園長です。
今日、3月20日は、小学校の卒業式でした。わが園では、私と副園長が二手に分かれて地元の小学校へ行きます。地域でいろいろお世話になっているので「学区」の小学校への配慮は欠かせません。数年前までは、私や子供たちが卒業した「母校」へ行っていましたが、最近は保育園が学区の小規模に近い小学校へ行くことが多くなりました。替りに副園長がわが母校へ行く回数が増えました。こちらは中規模校で卒業生も百人近くいます。今年の卒業生は保育園の時から「やんちゃ」な子たちが多く、いろんな意味で注目されていた子供たちでした。1,2先生のころは学校から「問い合わせ」が多く、本当に心配でしたが、5,6年になると新聞等に絵画や作文、スポーツ(特にサッカー、スケート)で多くの賞をいただいていたようです。「手のかかる子供たちの方が良く育つ」と言われますが、まさにその通りのようでした。一方、私が行った小学校は、年々子供たちが減り、卒業生も20人を切っていました。当園の卒園児も一人しかいませんでしたが、女子のサッカー界では有名な小学生になりました。保育園時代から運動神経は抜群でしたが、小学校の指導で芽が出たようです。何の世界でも「指導者」の影響は強いものです。4月からはサッカーが強い中学に行くようです。将来は「なでしこジャパン」で活躍してほしいと思っています。小人数での卒業式でしたが、とても感動した式になりました。全校の在校生から涙で送られ、廊下で泣いていた卒業生に来賓の皆さんは感動していました。中学校での活躍を期待します。
さて、3月20日。あれから20年も経ってしまいました。「地下鉄サリン事件」です。20年前の3月19日は保育園の卒園式。一脚早く小学校の卒業式が終り、我が家の長女と三女が小学と保育園を同時に卒業したお祝いとして「ディズニーランド」へ行くことになっていました。3月20日、朝。八戸駅を無事出発したのを見送り、私は仕事へ。お昼に母から電話がありました。「東京がすごいことになっている。こどもたちは大丈夫か。」と・・・・。急いでテレビをつけると、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」が流れていました。その日、娘たちは上野駅で私が東京で仕事をしていた会社の社長の奥さんと待ち合わせをしていてました。地下鉄「日比谷線」でいく予定でした。まだ携帯電話を持っていなかったので、東京からの連絡待ちでしたが、あとで聞いたら本当に大変だったということでした。それでも社長の奥さんがあの手この手を使ってディズニーランドまで連れて行ってくれたそうです。あれから20年・・・。今では長女は3人の子供の親。三女は26歳になり、社会人として生活しています。社長の奥さんとは今も年2回くらい電話でお話しています。この時期になると私ではなく、妻が電話に出て「あの時は・・・・。」と懐かしい話をしています。「風化」という言葉をよく耳にしますが、どうでもいいことはすぐに忘れてもいいでしょうが、このようなサリン事件や東日本大震災など歴史が変わるくらいの事件や事象については良く検証し、次のための試金石にしなければならないと思います。
今日は3月20日。新年度からの新しい職員が書類を持ってあいさつに来ました。これから始まる保育教諭としての新生活が嬉しくもあり、不安でもあり、緊張しているのが手に取るようにわかりました。少し脅しもかけながら、保育士としての責任、社会人としてのマナーを話しました。笑顔のかわいい二人でしたが、2週間後はどんな顔をしているのか少し楽しみな感じがします。頑張れ社会人1年生。4月からよろしく。