園長です。
「え、うそ~」。イギリス国民がEU離脱を選択した。ここ数日このニュースでもちきりだ。時差が8時間もある遠い国での出来事なのに、その衝撃は一瞬で世界中を駆け巡る。ここ数日は「離脱派の後悔」が英国中から聞こえているそうだ。イギリスの内情は私にはわからないが、よっぽどの事情があったのだろう。直前の予想では残留派が優勢とでていたので、どういう事情でこうなったのかとても気になる。これから先のイギリスの将来を思うと決して楽な歩みではないように思う。元ロンドン市長の説明責任は重いように感じる。
日本では「参議院選挙」の真っ最中、これからの日本の将来についても深く考えなければいけないだろう。さて、政治と言えば公明正大、公平、平等という言葉が頭に浮かびます。高校の授業「公民」でもそう習った記憶がかすかに残っています。平等という言葉を聞くと私は高校生の時のある場面を思い出します。
私の入学した高校は白銀の丘にあり、当時付近には住宅も数件しかなく、荒れた大地に校舎だけが燦然と輝いているような高校でした。市内からの生徒は主にバス通学、へき地(地方、町村、県外)の子は八戸線の「白銀駅」から歩いて通っていました。私は市内だったので春から秋は「自転車」、冬の間だけは「バス通学」でした。我が高校には校長より恐ろしい「鬼の教頭先生」がいて、姓をMといい、名前は「又三郎」、人呼んで風の又三郎ならぬ「鬼の又三郎」と呼ばれていました。この教頭先生が活躍するのは朝、遅刻した生徒を取り締まるときです。彼は毎朝玄関の入り口に仁王立ちになり、始業のベルが鳴り終わると鬼のような形相で玄関の重い扉を締めます。そして逃げ遅れた生徒の襟首をつかみ職員室の前まで引っ張っていき、説教が始まります。その恐ろしいこと・・・。私も何度かつかまり身の縮む思いをしましたが、純真な高校生には耐え街時間だったことを覚えています。
そこで問題はこの「公平・不公平」です。私たちが乗ったバスは途中いろんな交通事情で予定通りには到着しません。そこで遅刻した理由・・・となるのですが、「バスが遅くなった」という理由は鬼の又三郎先生には通用しません。「バスは遅れるものだ、ひとつ前のバスに乗れ。」・・・ということになります。しかし、電車通学の子たちには「電車が遅くなったのは仕方がないねえ」だけで無罪放免。こっれって「不公平だ」とバス通学の連中が騒ぐと、「うるさい。鉄道は時刻表通りに動くことが前提だ。電車が遅くなったことはそれなりに理由があるはずだ。」と言ったのです。「バスにも時刻表がある」という反論には、バスは道路を走る、道路は交通事情というものがある。鉄道は電車しか走らない。時間通りに動くものだ。」・・・。今思うとすごい屁理屈、こじつけだと思うのですが、当時はまだそこまで反論する勇気はなく、仕方なく右のほほをバシィとなぐられ一件落着したのでした。でも、昔はそんなもんでしたね。先生の言うことは絶対で、親も先生の言うことは疑いもしませんでした。それでも人間は逞しく育っていくのです。今の子供たちを見るとわがまま一杯で、うらやましく思うこともありますが、逞しく育つかどうか不安なところがあります。スマホでゲームばかりの子どもたちの行く末が気になります。