままです。元の位置に戻すのにも必要だからでしょう。
そして、曳家に必要な道具も置かれていました。
天守の三階からは絶景です。紅葉と岩木山が美しく見えます。
「弘前城 石垣普請番屋」は現場事務所のようです。思わず、ニコッとしてしまいました。
石垣と濠、そして紅葉の美しいです。
上の写真のように丑寅櫓も紅葉に包まれています。3層3階の櫓です。この丑寅櫓、先に紹介した辰巳櫓、未申櫓は1610年(慶長15年)の建築だそうです。
四の丸には、石垣の石が全てに番号を付され、保存されていました。
本当は、桜の時期が弘前城に来るには一番でしょうが、「この時期の紅葉に包まれる城もたいへん美しく、魅力的だな。」と思いました。