園長です。
今日は6月30日。神明宮の茅の輪くぐりの日です。1年のちょうど真ん中、無病息災をお祈りしてきました。この地方では「シンメン様」と言われ、サクランボがちょうど出盛りになります。沿道では「佐藤錦」が大きな顔で並んでいます。今日は、雨模様だったのでイマイチの人出でしたが、保育園の子どもたちにも何人か出会いました。参道には夜店が立ち並び、夏の夜の賑わいを醸し出していました。妻と4番目の娘と孫2人で行ったのですが、夜店が初めての孫たちは、たこ焼き屋を見ると立ちどまり、金魚すくいのところではしゃがみこみ、非日常の雰囲気を十分に楽しんでいました。「たこやき」「チョコバナナ」「シャンピン」「綿あめ」「大判焼き」を買いました。味は大したことはないのですが、雰囲気に飲み込まれ買ってしまいました。
大判焼きと言えば、小学校の時に大笑いの思い出があります。私は、小学校の4年生から6年生まで「書道」を習っていました。春から秋は歩いて30分くらいの塾までを歩いて通っていましたが、さすがに冬は厳しいのでバスに乗って通っていました。塾は廿三日町にあり、帰りは裏通りの「神明宮前」から乗っていました。この神明宮前には屋台の「きんつば焼き」屋があり、寒い日にはちょうど良いおやつになっていました。今から約45年くらい前ですから、1個5円か10円だったと思います。バス代は往復分20円しかもっていなかったので、本来は「きんつば」は買えないのですが、そ日は小学校の後輩もいて、ついいいところを見せようとして、「きんつば」をおごってしまいました。寒い日のほかほかのきんつばは最高です。甘いアンコとカリカリの衣。冬の北風に吹かれながらきんつばを食べていると幸せな気分になり、バス賃を使ったことをすっかり忘れていつものようにバスを待っていました。そしてバスに乗り込んだのでした。バスに乗り込んで、しばらくして、思いっきり焦ってしまいました。バス代がない・・・。寒い日でしたが汗が背中を流れるように流れていました。仕方がないので運転手さんに事情を話すと、「次に乗った時に今日の分を払ってね。」と一言だけ言って許してくれました。本当にいい時代だったと思います。
私は、鯛焼き、大判焼き、大福餅など甘いのもが大好きですが、この「きんつば」(おやき)だけは甘いだけではなく、しょっぱい味もする思い出です。あの当時はみんなが貧乏だったので少しくらいのことはみんなが多めに見てくれていたような気がします。2人の孫にはとても理解できないような、昭和のとても甘く、酸っぱい切ない思い出です。