私は、昨年の12月24日(日)、福岡県柳川市を散策していました。「ワラスボの干物」を見たあと、少し道を戻り、北原白秋記念館に行ってみました。
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「潮」と書かれた幕が張られています。
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北原白秋が生まれた1885年(明治18年)、生家は、北原酒造という酒造業を営んでいました。
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北原酒造はその後、1901年(明治34年)の沖端大火で蔵を焼失します。酒造業が傾き、1909年(明治42年)には破産してしまいます。
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こちらが、居間です。
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中には、酒造で使われたもののほか、児童誌「赤い鳥」が創刊されて100年になるとのことで、「赤い鳥」の展示がされていました。
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「赤い鳥」は、1918年(大正7年)鈴木三重吉が創刊します。北原白秋は創刊から参加していたそうです。北原白秋が作詞した「トンボの眼玉」や「この道」などの童謡は私も聞いたことが有ります。
庭には、大きな柑橘類が成っていました。
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「初恋小唄」では、カルピスを詩っています。
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建物の横手はこんな感じです。
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裏手に回ると堀に向かって階段が築かれています。
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昔は、水運が主流だったので、こうして船が着けるようになっているのでしょう。「潮」もここから、舟で出荷されていったのでしょう。