園長です。
3月19日、久しぶりの雨。晴れの卒園式には残念な天気となりましたが、地域の校長先生や来賓、保護者に見守られ卒園の門出をお祝いしました。27年度の年長組は、乳児組のときから少人数で、我が園では珍しく20人以下のクラス編成になっています。38年の歴史の中でも3回くらいしかない少人数のクラスでしたが、その分団結力と友情の絆が強く、たくさんの実績を残してくれました。これは長坂保育園の歴史として残り、伝統につながっていくものと思います。式ではこども達の真剣なまなざしが強く印象に残りました。子どもたち一人一人に卒園証書を手渡ししたのですが、その時の子どもたちのキラキラ輝く瞳が心に残ります。まさに「園長冥利」に尽きる思いがします。園長に仕事はなかなかこども達と関われない事務が多のですが、この時ばかりは一番近くでこども達と真剣に目を合わせることが出来るのです。小さい時からの思い出が目に浮かび、つい目がうるんでしまうこともありました。涙もろい担任のせいもあり、式は最初から涙、涙の連続でした。子どもたちを読み上げる声が涙で震え、それを見ている子どもたちも感動して泣きだす・・。それを見ている保護者たちももらい泣き・・・。全体を見渡す私も感動のあまり目頭が熱くなりました。式終盤の「お別れの言葉」では、18人全員が泣いていたようです。こんなに泣くこども達を見るのは久しぶりです。よほど担任との関わりが深かったのでしょう。とても感動した印象の強い卒園式だったと思います。式が終わった後、ささやかな「卒園を祝う会」が保護者主催で行われ、こども達を祝福しました。そこで披露してくれた「ひまわりの歌」は、どこで練習したのか、急こしらえの合唱団と合奏団でしたが心のこもった演奏をしてくれました。子どもたちが頑張れたのは、こうした保護者の献身的な見守りがあったからこそだと確信することができました。子どもたちはそれぞれ7つの小学校へ進学しますが、これからの活躍を大いに期待したいと思います。頑張れ長坂の子ども達。
3月16日。私が大学を終え、社会人1年生だった時にお世話になった先輩が「脳溢血」のために1カ月の入院療養後に亡くなりました。16日の夜、東京から電話があり亡くなった知らせをききました。私は大学を卒業した後、2年間東京に残り就職しました。卒業後はすぐに保育園で仕事をすることになっていたので、就職活動もしないで学生生活を謳歌していましたが、諸般の事情が発生し、卒業を控えた1月に親から「暫く帰って来なくてもよい」という連絡を受けました。頭の中は真っ白になりましたが、ちょうど同じアパートにいた大学の先輩の紹介もあり「渋谷急送」(今はもうありません)という会社に就職しました。今から38年前の昭和54年のことです。「就職の氷河期」と呼ばれた時代ですが、高度成長期の真只中でした。東京だとどんな仕事でも生きて行ける、と実感するくらい活気があった時代です。そんな中で知り合ったのが6年先輩のOさんでした。出身は兵庫県の山奥ということでした。少し関西なまりの残る話し方は同じ田舎から出てきた東北訛りの私と波長が合い、とても仲良くしていただきました。プライベートでもたまに麻雀したり(当時「チョンボのOさん」と言われていた。)、週末にはパチンコから飲み会ととてもお世話になっていました。私が昭和56年4月に八戸に帰るまでたった2年間でしたが、中味の濃い2年を過ごさせてもらいました。当時先輩は結婚したばかりで、こどもも生まれたばかりでした。その後、私が東京に行った時は毎回再会し、旧交を深めていました。年に1~2回は上京することがありましたが、そのたび会社で待ち合わせ、飲み会を開いてもらっていました。当時の社長さんとも未だに連絡をとっています。その先輩が亡くなったと聞いて、予定をすべてキャンセルして17日に会ってきました。言葉を交わすことはできませんでしたが、いつもの優しい顔がそこにありました。「おう、久しぶり。」という声が聞こえてきそうでした。38年間の思いが一気に噴き出し、号泣してしまいました。私たちの結婚式にも来ていただきました。また、2番目の娘が結婚した時も式に参列していただき、その後「酸カ湯温泉」で一泊し、吉田卓郎の「旅の宿」で有名な「蔦温泉」で入浴し、五戸町の「尾形」で馬肉を食べたことが八戸での一番長い時間でした。東北地方で地震が発生したと聞けば、いの一番に「大丈夫か」と連絡をくれ、八戸で凶悪事件のニュースが全国版で流れると「保育園の卒園児じゃないだろうな」と心配してくれ、最近は「美人過ぎる市会議員にあわせろ」などと軽口をいっていましたが本当に優しい先輩でした。昨年は12月10日に上京した折会ったのですが、まさかこんなに早くこの世から「卒業」するとは思ってもいませんでした。保育園の歴史は先輩との歴史と重なります。最初から保育園に来ていたら先輩との出会いもなかったことでしょう。人生はまさに「一期一会」。先輩は65年の生涯を閉じました。早い卒業だと思いますが、ご冥福をお祈りしたいと思います。大井さん今まで本当にありがとうございました。