園長です。
1年で一番寒い季節です。今日も北風がピューピュー吹いています。こんな日は、いい氷が張るんですよ。私が小学生のころは、今の長根スケートリンクは、天然の氷で、滑れる日は「白」、氷が解けて滑れない日は「赤」の旗が掲げてありました。毎日10円のおこずかいを持って歩いていきました。我が家は長根から近く、子供の足でも10分くらいで着いたものです。たまに赤旗で滑ることが出来なくても、リンクの近くの「坂」で、固くしまった雪の上でスケートをしていました。リンクの周りには「屋台」が出ていて、おでん、焼きそば、お焼きなどたくさんの屋台が出ていました。私がひいきにしていたのは「焼きそば」です。一皿5円でソースはかけ放題。10円で大盛りになりますが、5円でトッピングの天かすをヤモリにして、ウスターソースをたっぷりかけて食べたものでした。今の私の体は、この5円の焼きそばでできているといっても過言ではありません。私には兄と姉がいて、私は姉のお古のスケート靴をもらって滑りました。当時はスケートの刃で滑るのではなく、スケート靴全体で滑っていました。おかげで革の部分が擦り切れ、黒い色が白くなっていたことを覚えています。おかげで、私は小学4年生くらいからの学校のスケート大会ではいつもトップクラスの早さでした。体力がなかったので短距離専門でしたが、それでも大会に推薦され、頑張った記憶があります。
八戸は「スケート王国」と言われています。最近はスケート人口も少なく、「大学進学」のためにスケートが一番手っ取り早いと考える友達もいました。ホッケー部の荒くれたちが有名私立大学に入ったときは思わず「失敗した。」と思った時もありましたが、私はいばらの道を進むことを選択してしまいました。ちょうど来週から「ソチオリンピック」が始まりますが、この時期になるとスケートの思い出が心の奥底から「屈辱と優越の記憶」がよみがえってきます。要するに優越の記憶は数少なく、屈辱と悔恨の記憶ばかりがよみがえってきます。札幌オリンピックの時は私が中学3年生の時で、ラジオをイヤホンで聞いていて、先生に問題を刺され、右往左往した記憶があります。その後あまりスケートは滑っていません。仕事やしゃべりは滑ってばかりですが、たまに無性にスケートを滑りたくなる時があります。
それは、新聞で卒園児たちが大活躍している記事を読んでいるときです。年甲斐もなく燃えてくることがあります。実際はもう20年以上も滑っていないので、滑れるわけはないのですが、昔取った杵柄とやらで、未だに滑れるという気持ちだけがあるのです。今、国体と高校スケート、全国中学スケート大会が行われていますが、地元の新聞ではわが園の卒園児が大活躍しています。今日は高校スケートで長距離で6位入賞をはじめ、見覚えある名前が結構ありました。小学生大会でも3名の卒園児が各学年で上位入賞していました。このまま競技を続けて、オリンピックに出られたら何をおいても応援に行きたいと思います。それまで私の体がもつかどうか心配ですが、一人くらいは・・・と思っている自分がいます。
八戸市民念願の「屋内スケート場」ができる予定になっています。建物が立派になっても地元の選手が活躍しないと楽しくありません。先日ある保護者に「サッカーをやめて、スケートを取り入れようかな。」と言ったら、誰が教えるの、誰が連れて行くの、と言われ次の言葉が出てきませんでした。炬燵であったまるのもいいけど、スケートで汗をかくのもいいような気がします。私は・・・やっぱり炬燵かな・・。