園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

38回目の卒園式

2016-03-21 11:15:36 | 日記

園長です。

 3月19日、久しぶりの雨。晴れの卒園式には残念な天気となりましたが、地域の校長先生や来賓、保護者に見守られ卒園の門出をお祝いしました。27年度の年長組は、乳児組のときから少人数で、我が園では珍しく20人以下のクラス編成になっています。38年の歴史の中でも3回くらいしかない少人数のクラスでしたが、その分団結力と友情の絆が強く、たくさんの実績を残してくれました。これは長坂保育園の歴史として残り、伝統につながっていくものと思います。式ではこども達の真剣なまなざしが強く印象に残りました。子どもたち一人一人に卒園証書を手渡ししたのですが、その時の子どもたちのキラキラ輝く瞳が心に残ります。まさに「園長冥利」に尽きる思いがします。園長に仕事はなかなかこども達と関われない事務が多のですが、この時ばかりは一番近くでこども達と真剣に目を合わせることが出来るのです。小さい時からの思い出が目に浮かび、つい目がうるんでしまうこともありました。涙もろい担任のせいもあり、式は最初から涙、涙の連続でした。子どもたちを読み上げる声が涙で震え、それを見ている子どもたちも感動して泣きだす・・。それを見ている保護者たちももらい泣き・・・。全体を見渡す私も感動のあまり目頭が熱くなりました。式終盤の「お別れの言葉」では、18人全員が泣いていたようです。こんなに泣くこども達を見るのは久しぶりです。よほど担任との関わりが深かったのでしょう。とても感動した印象の強い卒園式だったと思います。式が終わった後、ささやかな「卒園を祝う会」が保護者主催で行われ、こども達を祝福しました。そこで披露してくれた「ひまわりの歌」は、どこで練習したのか、急こしらえの合唱団と合奏団でしたが心のこもった演奏をしてくれました。子どもたちが頑張れたのは、こうした保護者の献身的な見守りがあったからこそだと確信することができました。子どもたちはそれぞれ7つの小学校へ進学しますが、これからの活躍を大いに期待したいと思います。頑張れ長坂の子ども達。

 3月16日。私が大学を終え、社会人1年生だった時にお世話になった先輩が「脳溢血」のために1カ月の入院療養後に亡くなりました。16日の夜、東京から電話があり亡くなった知らせをききました。私は大学を卒業した後、2年間東京に残り就職しました。卒業後はすぐに保育園で仕事をすることになっていたので、就職活動もしないで学生生活を謳歌していましたが、諸般の事情が発生し、卒業を控えた1月に親から「暫く帰って来なくてもよい」という連絡を受けました。頭の中は真っ白になりましたが、ちょうど同じアパートにいた大学の先輩の紹介もあり「渋谷急送」(今はもうありません)という会社に就職しました。今から38年前の昭和54年のことです。「就職の氷河期」と呼ばれた時代ですが、高度成長期の真只中でした。東京だとどんな仕事でも生きて行ける、と実感するくらい活気があった時代です。そんな中で知り合ったのが6年先輩のOさんでした。出身は兵庫県の山奥ということでした。少し関西なまりの残る話し方は同じ田舎から出てきた東北訛りの私と波長が合い、とても仲良くしていただきました。プライベートでもたまに麻雀したり(当時「チョンボのOさん」と言われていた。)、週末にはパチンコから飲み会ととてもお世話になっていました。私が昭和56年4月に八戸に帰るまでたった2年間でしたが、中味の濃い2年を過ごさせてもらいました。当時先輩は結婚したばかりで、こどもも生まれたばかりでした。その後、私が東京に行った時は毎回再会し、旧交を深めていました。年に1~2回は上京することがありましたが、そのたび会社で待ち合わせ、飲み会を開いてもらっていました。当時の社長さんとも未だに連絡をとっています。その先輩が亡くなったと聞いて、予定をすべてキャンセルして17日に会ってきました。言葉を交わすことはできませんでしたが、いつもの優しい顔がそこにありました。「おう、久しぶり。」という声が聞こえてきそうでした。38年間の思いが一気に噴き出し、号泣してしまいました。私たちの結婚式にも来ていただきました。また、2番目の娘が結婚した時も式に参列していただき、その後「酸カ湯温泉」で一泊し、吉田卓郎の「旅の宿」で有名な「蔦温泉」で入浴し、五戸町の「尾形」で馬肉を食べたことが八戸での一番長い時間でした。東北地方で地震が発生したと聞けば、いの一番に「大丈夫か」と連絡をくれ、八戸で凶悪事件のニュースが全国版で流れると「保育園の卒園児じゃないだろうな」と心配してくれ、最近は「美人過ぎる市会議員にあわせろ」などと軽口をいっていましたが本当に優しい先輩でした。昨年は12月10日に上京した折会ったのですが、まさかこんなに早くこの世から「卒業」するとは思ってもいませんでした。保育園の歴史は先輩との歴史と重なります。最初から保育園に来ていたら先輩との出会いもなかったことでしょう。人生はまさに「一期一会」。先輩は65年の生涯を閉じました。早い卒業だと思いますが、ご冥福をお祈りしたいと思います。大井さん今まで本当にありがとうございました。

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バケツリレー

2016-03-13 11:31:55 | 日記

園長です。

 3月12日。地元中学校で卒業式がありました。ここは私の母校でもあり、各小学校に分かれた卒園児たちが再び一緒になり3年間を過ごします。今年の卒業生の中に卒園児は十数名いました。保育園時代と名字が変わっている子もあり、名簿だけでは判断できなかったので正確な人数はわかりませんでした。姿かたちも大きく変わった子。一目でわかる体だけが大きくなった子など9年間の歳月を考えさせられた時間でした。

 その式の中で校長先生の言葉が心に残りました。ある人の言葉を引用した言葉だそうです。内容は「人は、心に二つのバケツを持っています。ひとつは黄金水が入るバケツ。もう一つは泥水が入るバケツ。黄金水は他人が入れてくれるもので、自分では入れられない。良い評価や誉め言葉、他人への思いやりで増えていく。泥水は、いじめや暴力、汚い言葉、裏切りなどで増えていく。あふれた水は一番身近な人のバケツへ足されていく。たとえば両親、親友、大事な人。どうか皆さんは泥水でなく黄金水を溢れさせてください。」ということでした。うまく説明できませんが、私自身とても納得でき、こころに響く話でした。自分の意見を通そうとし、ついつい声を荒げたり、自分を飾ったりして、今まで泥水をいくら増量したでしょう。きっとバケツから水があふれ、身近な人へ感染したかもしれません。今日からこの言葉を思い出し、心安らかに過ごしていきたいと思います。

 3月は私たちにとって「師走」ともいえる月です。年度末、年度始めの準備から、事業計画、予算、決算、事業報告と役所や官庁へ足しげく通わなければなりません。保育園でも19日が卒園式で準備に余念がありません。昨日、卒園児一人ひとりの「卒園証書」を書きました。これまでの保育園生活を思い出しながら、気持ちを込めて書かせてもらいました。・・・しかし、字が書けない。パソコンでの書類作りがおおいので毛筆(筆ペン)の感覚が戻らない。(私は幼少のころ書道を習っており実は有段者なのです。段位は「じょうだん」。)昔は少し賞状を犠牲にしてもかけたのですが、卒園児の倍以上の卒園証書を書き損じてしまいました。中には字のバランスがとりにくい字があり、一人の証書に10枚ほどかかったものもありました。「誰か上手な人に書いてもらったら・・」と副園長は言うのですが、こども一人ひとりへ私の思いを伝えるために頑張っています。子どもたちは「もっと上手な字がいい。」と言うかもしれませんが、字は上手下手ではないのです。気持ちなのです。卒園式が終わったとじっくり見てください。私が君たちに心をこめて書いた君たちの名前が輝いて見えるはずです。卒園おめでとう。

 最近、なかなかブログが書けない状態だったのですが、卒園証書を書きあげたら心に余裕が出来たようです。これから新年度の準備も始まりますが、自分を見失わないよう「黄金水」が増えていくような気持ちで頑張りたいと思います。

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ブログ

2016-03-13 10:51:17 | 日記

園長です。

 「保育園に落ちたわ・・・。」というブログが世間を騒がせています。保育所の待機児童の問題なのですが、私はこれを聞いて、「世の中変わったなあ。」と思いました。今までだと阿倍総理が言った「匿名の話は聞かない」対応が普通だったのに、たった一人のしかも匿名の批判記事に躍起となって対応しようとしています。結果的には、私たちには嬉しいことなのですが、これまでのことを思い出すと釈然としないものがあります。

 私の園では、全国的な保育団体の組織に加盟しています。毎年、保育制度、保育士(保育教諭)等の改善を求め、署名運動や資金カンパに協力しています。この署名運動は、衆議院・参議院議長あてで、毎年多くの署名が集まります。待機児童に対しても、これからの保育制度に対しても時間をかけ、お金をかけて地道に活動してきました。しかし、残念ながらなかなか良い結果には結び付いていません。それを考えると「たった一人の匿名からの批判」で、制度の充実を考える方向性に動いています。たった一人の国民の声に耳を傾けたのでしょうが、私たちの今までの運動、活動は意味がないことだったのか考えさせられました。署名運動より匿名のブログを一国民のように見せかけて発信した方が効果があるのでしょうか。

 昔、「1.57ショック」と言われた時代がありました。私がこの保育の世界に入ったばかりのころでした。「人口減少」「少子化」は日本の危機につながる。経済活動の停滞、国民の意欲、社会保障問題を考えると少子化に歯止めをかけないといけない、そのためには保育制度の充実、保育士の賃金改正は避けて通れない、こどもにもっとお金をかけて欲しい。・・・・という私たちの要請に、国の役人がこう言いました。「皆さんは先進諸国の中で子どもにかけるお金が一番低いと言いますが、この先日本は少子化になり、今のお金でも十分足りるようになります。」と。・・・その結果が今の現状です。この現状を打破するために「消費税10%」を前提に、こどものためにお金を使うことになりました。もっと早く動いていれば違う場面が予想されたかもしれません。でも動いてくれたことに感謝したいと思います。

 もうひとつ。今、保育士不足が叫ばれています。その解消のために保育士の賃金を上げるように指導しています。保育士にとっては朗報でしょうが、制度自体が未熟で先行きが不透明な時にとても不安を感じています。待機児童の問題は大都会の問題であり、日本のほぼ9割は定員不足の状態です。2020年の東京オリンピックが終わるころには、その東京でも人口減少、少子化に突入するそうです。待機児童解消のために「雨後のタケノコ」のように出来た保育園は一体どこに向かうのでしょうか。そこで働いていた保育士はどこに向かうのでしょうか。日本の保育、日本の未来に不安を感じている園長です。

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お別れ会

2016-03-11 17:24:09 | 日記

園長です。

 いつの間にか3月も半ばになろうとしています。平成27年度もいよいよ最終局面に入りました。わが園では卒園式が19日に予定されています。昨年は新制度移行の混乱を避けるため、1週間早く行いましたが、今年は元へ戻しました。まあ、いつ卒園式を行っても、子供たちはほぼ全員が3月31日まで保育園に来ます。本当のお別れは3月31日だと思っています。

 今日は保育園の全員と年長組の一部保護者が参加し、にぎやかなお別れ会になりました。今年「長坂号」の機関車として頑張ってくれた年長組。人数は少なかったもののチームワークは抜群でした。サッカー大会での三冠を初め、たくさんの成果を残してくれました。この成果は長坂保育園の伝統として歴史に刻まれることになります。そんな子供たちでしたが、いよいよ卒園となれば少しさみしい感じがします。今年のお別れ会は、1歳児の「働く車」の歌が楽しかったです。工事現場で働く車や人の様子を面白おかしく表現していました。ちょび髭を付けた現場監督の格好をした1歳児には見学に来た保護者も大きな拍手をしていました。

 年長の子供たちから職員に「感謝状」が贈られました。私ももらいました。嬉しさとともに「もう少し遊んでおけばよかった」と反省しました。最近は、サッカーも職員に任せ、指導もほとんどしません。それなのに「サッカーを教えてくれてありがとう」と書かれてありました。昔のように体が動かなくなったので、口での参加が多くなりました。技術よりも精神面での激励が多く、最後は「勝ったら岩手の子どもの森へご招待」などと保育では最低の「ものでつる」ことを平気で言ったりしています。でも約束だけは守るようにしています。子供たちとの約束は絶対です。たまには知らんぷりをしたくなることもありますが、これだけは守り通そうと思います。

 明日は、中学校の卒業式。18日は小学校の卒業式。そして19日は卒園式です。まさに別れの季節です。「合うは別れの始まり」と言いますが、やはり少しだけ寂しくなります。今、来年度の新入園児が決まりましたが、引っ越し、転勤などで動きが出ています。別れがあって、出会いがあります。どんな出会いが待っているのか楽しみです。それにしても忙しい。歳のせいだけではないようです。

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