園長です。
今年の夏は、例年にないくらい暑い夏になっています。真夏日がかれこれ10日くらい続いているのではないでしょうか。暑い夏と言えば「甲子園」です。それも地方予選が面白いのです。暑さを通り越して熱くなるのが高校野球なのです。私も若い頃は野球に明け暮れ、中学は軟式、高校は高級・・ではなく硬式野球部で、一応夢の「甲子園」を目指したものでした。今考えると、幻と幻想の世界で夢を追っていたように思います。現実を知らない恐ろしさ・・それが高校野球の魅力なのかもしれません。私が中学2年生の時に、あの大田幸司率いる三沢高校が決勝で延長18回引き分け、再試合で4-2で負け準優勝に輝きました。それまで青森県は県予選を勝ち抜いても「北奥羽大会」という、秋田県や岩手県との戦いがあり、ほとんど甲子園にはいけない状態でした。この三沢高校が私達少年の心を熱く燃え上がらせたのです。しかし、現実には我が母校はいつも1回戦負け、良くて2回戦。私が在籍した3年間は、2回戦、1回戦、1回戦で散りました。私のときは特に悲惨で、相手が優勝候補だったせいもありますが、あわやコールド負け寸前の敗戦でした。私の甲子園はあっけなく終わりましたが、野球を通して多くのことを知りました。昨年なくなった私達の仲人は高校の先輩であり野球部の監督でした。弱小チームだった我が母校は3年生が4人しかいませんでした。2年生の秋の大会はよその部から助っ人を頼んで出場しました。今考えると私達が北校の野球部を救ったのだという自負があります。今でもときどき4人で飲み会をしますが、苦しいときを共に戦った戦友は一生の宝物です。汗と涙の3年間は私にとって大切な思いでになっています。特に最後の試合、青森県営球場での試合は、4打数3三振、1キャッチャーフライという、最悪の出来で、泣いても泣いても涙が止まらなかった思い出があります。そして、朝一番の列車で応援に来てくれた父の「ご苦労さん、何か冷たいもので飲むか?」という優しい言葉に、号泣したことが忘れられません。それまであまり優しい言葉をかけてもらったことがなかったので、特に感激したのだと思います。もう亡くなって9年が経とうとしていますが、今でも心に残っています。普段は何も言わない父でしたが、あの時だけは父として親として、立派に仕事をしたのだと思います。夏が来れば思い出す、私と父の秘密の思い出です。
今年の青森県代表は八工大一高が甲子園へ駒を進めました。選手の頑張りもさることながら、応援する家族や友人の支えは大きいと思います。晴れ舞台で活躍する選手を支えているのは親の愛情だと思います。やっと最近そのように思うことができるようになりました。私も父の年齢に近づいたということでしょうか。とにかく工大一高の健闘を祈りたいと思います。頑張れ工大一高、そして3年間の集大成を楽しんできてくれ、君達に敗れた多くのチームの分まで・・。
今年の夏は、例年にないくらい暑い夏になっています。真夏日がかれこれ10日くらい続いているのではないでしょうか。暑い夏と言えば「甲子園」です。それも地方予選が面白いのです。暑さを通り越して熱くなるのが高校野球なのです。私も若い頃は野球に明け暮れ、中学は軟式、高校は高級・・ではなく硬式野球部で、一応夢の「甲子園」を目指したものでした。今考えると、幻と幻想の世界で夢を追っていたように思います。現実を知らない恐ろしさ・・それが高校野球の魅力なのかもしれません。私が中学2年生の時に、あの大田幸司率いる三沢高校が決勝で延長18回引き分け、再試合で4-2で負け準優勝に輝きました。それまで青森県は県予選を勝ち抜いても「北奥羽大会」という、秋田県や岩手県との戦いがあり、ほとんど甲子園にはいけない状態でした。この三沢高校が私達少年の心を熱く燃え上がらせたのです。しかし、現実には我が母校はいつも1回戦負け、良くて2回戦。私が在籍した3年間は、2回戦、1回戦、1回戦で散りました。私のときは特に悲惨で、相手が優勝候補だったせいもありますが、あわやコールド負け寸前の敗戦でした。私の甲子園はあっけなく終わりましたが、野球を通して多くのことを知りました。昨年なくなった私達の仲人は高校の先輩であり野球部の監督でした。弱小チームだった我が母校は3年生が4人しかいませんでした。2年生の秋の大会はよその部から助っ人を頼んで出場しました。今考えると私達が北校の野球部を救ったのだという自負があります。今でもときどき4人で飲み会をしますが、苦しいときを共に戦った戦友は一生の宝物です。汗と涙の3年間は私にとって大切な思いでになっています。特に最後の試合、青森県営球場での試合は、4打数3三振、1キャッチャーフライという、最悪の出来で、泣いても泣いても涙が止まらなかった思い出があります。そして、朝一番の列車で応援に来てくれた父の「ご苦労さん、何か冷たいもので飲むか?」という優しい言葉に、号泣したことが忘れられません。それまであまり優しい言葉をかけてもらったことがなかったので、特に感激したのだと思います。もう亡くなって9年が経とうとしていますが、今でも心に残っています。普段は何も言わない父でしたが、あの時だけは父として親として、立派に仕事をしたのだと思います。夏が来れば思い出す、私と父の秘密の思い出です。
今年の青森県代表は八工大一高が甲子園へ駒を進めました。選手の頑張りもさることながら、応援する家族や友人の支えは大きいと思います。晴れ舞台で活躍する選手を支えているのは親の愛情だと思います。やっと最近そのように思うことができるようになりました。私も父の年齢に近づいたということでしょうか。とにかく工大一高の健闘を祈りたいと思います。頑張れ工大一高、そして3年間の集大成を楽しんできてくれ、君達に敗れた多くのチームの分まで・・。