園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

坂の上の雲

2011-11-28 12:48:21 | 日記

園長です。

 まことに小さな国が  開花期を迎えようとしている・・・で始まる司馬遼太郎原作の「坂の上の雲」第三部が来月から放送される。2年前の第1部を見たときは、「これぞ日本人の正しい姿」と感動したことを覚えている。第3部は日露戦争とその後の物語が主のようだが、3年前に愛媛県松山に行き、道後温泉や松山城などを見てきた分、秋山兄弟と正岡子規の少年期、青年期の姿に心を打たれる。恥ずかしながら私は秋山兄弟のことは全く知らず、松山市内にある記念館でもいい加減に見てきてしまい、その年の「坂の上の雲」を見て、思いっきり後悔したものである。昨日の日曜日、BSテレビで第1部を全6時間かけて放送していた。午前11時30分から午後5時30分まで6時間・・・見てしまいました・・・。妻はあきれ返っていましたが、私は感動に目を潤ませながら昼ごはんも食べずに見ていました。昨年もこの時期、前年分を見たような気がしますが、それでも感動するのはやはり、日本の創世期、近代国家目指して世界の国を相手に立ち向かう姿勢に感動したのだと思います。

 ついつい今の日本を思ってしまいます。あの志はどこに忘れてきたのでしょうか。教育の荒廃が叫ばれて久しいですが、少しでも良い方向に向かったのでしょうか。いじめ、虐待、親殺し、子殺し・・・毎日のようにニュースで流れますが、今では、地元でない限り、「またか」で住んでしまう自分が少し怖い感じがします。今、保育界は「子ども・子育て新システム」で荒波の中を漂っていますが「子どもは社会の希望であり、未来を作る力である」という中間報告の理念を今一度確認して欲しいと思います。坂の上の雲に出てくる子ども達は、自分の進む道を自分で考え、決断し成長してきました。私達大人が果たす役割は、重要です。こどもを大切にしない国家、子どもが生まれない国家は滅亡するのです。子どもが育ちやすい環境、子どもを産みやすい環境を作るのは、今の私達の責任であると思います。来週から始まる「坂の上の雲」第三部での子ども達の表情がどう変わっていくのか、不安と期待をもって待ちたいと思います。

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空間放射線量測定

2011-11-24 14:23:30 | 日記

園長です。

 八戸も大分寒くなりました。青森市では積雪16センチを記録したそうですが、同じ青森でも八戸は積雪0です。でもその分、寒さは厳しいです。雪が降ったほうが気温は安定するみたいです。が、子どもは風の子、雪が降ろうが、氷が張ろうが、ほっぺを赤くして外を駆け回っています。それを私は事務室の中で、ストーブを背にして眺めています。

 さて、本日11月24日。八戸市に寄付された「放射線量測定器」が八戸市保育連合会にやっと回ってきました。これまでは学校関係のところしか測定できませんでしたが、測定器が「さくらの百貨店」から八戸市に寄付されたとのことで保育園にも回ってきたようです。保育園でも測定器を買おうかどうか悩んでいましたが、精度が低いとか、値段が高いとかでなかなか踏み込めなかったのですが、これで一応の結果が出るので安心です。テレビでは放射線量のことを毎日のように言いますが、それがどのレベルなのかまるで見当が付きませんでしたが、実際実物を見て、測定してみて、「こういうことか。」と納得しました。因みに我が園の放射線量は玄関が0.051マイクロシーベルト、園庭中央が0.022マイクロシーベルトでした。基準値以内だったのでひとまず安心しています。福島から大分離れているので、あまり心配はしていませんでしたが、実際にこのように放射線量を測定してみて、被災地の方々の心配が痛いほどわかったような気がします。この測定器は雪が降ると使用できなくなるとのことなので大急ぎで他の園へ廻したいと思います。震災から8ヶ月もたってからの測定なので、3月4月のころの値はわかりません。でも原子力発電がもたらした今回のマイナスの部分はこれからの私達の生活、生き方に直結してくる問題なので真剣に取り組んで欲しいと思います。

 市内に71の保育園、分園、認定こども園がありますが、1日に7~8園づつ回っても10日前後かかります。これから冬に向かって、測定も大変ですが、雪が降ると使えなくなる測定器らしいので早く全体にいきわたって欲しいと思います。とりあえず「さくらの百貨店」さんに深く感謝申し上げたいと思います。

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保育の未来・プロジェクト 2

2011-11-21 16:19:47 | 日記

園長です。

 青森でもう一つ強く言ったことが有ります。それは人材育成の問題です。少子高齢化のために保育士を目指す若者が少なくなったと言うことです。昨年は地元の養成校に呼ばれ、保育園のPRをしてきましたが、養成校でも地元に残らない学生が増えていることを嘆いていました。今までは買い手市場でしたが、今は採用したくても保育士がいない状態です。保育士を目指す学生は地元より「都会」志向が多いそうです。地元では3月にならないと採用が増えません。しかも期限付きの採用がほとんどです。他方、都会からの採用は10月から始まり、ほとんどが「正職員」です。正職員・・・懐かしい響きです。雇用期間がない採用は、学生にとって大きな魅力なようです。これでは勝負にならないのは目に見えていますが、地元の人材が地元で働けない状態と言うのは辛いものがあります。今、日本では保育士資格がある人の3割しか職についていないそうです。子育て、介護などで仕方がないのかもしれませんが、保育士に魅力がなくなってきているのかも知れません。八戸でも「いつでも募集すれば何人でも応募がある」と言うことはなくなりました。4月の入園式までにやっと探した、という園長がほとんどだと思います。この先、地方の保育園の保育士不足は益々顕著になると思います。今のうちに対策を立てないと大変なことになりそうです。もっと私達は養成校と話し合い、お互いの利益のために協議したほうが良いのではないでしょうか。

 また、学生達が保育士を敬遠する理由がもう一つあるそうです。それは、保育実習で保育に希望が持てなくなった・・・と言うことだそうです。養成校の勉強と実際の保育との違いも有るのでしょうが、学生が「保育は楽しくない」と思うことが多くなったそうです。我が園も厳しい指導で聞こえているそうですが、厳しいだけで夢を捨てることはないと思います。実習の仕方をもう一度見直して、保育園のためだけでなく、実習生の将来も考えて指導をしていきましょう。私は提案します。「オープン保育」をしませんか。大学でよく行なっている「オープンキャンパス」の保育園版です。保育園の取り組みや保育を期間を決めて、学生に参加してもらう試みです。うちでは以前から「保育ボランティア」と称して、保育に参加してもらっていますが、お互いの理解を得るためにはとても良いシステムだと思っています。採用後の「こんなはずではなかった」という不幸な出来事が起こらないためにも必要なことだと思います。まあ、「うちの保育園は大丈夫」と思っているところが多いようなので、脚下されると思いますが、お互いの利益は大きいのではないでしょうか。保育園は、「子ども」がいて「保育士」がいて微笑みながら過す場所だと思います。どちらが欠けても「保育園」にはならないのです。

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保育の未来・プロジェクト

2011-11-21 15:06:20 | 日記

園長です。

 昨夜は、暴風が吹き荒れものすごい轟音が響いていました。地震でもないのに「ギシギシ、ピキピキ」と音がして、心騒がしい一夜でした。その後の低気圧で寒気が入り込み、朝は厳しい冷え込みになり、少しだけ雪が白く残っていました。いよいよ本格的な冬がやってきます。私の心と財布はいつも真冬ですが、保育制度もいよいよ真冬の時代がやってくるようです。

 11月18日に青森県保育連合会主催の「保育の未来・プロジェクト」フォーラムという研修会がありました。県保連の佐藤秀樹会長による「こども・子育て新システム」の話は、一足先に真冬の冷気を浴びせられたようなショッキングな話しでした。今年中には国会に法律を提出したいそうですが、TPPのように拙速で説明不足の状態で出して欲しくないと思います。

 さて、2部ではパネルディスカッション「私の園の現在(いま)、そして未来(あした)への展望」という議題で3名のパネリストを向かえ討論会が行なわれました。その中の一人が、私でした。一応、都会の比較的裕福な地域代表として選ばれたらしいのですが、会場の雰囲気は、私に対して真冬のような冷気を投げつけていたように感じられました。私の「保育園は選ばれるようになった」という言葉に「保育園には競争原理はなじまない」と反論され、少しショックを受けた園長でした。青森県は「少子化」が進んでおり、特に郊外型(郡部)の保育園は定員割れで経営が大変なようです。それに比べると、我が園は立地もよく、職員も思いやりがあり、園長だけが一人浮いている状態です。風当たりは相当強かったのですが、自分の考えていることは少しだけでしたが主張してきました。一番訴えたことは、「保育園は情報公開が少ない、下手だ」と言うことです。今までは「目立たないことが美徳」でしたが、時代の流れは「情報公開・PR・自己責任・説明責任」の方向に向かっています。今さら「護送船団方式」には戻らないと思います。右肩上がりの日本ならいざ知らず、右肩下がりの今の状況では、変化を好む好まないに関わらず、変わらなければならないことは明白です。少子化がもたらした弊害はものすごく大きな社会問題になりました。雇用の問題、年金の問題、地域格差の問題・・・数えるとキリがありません。保育園、幼稚園もここ2,3年が勝負の年になりそうです。今までの制度がいいに決まっていますが、これからはそれではやっていけないのです。だから変わらなければいけないのです。家庭が変わりました。通信手段が変わりました。保育と教育も変わらなければいけません。私達は変わる、あるいは変える勇気を持たなければならないと思います。・・・なんて書くとすごい改革者のように聞こえますが、実は自分が一番変わることを恐れているのです。先が見えない変化ほど不安なことは有りません。でも、自分が信じる道を進むしかないのです。すべては「子どもの最善の利益」を保証するために。子どもを大切にしない国の未来はありません。子どもが生まれない国は滅びるのです。日本がそうならないように願いたいと思います。

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葛飾柴又帝釈天

2011-11-10 12:48:38 | 日記

園長です。

 先日、横浜で行なわれた「保育研究大会」のあとに、ちょっとだけ寄り道して、トラさんで有名な「帝釈天」に行ってきました。映画ではフーテンのトラさんシリーズは48作あるそうで、そのほとんどは「柴又駅」がスタートになっているそうです。ところがこの「柴又駅」は、とてもわかりにくい。下町とはいっても場所によって電車の路線が違う。私達は田舎者なので、東京の電車マップなるものを見ても、どこがどの路線なのかわからない。特に私鉄の小さい駅は地図にも乗っていない。はじめにホテルで聞き、乗り継ぎ駅で駅員に聞き、やっとたどり着いたと状況でした。

 駅前は観光客であふれていましたが、観光ガイドボランティアに見所はどこか聞いたところ、「よかったら案内します」ということでお願いした。自分達では見ることしか出来ないが、エピソードや資料などを携帯していて、事細かに説明してくれた。駅から続く「参道」は浅草の仲見世ほどではないにしろ、老舗が立ち並び、死活の匂いが漂っていた。トラさんの映画に出てくる店では、ポスターや写真を貼って宣伝効果絶大のようだった。団子屋の女主人とも会い、お土産までもらった。さすが寅さんの世界・・・人情には厚い人々が住んでいる様だった。寅さんが帝釈天で産湯を使ったという湧き水は、本物の湧き水で、硫黄の匂いが少しするおいしい水だった。私がイメージしていた帝釈天は、こじんまりした地元の神社、という感じだったが、1,400年の歴史がある、由緒正しいお寺だった。彫り物が有名で、透かし彫りなど素晴らしいものだった。寅さん記念館は、映画で使ったセットがほとんど収められていて、寅さん映画の素晴らしさを実感した。ところで、私はあまり寅さんの映画を見ておらず、ガイドさんの話にあまり付いていけなかったが、ガイドさんが寅さんみたいで、楽しく2時間あまりを付き合ってくれた。参道の中ほどにあった、挽きたて、作りたて、ゆでたてのソバを食べ、「山下邸」の日本庭園を見て、中でやっていた「素人寄席」を聞き、帝釈天を後にしたのでした。

小さい街でしたが見所がたくさんある葛飾柴又でした。下町の人情が伝わり、古いものを活かした街作りを見て、我が八戸の貧弱な街作りを思い浮かべ、すこし残念な気持ちになりました。それにしても、人が集まるところは活気があり、歴史も文化も残っていることを改めて感じました。柴又のもともとの地名は「嶋俣」といわれ、古事記にも出てきた地名だそうです。当時の戸籍が残っていて、その中に「刀良」(とら)、と「佐久良」(さくら)の名前があったそうです。1,400年前のトラとサクラにあってみたいものだと思いました。

 

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