園長です。
今年も残すところあと1か月ちょっと・・・。申年(さるどし)が始まったなあ、と思っていたら、テレビのニュースは「酉年」(とりどし)の干支作りの話題になっています。年齢が高くなると一日が飛ぶように過ぎ去ると言われますが、まさにそのような状態です。今年は、「60」という数字がキーワードでした。青森県保育連合会、八戸市保育連合会の「創立60周年」、徳島市で行われた「全国保育研究大会」も第60回 でした。実は私も個人的なことを言わせてもらうと「生誕60年」を迎え、無事に「「還暦」にいたりました。還暦ってすごいなあ、と以前は思っていましたが、実際に自分がなってみると、全然すごくもないし、自覚もない・・・。こんなんでいいのかあと漠然に思う程度です。ただ、体の方はだいぶ異常が見られるようになりました。とにかく「老眼」にはてこづっている。目が見えないということは、なんと不便なことか・・。あと、体が動かない。少し動くと「後遺症」のように2,3日後に筋肉痛に襲われる。最近は趣味の魚釣りにもいくことが無くなった。足腰が衰えてきたので、岩場や水辺が怖くて歩けなくなりました。秋には「まつたけ」をはじめとしたキノコ狩りにも2回ほどしか行けませんでした。本当は「熊」が怖かったのかもしれませんが、心のどこかで「いくな、いくな」という声が聞こえていたようです。ゴルフに至ってはこれまでの最低記録(回数も成績も)を更新しました。これまでは負けたり、いい結果が出ないと「悔しい!!!!。」という気持ちが沸き起こっていたのですが、「まあ、いいか。」「今日はこんなもんだろう。」と自分を奮い立たせることがなくなりました。会議や集会でも「いい大人」を演じるようになりました。年をとるということはこんなことなのかなあと思いつつも毎日忙しぶりを続けています。
そういえば10月に中学校の「同期会」がありました。過去2回ほど開催された同期会ですが、今年は「還暦」を迎えるということで、早くから開催要請がありまししたが、忙しくて女性陣に「丸投げ」してしまいました。60歳というと「定年退職」の年齢です。公務員はほとんどが定年を迎えまが、退職は3月末です。一般企業では誕生日の属する月までというところもあり、何人かは退職して「嘱託」として仕事をしているということでした。八戸以外からも結構な人数が駆けつけてくれ、会はとても盛り上がりました。60になると、今まで言えなかったことが平気で言えるようになるようで、大人しいと思っていた人が、堰を切ったようにこれまでの人生を語る場面もありました。私たちのころは旧教育制度最後あたりで、とても平和な時代でした。教師の体罰も当然のように行われており、私も「成績が悪くなった、点数が前回よりも低い。」という理由で、びんた食らったり、黒板消しで頭を叩かれたりしました。今の時代では考えられないようなことですが、それが普通だったのです。下手に親に言いつけると、「お前が悪い」と踏んだり蹴ったりの結末になるので、決して自分のことも、人のことも言えませんでした。私たちのころも「いじめ」はあったようですが、人の命まで奪うようなことはありませんでした。みんな地域では顔なじみだし、それぞれの生活環境も良くわかるのでたちの悪いいたずらはできななかったのです。
あれから45年。中学、高校と進んだ私たちは、大都会「東京」に行きたくて、自分の将来を考えるより東京という響きに誘われて大学をめざしました。普通は「将来何になりたいか決めてからそれを実現するために大学をめざすのですが、とりあえず入れる大学に入り、それから将来の仕事を考える・・・というのが私の仲間たちの考え方でした。それでも何とかなっていたのは、やはり平和な世の中だったからなのでしょう。同期会に参加した友人も「その時の話」で盛り上がっていました。今の若者にはない「熱い気持ち」に突き動かされていたような気がします。それを人は「青春」というのでしょうか。最近は熱く語ることも少なくなりました。熱く語るときは「誰かの悪口」を言うときや「社会」に向けての時が多いような気がします。人世を春夏秋冬に例えれば、まさしく私たちは「冬」に向かって進んでいます。これまでの人生を糧に少しでも楽しい世の中に導く仕事をしたいものです。
少し暇になったら、セピア色の話題になってしまいました。保育園では今日「かきもぎ」をしました。梯子やはさみを使うことが初体験の子どもたち、大事に大事に育てられた子どもたち。危険なことはしてこなかった子供たちに「危険」の楽しさを教えることはできるのでしょうか。「やってはいけません」ということを率先して一通りやってきた私たちには少し生活しにくい世の中ですが、逞しい子供、孫を育てるためにこれからもがんばりたいと思います。暇になるとろくなことを考えない園長でした。