園長です。
卒園式が終わり、茶話会の途中、申し訳なかったのですが、席を中座させてもらいました。3月11日の震災の後、仙台にいる娘たちと孫が仙台から脱出することが出来なくなり、いよいよ私の出番になったからです。仙台では3人の娘達が住んでいます。今年は大学の卒業、旦那の転勤などでそれぞれが引越しやその準備で大変な3月を過ごしていたのです。私も3月6日には、3番目の娘の就職が決まり、引越しの手伝いをしてきました。4番目の娘はそれまでのアパートで3月27日まで。1番目の娘は孫2人と青葉区のアパート。その旦那は、単身赴任で茨城県つくば市で仕事。みんなバラバラでの生活状態のところで地震にあいました。最初は電話も通じず、大変な状況でしたが、長女の旦那が急きょつくばから駆け付け、3人を一番被害が少なく、ライフラインが一番早く復活した4番目の娘がいる来た仙台に運んでくれたのでした。そこで姉妹と孫2人はにぎやかに避難生活を過ごしていたのです。しかし、日が経つにつれ、交通機関の復興が極めて時間がかかることが判明。その上、燃料不足のため、仙台までの燃料を確保できず、おろおろしていましたが、事態は17日に急展開。13年間乗っていたシャリオグランディスからトヨタのプリウスに変えた車が地震と津波の被害をかいくぐり、届いたのです。この車はとてもいわくがあり、この日を待っていたかのような奇蹟の車です。私は、実はこのプリウスだけは買いたくないと思っていたのです。いっぱい走っているし、カッコも好みではないし、・・・でも妻が「これからは燃費。これ以上ガソリンの供給は見込めない。カッコはどうあれ、低燃費とエコ。」この言葉にしぶしぶ従った私ですが、今回、奇蹟のような走りで私たち親子を救ってくれたのがこのプリウスだったのです。トヨタの社員いわく「プリウスだとガソリン満タンで八戸と仙台を往復してもまだお釣りがくる。」、最初は信じませんでしたが、この非常事態、信じる者は救われる。うまく進む時はうまくいくもので、妻の父親が除雪機用のガソリンを20リットル確保しているという。あと20リットルは新車を買ったところにお願いし(幸運なことに園児の父兄がいる)何とか20リットル入れて納車してもらい、試運転を兼ねて仙台に緊急救助へ向かいました。信じてはいましたが、仙台まで往復約650キロ。仙台市内でそれぞれのアパートに荷物を運んだり、人を運んだりで、実際は700キロ近く走ることは、本当に可能なのか。東北自動車道は使えない。国道4号線を一直線。途中の渋滞も考えると、気が重くなりました。途中でガソリンがなくなったらそれこそミイラ取りがミイラになってしまう。それでも男は行かなければならない。子どものために、可愛い孫を救うために・・・。
3月19日。保育園の卒園式を終え、午後1時。救助隊出発。プリウスは荷台が狭く、娘たちの食料と救援物資で満載。渋滞を覚悟していましたが、ガソリン不足で道路を走っているのは「緊急災害」と書かれたステッカーを掲げたトラックと地元の乗用車が少しだけ。盛岡、花巻など大きな街はそれなりに車は走っていましたが、地方は信号がないと高速道路のような状態でした。一関を過ぎたあたりから暗くなり、宮城県に入ると道路端の電柱が傾いたり、橋のつなぎ目が段差になったり、建物が崩れたりと地震の被害が目に付くようになりました。明りのない街は昭和の町並みを見ているようで、普段の生活がいかに電気に頼っていたのかが実感できました。仙台市内も花の土曜日だというのに道路は閑散とし街を間違ったような感覚さえしました。午後8時過ぎ無事北仙台の娘のアパートで、孫と娘3人に合うことが出来ました。
20日は12時出発を目指して、朝早くから活動開始。お世話になった大家さんにあいさつしたり、荷物の整理、3番目の娘のところに荷物を運んだり、長女のアパートへ荷物を取りに行ったり・・・実は長女は妊娠中で4月末が予定日なので、無理な行動は出来ないのです。狭く小さいプリウスの荷台を目いっぱい使い、後ろの座席はルームミラーが使えないほど荷物を積む上げ、にわか運送屋に早変わりです。4番の娘はペットの関係で、とりあえずもうしばらく3番目の娘と一緒にいてもらうことにして、長女と孫2人と私たち夫婦で帰りの地、八戸へ向かいました。深刻な事態にも関わらず、二人の孫は大はしゃぎ(4歳と1歳)。いつの世でも子どもたちの声に救われることは多いのです。プリウスは八戸、仙台を往復して約700キロを燃費23.5キロを記録し走り抜けました。宣伝に偽りなし。それまでの車は高速を走って10キロ。今の時期だと5~6キロが普通でしたから、何と4倍くらいの燃費でした。これで高速を走ったら27~8キロ走るかも。緊急時には頼もしいプリウスです。おかげで八戸には午後7時30分に着きました。そのあと風呂に入り、1杯のビールのおいしかったこと・・・。今日は少し、腰が痛いです。なれない車に長時間乗っていたのでぎっくりの一歩手前の状況です。それにしても仙台の被害は甚大のようです。復興まで時間はかかるかも知れませんが頑張ってほしいと思います。来週は4番目の娘の救出に向かうこになるかもしれません。新幹線はまだ当分時間がかかりそうです。今回お世話になった方々には本当に心から感謝いたします。ありがとうございました。