園長です。
いやはや、この年度末、年度初めの忙しかったこと・・・。特に3月11日の大震災の後の忙しさは、これまでの54年間の中でも特筆する忙しさだったと思います。今年の元旦、家族が大移動するので事なきようにとお参りしたのが功を奏したのかどうかわかりませんが、この未曾有の大震災を我が家と保育園は無事に乗り切りました。今は平常の生活に戻っています。普通の生活がどれだけ大切なことか切実に感じています。
3月と4月に5回仙台へ行って来ました。3月19日のことは前回のブログで書きましたが、その後、娘達の引越しのために2度、軽トラックで仙台を往復しました。娘達が住む仙台は震災で大パニック。引越しどころか荷物も運べない状況でした。運送会社は燃料不足のため軒並み開店休業。3月中の引越しをあきらめろと言ったのですが、次の借り手からいつ引っ越すのかと矢のような催促を迫られたとの事・・・。仕方がないので妻の父親から軽トラックを借りて、ガソリンを携行缶に詰めて開通したばかりの東北自動車道をひた走りました。29日には末娘の引越し完了、後は粗大ゴミだけ。しかし仙台市では震災で粗大ゴミの収集はしていないとの事。仕方がないので再び私の出番。もみじマークの付いた軽トラックにまたがり、並み居る大型トラックを追い越しながら再び仙台へ。29日も宮城県付近はガソリンを求める車がスタンド付近で並んでいました。そういえば19日に行ったときは、高速道路のサービスエリアでは入りきれない車が本線の路肩に2キロくらい並んでいて、高速道路を人が歩いていました。長年高速道路を走っていますが高速道路を人が歩いているのを見たのは初めてでした。それだけ今回の事情は厳しかったと言うことでしょう。仙台市内は軒並みスタンドは閉まっていて、あいているスタンドは数珠繋ぎの状態でした。それでも仙台から粗大ゴミを山のように積み込んで八戸へ帰らなければいけません。昔、東京の職場で教わった「南京縛り」で荷物をきっちり縛り、はやてのように高速道を駆け抜けました。最近の「軽」は馬鹿に出来ないくらいスピードが出ます。2400ccクラスの高級車をスイスイと追い抜いていく軽もいます。でも、荷物を山のように積み、もみじマークの付いた軽トラックに抜かれた大型トラックの運転手は悔しい思いをしたことでしょう。
末娘の学校は15日に卒業式の予定でしたが、震災のため4月3日に延期になり、再び仙台へ。3月6日から数えて5回目の仙台です。今回は新車プリウスで快適な走りでした。腰も痛くないし、荷物もあまりありません。一般道で実証済みの燃費も今回も健在で、まさに経済的な車です。しかし、少しスピードを出しすぎたせいか、前回よりは燃費が伸びませんでした。やはり90~100キロくらいが適正なスピードだったようです。卒業式はとても素晴らしく、はじめて見る専門学校の卒業式に感動してしまいました。震災で学生が1名亡くなったそうですが、学生達を見守る学校の姿勢に胸が熱くなりました。式が終わり、3番目の娘が住むアパートで昼食兼夕食を親子4人で食べ、寂しそうな3番目の娘の見送りで八戸へ向かったのでした。
3月末から4月にかけて、保育園はいろんな書類を出さなければなりません。特にうちの園は特別保育事業をたくさんしているので、その請求、実績報告などで目が回るほどの忙しさです。いつも大変なのに、今年は地震の影響もありなかなか仕事がはかどりませんでした。そんな中、卒園、入園と職員はいつもどおりの仕事をテキパキとこなし、子ども達、保護者といつもどおりの保育をしています。見守る保育を推進して7年が過ぎましたが、子ども達の成長もさることながら、保育士の力が確実についてきたことを実感しています。こんな非常時のときこそ保育園の実力、保育者の力が見えてくるのだと思います。保育園は子どもがいて、職員がいて初めて「保育園」と呼べるのではないでしょうか。みんなに感謝したいと思います。