園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

八戸市水産科学館マリエント

2010-01-31 22:06:34 | 日記
園長です。
 久しぶりにマリエントに行ってきました。仙台から孫と娘が遊びに来たので、冬でも遊べるところと思い、行ったのですが、民営化されて大分経営が変わっていました。公社の時と違って、お客を迎える態度が備わっていました。与えられた仕事をこなしているという感じはなく、一人ひとりが自分のするべきことをわかっている感じでした。対応も満足するものでした。ちょうど大水槽で魚の餌付けを見ることができましたが、職員はサービス精神旺盛で、いろんな角度で魚とのやり取りを見せてくれました。おまけに水中からじゃんけんゲーム行い、買った子どもたちにあめっこをプレゼントしていました。今まででは考えられないことです。ここに限っては民営化は大成功だったようです。
 帰りに近くの「シーガルビューホテル」に寄り、昼食をとり、お風呂に入ってきました。ここも民営化されたホテルですが、レストランを中心に結構頑張っているところです。ここの風呂は「昆布風呂」が有名です。少しぬるめのお湯に「昆布」が入れてあり、ゆっくり浸かると出汁が体中に浸み込んでいくような感じです。なめるときっとおいしい味がしたかもしれませんが、さすがに味見はできませんでした。久しぶりに家族4人と孫2人で楽しくのんびりと過ごした一日でした。孫は2歳児と乳児ですが上の長男は大分お兄ちゃんらしくなり、妹が出来たことにより自覚を持ち始めたようです。しかし、まだまだ甘えたいときなので母親の取り合いを演じています。兄弟はこのようにして人と育っていくのでしょう。今度会うときは下の子もおしゃべりをし、足元も達者になっていることでしょう。お兄ちゃんはどうなっているのでしょうか。春頃には逢いたいものです。孫って本当にかわいいものですね。やっと余裕を持って子どもと接することができるようになりました。「じいじ」になるのも大変な経験です。「ばあば」は苦労しなくても本当に足しそうに構ってもらっています。子育てとはちょっと勝手が違う「孫育て」ですがいろんなことを楽しみたいと思います。それでも少しうるさい気がするのは私のわがままでしょうか。元気に育ってほしいと思います。
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混迷?

2010-01-30 13:14:22 | 日記
園長です。
 日本の保育制度、幼児教育が混迷の度合いを深めています。昨日の新聞には、「幼保一体化」を目指すとして、保育園と幼稚園を所管する「子ども省」みたいなものを創り、統一する、と言う記事が載っていました。保育園の制度改革もままならないのに、一体子ども達をどうしたいと言うのだろうか。鳴り物入りで小泉政権が導入した「認定こども園」制度も未だ全国で360件足らずしかありません。青森県内には八戸市の2箇所しかないのです。「笛吹けど踊らず」、何か、どこか視点が違っているように思います。幼稚園救済のための制度を無理やり導入しても、理念と違う対応は幼稚園としても受け入れがたいのでしょう。認定こども園は、幼稚園ではこの先経営が困難になるので、保育園のようにやってください、と言うことなのです。要するに、「幼稚園は保育園になってください」と言うことです。最近の幼稚園を見ると、理念は「幼児教育」ですがやっていることは保育園とほとんど同じです。今、求められているのは、保育園の役割なのです。現実として、小学校入学児は幼稚園より保育園の卒園が多くなっているのです。
 もう一つ、地方と都会の格差があります。今の保育制度は大都会型の「待機児童解消策」がメインになっています。保育室の面積基準も待機児童解消のためになし崩しになろうとしています。給食も「外部委託」が出来るようになりそうです。これまで国がかたくなに守ってきた優れた制度がガラガラと音をたてて崩れてしまいそうです。八戸には待機児童がほとんどいません。それどころか「定員割れ」の保育園が年々増えてきています。政府は「こども・子育てビジョン」として少子化対策の新たな指針を閣議決定したようですが、良い子育てをするには「安定した雇用・安心できる老後」が絶対条件なのです。ここをしっかり抑えれば、子供は自然に増えていくのではないでしょうか。勿論、女性の働く環境整備も必要です。今の日本は、女性の力・能力に頼らなければ成り立っていかないのは、どこの家庭を見ても明らかだと思います。特に我が家は・・・。
 民主党政権になり、今までのしがらみから開放され、良い方向に向かうかと思ったら、意外と世の中は根が深いつながりで縛られていることが解かったような気がします。長年築いてきた悪しき伝統・しきたりは一朝一夕では治らないのでしょう。私達も長期戦覚悟で見守る必要がありそうです。それにしても明日が見えない情況は不安が一杯です。せめて何か一つでも光明があれば嬉しいのですが・・・。毎日、新聞を見て、秋でもないのにため息ばかりついている今日この頃です。
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この道より 我を生かす道なし この道を行く

2010-01-27 16:32:23 | 日記
園長です。
 武者小路実篤の言葉は、心に響くものが多くあります。「仲良きことは美しきかな」というもの有名です。実は昨日、ある人から「飲兵衛の川口へ」と焼酎が送られてきました。開けてみると鹿児島産芋焼酎「かめ壷 蔵の師魂 喜」という銘柄でした。ちょっと高級な感じがしました。その蔵元の当主が案内文に書いたのが、この言葉です。試行錯誤を繰り返しやっとできた一品だそうです。自分が目指した道を自信を持って進んだ結果の成果だそうです。平成7年に仕込んだと書いてあるので「15年古酒」となるのでしょうか。いつもなら、直ぐに味見!となるのですが、「高血圧」+「高尿酸値」の治療のため、「四飲三休」を目指している私は、我慢のしどころなのです。23日の日曜日に飲んだので解禁は木曜日なのです。自分で決めた取り決めなので頑張りたいと思います。本当はもうとっくに治っているような感じなのですが、薬がまだ2週間分あるので、それまではとりあえず我慢します。
 話しがそれましたが、この言葉は、私が好きな高村光太郎の道程に似ています。「僕の前には道がない 僕の後に道は出来る」と言う奴ですが、これをはじめてみたのは高校の音楽室でした。とても感動して図書室で探してみましたが、その後がとても長く、詩というよりは物語のような長さに、感動もしぼんでしまったのを思い出します。でも将来の期待と、自主・自律をめざした言い言葉だと思います。自信を持って自分の選んだ道を進み、くじけず、前に進もうと言う意気にあふれています。卒園の時期にはぴったりの言葉だと思います。この言葉で卒園児を送り出そうと思います。
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虎は死して皮を残す

2010-01-26 09:08:02 | 日記
園長です。
 毎週月曜日は、なかなか仕事が捗らない。ブログもついつい後回しになってしまう。最近「書く」ことへのプレッシャーが強くなってきた。調子がいいときは次から次へと泉が湧くがごとく筆が進むが、いったん途切れてしまうと、たったの一行も進まなくなる。文筆稼業の苦労がわかるような気がする。
 さて、今年も1月がもう終わろうとしている。「寅年」に入ったと思っていたらもう12分の1が過ぎ去る。世の中の時計が早いのか、私の時計が狂っているのか、年齢と共に時間の経過が気になるようになってきた。残り少ない時間と言うことか・・・。
最近読んだ本の中で気になる言葉があった。「人は二度死ぬ。一度は肉体が亡くなった時。二度目は、存在していたことを忘れられたとき。」という言葉だ。新年早々、友人が亡くなったので特に考えさせられた。「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す。」という諺があるが、今の世の中、名を残せる人間は果たして何人いるのだろうか。悪名を残す人はいても誉れ高き名を残す人はほとんどいないのではないだろうか。ほとんどの人が名も残さず静かに消えていくのだろう。そういう人たちが世の中を支え、歴史の流れを作ってきたのだと思う。そういう意味では、歴史に残る偉人達は素晴らしいと思う。本や教科書などで未来永劫名を残し、業績をたたえられるのだから・・・。今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」も坂本竜馬の生き様を伝えている。女子高生を虜にする「新撰組」も同じような意味で後世までも語り継がれるであろう。やはり一般人とはかなり人間としてのスケールが大きいようである。これらの人々は、一度は死んでも、二度は死なないのであろう。いつまでも人々の心の中に刻まれているのだと思う。
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くじら

2010-01-24 18:25:09 | 日記
園長です。
 昨日、久しぶりで「八食センター」に行った。土曜日の夕方ということで、少し賑わってはいたが、5時過ぎなのにほとんどの店が閉店の準備をしていた。この不景気にずいぶん殿様商売をしているなあと感じた。せめてあと1時間でも遅くしたら、客足も違うんだろうに・・と思うが、それぞれ事情があるでしょうから仕方がないか。昨年、四国の高知に行ったとき、市内のアーケード街の中に八食センター見たいな「まるめ市場」というところがあり、午後6時過ぎだというのに大勢の人で混雑していた。ここでは、市場みたいな雰囲気で屋台みたいな店が周りを取り囲み、中央は椅子やテーブルで仕切られ、おもいおもいの店で買った刺身や焼き鳥、煮つけなどを持ち寄り家族や仲間で食べていた。活気があり、とてもわくわくドキドキしたのを思い出す。高知の酒・肴がすべて揃い、おまけにお土産まで選べるという、とても行き届いたアイデアであった。さすがに坂本竜馬が育った土地柄であると思った。さて、こちら八戸の最大観光地「八食センター」では、既定路線から外れることなく、それぞれの個人商店が頑張っていて、空き店舗のスペースには椅子やテーブルが置いてあり、一応体制は整っているように見えるが、全体を見れば統一されておらず、計画性にかけているように思う。まあ、それはさて置いて、ある店で珍しい刺身に出会った。動物の肉なのに魚屋で売っていた。「ミンククジラ」の刺身である。昔は嫌というほど食べた「クジラ」だが、最近は滅多に口にすることがなくなった。漁獲規制のせいもあるかもしれないが、店頭に出回ることが本当に少なくなった。亡くなった母親はこのクジラの刺身が好きで、冷凍され、カチンカチンになった肉を包丁で力を込めて切っている姿を思い出す。私は刺身より、生姜みそで煮込んだものが好きでした。まさに「肉」そのものの味がしていた。同じクジラでも「さらしくじら」と言われる脂身は大嫌いだった。もっと嫌いなのは「脂身」の部分で、八戸では「クジラ汁」という郷土食があるが、これだけはどうしても喉を通らなかった。今でも、あの匂い、噛んだときのゴムのような感触が忘れられない。昔は八戸の鮫や八太郎の海でもとれていたという。私が小学生のころ、八太郎でクジラが上がったという話を聞いたことがある。今では迷い込んだクジラがほとんどで、生かして返すのがルールのようだが、もったいないことをしているなあと思う。クジラは日本の文化である。日本人ほどクジラを大切に頭から尻尾まで全て活用する民族はいないそうだ。骨まで浄瑠璃の材料で使うという。大したものだと思う。世界に誇れるクジラ文化だと私は思う。
 まあ、そんなわけで、クジラの刺身を買い、八戸名物イカの「なまピー」と思い切って生うにも少々いただき家路についたのであった。クジラ、イカ、うに・・・と言えば、「酒」がつきもの。久しぶりで飲んだ。ビールを350CC、日本酒を2合・・。酔った、酔った・・こんなに飲んだのは大晦日以来だった。しばらく休んでいたので肝臓がびっくりしたのではないかと思う。明日からまたしばらく禁酒としよう・・。でも、クジラの刺身はおいしかったなあ。ところで大酒飲みを「鯨飲」というが、クジラは食べても酒には飲まれないようにしよう。今年は「寅年」なので、大トラくらいにしておきましょう。
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