園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

熱の湯 東八甲田温泉

2010-08-30 20:18:35 | 日記
園長です。
 もうすぐ9月だというのに、なだまだ暑い日が続いています。先日行った「藤七温泉」は硫黄の匂いがしばらく消えませんでした。夏の暑い日には硫黄の濃度が高い温泉は、汗の匂いと相まって、不快な匂いに変化したようです。一週間たって、やっと硫黄のにおが薄くなりました。どうして匂いが薄まったかというと、硫黄の匂いのないアルカリ温泉に入ったからです。七戸の道の駅の奥にある「東八甲田温泉」は、美人の湯として知っている人には有名な温泉です。12月に開通する新幹線の七戸駅の正面玄関の近くに位置しており、新幹線開通後はもう少し知名度が上がる温泉だと思います。ここの温泉は、「熱い」ので有名です。「あつ湯」は46~7度あるのではないでしょうか。初めての人は絶対入れないと思います。これに入るには観察が必要で、このあつ湯に入っている人の入り方を盗まなければいけません。私は3度目にしてやっと入り方を会得しました。1,2回は人が少なく、あつ湯に入る人がいなかったのです。しかし3回目にしてあつ湯に入る人発見。何のことはない、あつ湯の隣の「水風呂」で十分に体を冷やしてから入るのだったのです。ただし、1分ぐらいが限度で、それ以上入っていると、足がやけどしてしまいます。熱くなってから足を動かすととても熱さが倍増し、水風呂に飛び込みたくなります。熱いふろでお湯をかき混ぜると、とても熱く感じるのと同じです。とにかく決死の覚悟で入る温泉なのです。熱い日の熱い温泉は、体にとても良い感じがします。アルカリ性の温泉なので、無色透明・・少しだけいいかまりがしました。成分にいい香りの成分が入っているのだと思います。いい香りの温泉というと、学生時代にバイクで旅行した時に行った、奈良県の中央、「十津川温泉」のお湯がいい香りがしました。ケイ素が入っていたようです。軽塩梅のすっきりした気持ちのいい匂いでした。東八甲田温泉にもケイ素が入っているようです。温泉の成分表に載っていました。そういうわけで、「毒には毒もって制す」ではないですが、硫黄の匂いを消すためにアルカリの温泉へ行ったのです。おかげで匂いはすっきり、お肌はすべすべ・・。温泉三昧の週末でした。青森県は温泉の数が多い県ですが、源泉かけ流しでは全国有数だと思います。風呂好きの私達夫婦には絶好の環境です。今度は海のほうにも行きたいと思います。
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残り香

2010-08-27 18:25:09 | 日記
園長です。
 さすがに一時の暑さは影を潜めましたが、まだまだ汗が流れる気温が続いています。でも、朝夕はすっかり涼しくなり、過ごしやすくなりました。
 先週、八幡平の藤七温泉に入ってきたのですが、いまだに硫黄の匂いがとれません。あれだけ源泉100%のかけ流し・・というより、源泉が地底からごぼごぼと湧き上がる温泉では、硫黄の成分も余程強いらしく、一週間過ぎた現在でも体のあちこちから硫黄の香りがしてきます。当日着ていたシャツやパンツは「残り香」を通り越して臭くなっており、着るとめまいがするくらい匂いが強く残っています。日本語は美しい響きがあり、残り香というといかにも「そこはかと漂うようないい香り」のようですが、ここの温泉の硫黄はイメージが壊れるような、洗ってもとれない強烈なにおいが残っています。体にはいいかもしれませんが、鼻には辛いものがあります。今度は無色無臭のアルカリ性温泉を探して入りに行こうと思います。
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八幡平温泉郷 藤七温泉 彩雲荘

2010-08-22 20:56:28 | 日記
園長です。
 今日は日曜日。最近は本来の仕事も雑用もとても忙しく、おまけに自分の力だけではどうにもならないことが多く、少し落ち込み状態でした。だからゆっくり体と心を休めようと思っていたのですが、本日の「暑さ」に、妻が「どこか涼しいところに連れてって。」とい一言で、ドライブがてらの温泉へ行くことになりました。トイレの中で汗を流しながら、「東北の温泉」というガイドブックをひもとき、その中から、以前から行ってみたいと思っていた八幡平の雲海が見える露天風呂で有名な「藤七温泉 彩雲荘」に決めました。何年か前、ゴールデンウイークに雪の回廊を見ながら行った時は、「満員で入れません。」と断られたことがありました。今回はお盆も過ぎたし、大丈夫だろうと甘い期待を込めて、無料化になった八戸自動車を八幡平を目指して進みました。松尾八幡平まで八戸から350円でした。気温は30度を少し超えていましたが、風があったので比較的快適でした。でも途中で寄ったドライブインはエアコンも聞いてなく、汗を流しながらの昼食でした。12時を過ぎたあたりに八幡平のアスピーテラインに入り、頂上を目指します。途中、チャリンコ部隊の高校生達の集団にいたるところで出会いました。この暑い中をふらふらしながら自転車をこいでいる脇をブーッという感じで追い越し、心の中で「頑張れ」と応援していました。最近は辛いことやいやなことを進んで行なう若者が少なくなりましたが、この学生たちはきっと我慢強い人間に育つことだと思いました。若い時こそ苦しいことを体験してほしいと思います。下界は気温が30度もありましたが、頂上に近づくにつれ気温が低くなり、霧も出てきました。頂上付近の気温は18度。まるで冷蔵庫のドアに思いっきり顔を突っ込んだような気持ちのよさでした。ガスのために視界が約10メートルしかありません。おかげで頂上で「樹海ライン」に曲がるところを迷ってしまう羽目になりました。
 やっと着いた「藤七温泉」は、素晴らしいところでした。標高1,400メートルで「東北では一番高所に位置する温泉」だということでした。硫黄で乳白色に濁っていました。受付で男女別か混浴を聞かれて、妻は「男女別の温泉」へ、私は、迷わず「混浴」を選びました。脱衣場の奥がとりあえず屋内の10畳くらいの湯船があり、ドアを開けると、外に5~6くらいの露天風呂があり、ほとんど男がおもいおもい入っていました。私はガイドブックで見た通り、その中でも一番高い位置にある露天風呂へ入りました。眼下を見下ろす高さからの露天ぶろは最高でした。底から温泉がごぼごぼ湧き出し、隣の沢から冷水が注ぎ込まれ、ちょうどよい温度になっていました。外は18度しかないので肌寒いくらいですが、少し熱めのお湯はとても体を癒してくれました。久々の本格的な温泉に入り、ここ2週間くらいの悩み事を忘れるには最高のお湯でした。この露天ぶろは樹海ラインのすぐ横にあるので、道路からは丸見えですが、誰も気にしている様子はありません。それだけ景色とお湯が素晴らしく、恥ずかしい気持ちまではいかないようです。ここには露天風呂の原点があるように思いました。それにしても地底から直接湧き出した原泉の上に板を渡しただけの湯船、そしてそこからごぼごぼと音とあぶくを吹き出す様は迫力があり、「これぞ温泉」という気持ちになりました。高速料金350円で極楽のような温泉を味わえる、これぞ秘境・・・。また行きたい温泉です。
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残暑お見舞い申し上げます

2010-08-16 13:17:24 | 日記
園長です。
 今年は、北国も「地球温暖化」の影響が顕著に現れたようです。ほとんどが真夏日。たまに最高気温28度くらいだと「涼しい~」と声を出したくなるくらいです。今日も、朝は雨が降っていたので、「今日は少し涼しいかなあ」などと思っていたら、午後1時30分で保育園の温度計は35度を指していました。風は少しあるものの、地面の上を通ってきた風は「熱風」となって、肌にまとわりつきます。北国の夏はさらっとした気温だと思っていましたが、ねっとりと湿った風は、体調までも狂わせそうな感じです。今日の夜は、熱帯夜の予報です。暦の上では「立秋」ですが、まだまだ暑(熱)い日が続きそうです。
 8月15日は終戦記念日でした。毎年、「閣僚が何人靖国神社に参拝した」というニュースが流れますが、戦後65年経った現在でも変わることなく揉めていることに、この問題の深さと難しさを感じます。私などは単純なので、戦争で亡くなった人たちは、戦犯も兵士も一般の人もすべて心安らかに眠って欲しいと思うので、靖国神社であろうが地方の神社であろうが、先祖を祀るつもりで手を合わせたいと思っています。何かに反対で靖国神社に反対の人は、別なところでおまいりしても良いのではと思います。かえって、総理大臣が地方の名もない神社で参拝したほうが、ある意味ニュースになりそうですが・・。
 私の8月15日の思い出は、広島の原爆記念館です。記念館に入ると、凄まじい爆撃音と空襲警報が鳴り響き、重々しい口調で原爆投下の様子を話しているところを思い出します。学生時代から数えて4回ほど見ましたが、あの悲惨さ、重苦しさは変わることがありません。毎年、8月9日に広島平和公園で原爆慰霊祭が行なわれますが、念頭に思い浮かべるのは、爆撃機の轟音と空襲警報の鳴り響く音です。私は戦争を知りませんが、あの音を聞くととても悲しく、やりきれない気持ちになります。300万人以上の人が命を落とした先の戦争は、いろんな間違いから起こったものですが、いつまでもそれに捕らわれていては、亡くなった人も浮かばれないと思います。私達はその貴重な礎があり、今を生きているのです。これからも事実は事実として受け止めながら、残したいもの、忘れたいものを整理し、後世に語り継ぐ役割が私達にはあると思います。
 虐待やいじめ、DV、自殺・・現代は病んでいます。もしもそのような場面に立ったら、是非、広島や長崎の原爆記念館(資料館)に行ってみてください。自分の悩みがちっぽけに感じることでしょう。生きたくてもそれが許されない時代、それに比べたら現代は天国みたいな時代ではないでしょうか。私達は先人の思いを大切にしながら、次の時代につなげていかなくてはなりません。大切なもの、失くしてはいけないもの・・・を伝えるために・・。
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里山保育の子どもたち

2010-08-13 15:10:27 | 日記
園長です。
 毎日暑い日が続いています。今日から「お盆」に入りました。子ども達はいつもの4分の1くらいしか登園していません。それぞれの実家に帰り、ご先祖様をお迎えしているのでしょう。少しだけ静かな保育園でゆっくり仕事をするのも、たまにはいいものですね。
 さて、私の園では、新聞を2社からとっています。地元の「デーリー東北」と郷土の新聞「東奥日報」です。どちらも特長があり、読み比べると面白いことを発見することもあります。最近は東奥日報に時間をかけて読んでいます。中でも毎週金曜日に載っている「里山保育の子どもたち」という記事に関心を持っています。千葉県木更津市にある保育園の園長先生が書いているのですが、私達が取り組んでいる「見守る保育」の考え方にとても近いものを感じています。特に今日の記事は「保育園設計の基本」という題で、「保育園の設計の基本は、安全と安心を保ちながら、こどもの好奇心や創意工夫を促すことである。」と言っています。ここの園庭や遊具は、子供たちが簡単に遊べるようにはなっていないようです。子ども自身の頭で考え、手と足と体を使わないと遊べないようになっているようです。
 苦労して生きてきた親は、自分と同じような苦労をこどもにさせまいと頑張る。子どもに「これが欲しい」と言われれば、「なんでもしてあげよう」と親は思う。だが、ルソーは「子どもを不幸にする一番確実な方法は、いつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることだ」と言っています。こどもには「7分の満足、3部の飢え」が必要だ。子どもが苦労しないで済むよう、親が先回りして段取りしていると、子どもが未来を予測して目標を設定し、手段を選択する力が育たない。飢え、不足、不満をちょっと我慢して乗り越える工夫をしないでいると、できそうにないことは、最初からしなくなる。壁に挑戦する態度や意欲が育たない。歯応え、手応え、踏み応えは、子どもに必須の環境なのだ。と言っています。全く同感です。「危険なので刃物を持たせるな。」「服が汚れるから外で遊ばせるな。」「土いじりは爪に黴菌が入るからだめ。」極めつけは、「うちの子はよそとのこと違うので草取り、掃除はさせないで。家でもさせていないのに・・」。いったいどのような子どもに育てたいのでしょう。どんな大人になってほしいのでしょう。子どもは親の所有物ではありません。大人になったら社会に出て行かなければなりません。自分のことは自分でできる大人にならなければなりません。多少の危険は目をつぶり、転んでも再び立ち上がれるようなこどもになってほしいと思っています。こどもは基本的に自分で育ちます。親は後ろからそっと見守ることが大きな役目かもしれません。守ってあげることと、自分が満足することは大きな違いがあります。最近、見守ることの大切さを特に考えるようになりました。こどものためだと何でもやってあげることは、逆にこどもの成長を妨げることだとわかりました。「自分で考え、自分で選び、自ら行動出来る子」、親の協力も欠かせないことがわかりました。
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