園長です。
4月25日、思いもよらないアクシデントが発生しました。人間とはこんなに弱いものかと実感した出来事でした。
わが園でインターネットを導入してから、かれこれ10年以上になります。その間、エアーステーションを導入し、無線で快適な電化生活を送っていました。園舎を改築する前から導入していたものの、これまで不平不満もないまま来ましたが、今週の月曜日あたりから、インターネットやメールがつながらない状態になりました。業者に連絡したら、「寿命」なのだそうです。26日に変わりの機器を注文し、それでも到着が28日以降になるという。これまでいろいろ使用の仕方が悪く、切断したことはあるけど、これほど長期にわたりインターネットやメールが使えなくなるのは初めてでした。
おかげで、ここ数日快適な日々を送らせていただきました。メールが使えない、インターネットにつながらないということで、パソコンに向かっていた時間が減り、子どもたちと遊ぶことが出来ました。久しぶりに園庭に出て、子どもたちからサッカーボールを奪い、あっという間に奪い返され、おまけに足がもつれて、子どもを道連れに転んでしまいました。しばらくぶりに子供たちの体温を感じることが出来ました。28日は青森市で会議があったため、3日間、完全にインターネットとメールがない生活を過ごしました。パソコンにいかにこき使われてきたのかがわかり、愕然としましたが、県、市からのメールは当たり前、各種調査もメールがほとんどです。パソコンのない仕事は考えられませんが、ルーターですべての機会とつなげていたので、プリンターまで使えなくなりました。何とか線をつなげて、園長のパソコンだけはプリンターとつながりましたが、保育教諭たちが使うパソコン7台は見事に開店休業状態でした。
今日の朝、完全復活したパソコンに向かい、メールをチェックすると、なんと大量のメールが蓄積されていて、どれから処理したらいいか迷うほどでした。特に役所関係からの「至急」の調査が私の心を痛めています。同じような調査を何回作ったらいいのか・・・・。新制度になったら快適な事務処理ができると思っていた私の考えがいかに甘かったのか思い知らされています。
しかし、この3日間ルーターが壊れたおかげで、電子機器の重要性とそれが使えなくなった時のショックを改めて感じることが出来ました。高度な通信機器もいいのですが、「使っているのか」「使われているのか」わからなくなりました。でもこれだけは言えます。「使えないという理由が心に大きな余裕をもった。」ということです。パソコン、メール、インターネットは今、なくてはならないものになりましたが、その分、心に余裕がなくなっているのではないでしょうか。凡人には難しい問題です。