不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

園長のつぶやき

こんにちは 長坂保育園の園長です。日々成長する子ども達を見ながら、日頃の思いを綴ります。

2011-01-31 20:14:02 | 日記

園長です。

 我が家は、最近ほとんど肉を食べません。別にベジタリアンではないのですが、おかずは圧倒的に魚類が多いです。魚も「魚肉」というくらいですから肉の1種かもしれませんが、我が家で1番食材に使う肉は、「豚肉」です。次いで「鳥」、「牛」の順です。今日は、久しぶりに牛肉を食べました。私は魚のほうが良かったのですが、我が家の財務大臣が、「今日は肉が食べたい。」の一言で牛肉のステーキになりました。高価な肉ではありませんが、一家3人で食べるには十分です。1枚700円の肉2枚です。いつもは肉を焼くのは私の役目なのですが、今日は妻がじっくりと下ごしらえして焼いてくれました。私はニンニクなど入れないのですが、今日はたっぷりと入っており、いい香りが漂っていました。いつもは月曜日が「休肝日」なのですが、今年に入ってから、毎日飲んでいます。今日は肉ということで「赤ワイン」をいただきました。

 肉と言えば、2000年にアメリカの保育事情を研究するためにサンフランシスコ、ロサンゼルスに行きましたが、ステーキについての認識がだいぶ変わったのを覚えています。あちらのステーキは、まるで「草履」を2枚重ねたくらいの大きさと厚さで、食べごたえ十分でした。15人くらいで行ったのですが、完食したのは私を含めた2名でした。しかし、次の日、その一人は食べ過ぎで、サンフランシスコの病院に担ぎ込まれました。それもそのはず、肉は厚さ4センチ位もあり、まるでバスケットシューズの靴の底を食べているような感じでした。私は、肉の前の野菜にほとんど手をつけなかったので食べられたのだと思います。「肉を食べるときはたくさんの野菜もたべること。」だそうで、出てきた野菜は30センチくらいの大きさのボールに山盛り一杯の野菜の盛り合わせ。レタス、キューリくらいならまだしも、得体のしれない香草がたくさん入った、野菜は、喉を通ることもありませんでした。そのせいで私は巨大ステーキを平らげることが出来たと思っています。そうそう、パスタも巨大な量でした。半分も食べることができませんでした。一緒に行ったメンバーはステーキを半分食べた人は4,5人で、ほとんどは半分以上残していました。パスタは誰一人として完食した人はいませんでした。第2次世界大戦で日本が負けた理由がはっきりわかりました。肉をあんなに食べている民族には勝てない・・・と。

 先週行った「伊豆下田」の「黒船博物館」で、ペリー達は肉が食べられないので代わりに「ウミガメ」をさばいて食べたという記録を読みましたが、アメリカ人は肉であれば何でも食べていたようです。ペリーが総領事館で食べたある日の夕食の献立が載っていましたが、小魚と野菜、刺身などでした。私には十分な量ですが、当時の外人には物足りなかったようです。総領事館になっていた玉泉寺は、日本で初めて牛がされた場所でもありました。牛乳も初めて作られた場所でもありました。当時の日本人はびっくりしたことでしょう。ご飯と魚介類のおかず、味噌汁、漬物が普通であったのに、肉を食べる人間が現れたのですから・・。今では普通に肉を食べるようになった日本人ですが、食生活の変化は、日本の文化、生活までも一変させてしまったようです。もう一度、日本人にあった食生活を考えてみたいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆下田 3

2011-01-28 21:39:35 | 日記

園長です。

 毎日寒い日が続いています。伊豆下田とはえらい気温の差です。先週のことが嘘のように感じる八戸の寒さです。

 さて、最終日は午後2時06分発のスーパービュー踊り子号に乗るため、大急ぎの下田観光でした。まずはホテルから歩いて10分ほどのところにある「玉泉寺」に行きました。ここは黒船のペリー総督が「日米修好通商条約」を徳川幕府と結んだ地であり、日本が270年続いた鎖国から開国に舵を切った日本にとって重要な歴史の場所です。この玉泉寺は米国の総領事館が初めておかれた場所でもあります。また、幕末の志士「吉田松陰」が小舟で黒船に密航を企てた場所でもあります。アメリカ人が日本人の好奇心の旺盛さ、行動力を再確認した行動でもありましたが、松陰の行動を拒否したため、吉田松陰は幕府にとらわれ幽囚の身となったのです。そして江戸小伝馬町での安政の大獄においてたった30年の生涯をとじたのでした。また、この玉泉寺は「牛乳」の発祥の地でもあり、境内の一角にある「ハリス記念館」では牛乳も売っていました。その後、ホテルの車で伊豆急下田駅まで送ってもらい、下田の市内を散策しました。下田市の街は比較的こじんまりとしていて、半日もあれば市内を歩いて見て回れる街並みです。「なまこ壁」や「黒船記念館」「ペリーロード」など探検、散策しながら、下田の街を堪能しました。また「日米和親条約」が結ばれた「了仙寺」にも行きました。ここの庭には見事なミカンが数種類なっていて「ニューサマーオレンジ」という名で売られていました。八戸では見ることにない真冬のかんきつ類です。常緑樹特有の濃い緑の中に黄色いミカンの実は、異国情緒を感じさせる光景です。きっと誰も見ていないところでは絶対もぎ取ることでしょう(私が)。了仙寺から海に向かって歩くと「ペリーロード」という古い街並みがあり、白と黒の独特の模様をした「なまこ壁」の建物が目に着きました。小さな川を挟んで両側に並んでいる古い町並みは散策しながら歩くにはもってこいの場所でした。また、この下田はお寺が多く、それぞれが由緒があり、見ごたえがありました。勝海舟と土佐藩主山内容堂公が会見した寺とか、「お吉」の墓がある寺とか私でも覚えがある人物がたくさん登場する場所でもありました。歴史の勉強を十分した後は、いよいよ昼食です。目当てにしていた食堂は見つからなかったので、近くのおばさんに磯料理のおいしい店を紹介してもらったのが「ろくさん」食堂。妻が食べたいと言っていた「イセエビ」を清水の舞台から飛び降りる覚悟で注文し、ちょっと贅沢な「おひるごはん」をいただきました。昼なのにビールを飲み、伊勢海老、とこぶし、しったか、金目の刺身などを食べました。私なんか、ビールだけでは足りなく、地酒「下田美人」まで飲んでしまいました。おかげで帰りはぐっすり夢の中。

 とにかくこの「大人の休日倶楽部」一説には「老人の休日倶楽部」という声もありますが、この期間は、盆と正月に匹敵するくらいの民族の大移動があります。不景気な日本と言われますが、老人の行動力はすごい。今、一番お金を持っているのが60~70歳の人たちだと言われています。もっともっとこの人たちがお金を使う仕掛けを作ったほうがいいのではないでしょうか。でも、この期間を過ぎたら・・・ちょっと心配な園長でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆下田 2

2011-01-26 15:47:43 | 日記

園長です。

 昨日は、サッカーのアジア杯準決勝が控えていたので、途中で切り上げました。でも、昨日のサッカーは見ごたえがありました。宿敵韓国との試合はいつも接戦になりますが、それにしても感動的な試合でした。延長後半残り時間1分で1点入れられ、PKまで持ち込まれ、試合の流れからいっても絶体絶命のピンチでした。最後に決めてくれたのが今年のワールドカップ南アフリカ大会でベスト16でウルグアイとのPK戦で唯一失敗し、負けてしまった今野選手でした。1年がかりで失敗をとり戻した今野選手に大きな拍手を送りたいと思います。

 さて、下田ですが、伊豆は静岡県なんですね。つい「箱根駅伝」では神奈川県の頭しかないので、伊豆箱根は神奈川県みたいに感じていました。伊豆半島の先端「石廊崎」には大学時代オートバイで行きましたが、そのときの印象とは随分変わっていました。今回は、伊豆急下田駅からバスで石廊崎まで向かいました。約45分で港口に着き、すぐに遊覧船に乗りました。海の風は少し冷たかったのですが、風より「うねり」の方がきつく、比較的穏やかなBコースに変更になりましたが、それでもまっすぐ立つのが困難なくらい揺れました。石廊崎の先端には縁結びで有名な「熊野神社」が鎮座して、太平洋を見守っていました。あんな急なところにお社を建てるなんて、人間の信仰はすごいものがありますね。海から見る石廊崎は迫力がありました。もっと迫力があったのが、釣り人達でした。あの波の中で小島に渡り、釣り糸をたれている姿には感動すら覚えたくらいです。本当にご苦労様でした。

 石廊崎から下田駅に戻り、駅前からすぐの「寝姿山ロープウェー」の乗りました。約3分で頂上に着いたのですが、ここは南国のようでした。桜が5~6部咲きで、水仙をはじめ、いろんな種類の花が咲いていました。水仙は小さい花が4~5個ついた香の高いものでした。どこかでかいだ匂いなのですが、良く判りませんでした。香水かトイレの芳香剤か・・・。そこから見る「下田湾」は最高でした。絶景かな絶景かなの世界でした。そしてホテルに向かったのですが、ちょうど太陽が石廊崎のかなたに沈んでいく途中で、見事な夕日でした。山田ホテルは下田湾を一望できる半島の中腹にあり、なかなか立派なホテルでした。早速、温泉に入りました。露天風呂からは湾に浮かぶヨットが照らし出され、近くのソテツに南国を思わせる異国情緒がかもし出されていました。ここは「唐人お吉」の物語でも有名なところです。ゆったりと温泉に浸かり、いよいよお待ちかね、夕食です。伊豆といえば「伊勢えび」「金目鯛」「わさび」ですが、今回はズバリ「金目鯛」が目的でした。妻は「絶対伊勢えび」と言っていましたが、インターネットで見つけた宿で伊勢えびが出ることはまずないでしょう。ビールでのどを潤し、30センチもある金目の煮付け。二人で1匹でしたが、味も量も申し分ありませんでした。金目の刺身も油が乗っていてとてもおいしくいただきました。熱燗も付けてもらって至福の一時を過したのでした。 次回はいよいよ、幕末の激動期における下田の歴史と文化を見たいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊豆下田

2011-01-25 21:38:23 | 日記

園長です。

 50歳以上が会員になれるJR東日本の「大人の休日倶楽部」。年に2回、3日間12,000円で東日本、及び北海道の一部を乗り放題という特別企画がありました。私達夫婦も残念ながら50歳以上の部類に入ってしまいました。今回は初めての挑戦ということで、夫婦で伊豆半島の最先端「石廊崎」まで行ってきました。土曜日の午後に出発し、その日は、東京上野で宿泊。上野駅は私の青春そのもです。学生時代は「特急はつかり」で八戸から上野まで約8時間30分。寝台特急では約9時間かかりました。その頃は東北地方の玄関口は東京駅ではなく「上野駅」でした。そのせいか、今でも上野界隈は少し歩けます。この日は妻と、吉田類の「居酒屋放浪記」に出てきた、アメ横の「大統領」に行くことにしました。ここは若かりし頃、先輩と時間調整に良く入った居酒屋で、安い、早いだけが取り柄の店でしたが、貧乏学生にはぴったりの店でした。その後保育園に勤務してからも1度行きましたが、雰囲気は当時と全く変わっていませんでした。その日は土曜日とあってひどく混んでいて、私たちの座る場所はありませんでした。仕方なく湯島方面へぶらぶら歩き、手ごろな居酒屋に入りました。妻は私とタイゴで飲みます。最初はビール。次に私は「ホッピー」。妻は「焼酎のロック」を頼みました。つまみは、定番「もつ煮込み」です。味噌味でとてもおいしかったです。二人でおなかいっぱい食べて6,000円くらいでした。東京は薄利多売でも十分やっていけるところなのだと感心しました。人口が多いというのは、それだけで活気にあふれ、なにかうきうきした感じになります。夜の大都会を満喫しホテルに帰り、浅い眠りに着いたのでした。

 翌日は晴天で、上野駅からも作りかけの「東京スカイツリー」が見えました。東京タワーは昭和30年代の物語でしたが、東京スカイツリーは平成の大偉業となる物語になるのでしょうか。そんなことを思いながら、大都会の朝を東京駅に向かったのでした。

 東京駅発9:00ちょうどの特急踊り子105号で伊豆下田まで約2時間43分。伊豆半島は意外と時間のかかる場所にありました。途中、熱海で伊豆急行に変わり、単線で一路下田へと向かいました。途中、湯河原辺りで、「寒桜」が5分咲きくらいに咲いていました。八戸では寒の真っ最中。桜などとんでもないところですが、ここ伊豆では「川津桜」を代表に、1月から2月に咲く桜が有名です。スイセンも甘い香りを放ち先誇っていました。伊豆半島は遠い昔、太平洋プレートが衝突して出来た半島だと言われ、火山活動の激しいところです。そのため地震が多く、物騒なところでもあります。関東大地震はここが原因だと言われています。しかし、温泉は半島全域に点在しており、温泉自慢の場所でもあります。その中心地、伊豆下田にいよいよ上陸です。歴史と観光に恵まれた下田を次回ご紹介したいと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毛 その2

2011-01-18 12:42:21 | 日記

園長です。

 昨日、「毛」のことを書いているうち、とても恥ずかしい「毛」の話を思いだした。私には、たくさんの趣味がある。このブログでも「きのことり」や「渓流釣り」「旅行」の話などたくさん書いた。でも「ゴルフ」の話はあまりしていない。ゴルフを趣味にしている園長にはろくな奴がいない。私もその中の一人なので滅多なことでは話題にしない。でも、この恥ずかしい話は、ゴルフ自体の話しではないので、思い切って書くことにする。

 ある夏の日、八甲田山の雄姿が望める山岳コースでゴルフコンペが行なわれた。ゴルフは一見のんびりしていて、汗などかかない軟弱なスポーツに見えるが、そうではない。歩くだけで汗が吹き出るように流れる。18ホールが終了するとシャツも履いているズボンも搾れば滴るように汗が出てくるほどである。こんなときは風呂で一汗流すに限る。特にこのゴルフ場は近くの温泉から源泉をひいている本物の温泉で有名である。着替えは朝、バッグに入れて持ってきた。確認もせずに今まで着ていたものを脱いで、備え付けのビニール袋にまとめて入れ、温泉へざぶん・・・。いい気持ちで風呂から上がり、着替えようとバッグを開いたら、パンツがない。どうやら入れ忘れたらしい。しかし、今まではいていたパンツは汗でびしょびしょだし・・・。裏返して履いてもも意味がなさそうだし・・。そうだ、シャツをパンツ代わりにして履いたらどうだろうか・・・。でも、首の穴からは何が出るの・・・。仕方がない、ノーパンでいこう。あたりを見回し、自分に視線が集まっていないことを確認し、大急ぎでズボンをはいた。その時、「園長先生」と背後から声が・・・。「痛い」、あわててチャックを閉めたので何かがチャックに挟まってしまった。「毛」だ。チャックの閉じた隙間からジンジロ毛がはみ出している・・・。これは痛い。元通りにするには、もう一度「毛」を通過しなければいけない。「園長先生何やってるの?」背後の人物が覗き込む。見られては恥ずかしいので、痛さにもだえながら身をよじる。声をかけたのは、元校長先生で園児のおじいさんだった。痛いのを、引きつる笑顔でごまかし、近くにあったバスタオルで股間を隠し、何とか事なきを得たが、パンツ1枚がこんなにも悲惨な物語を作り出すなんて思ってもいなかった。それからというもの、ゴルフに行くときは、「パンツよし、シャツよし、靴下よし・・・・」と指差し呼称して確認をしている。ほんと、ゴルフを趣味にしている園長にはろくな奴がいない。きっと私より面白い話をいっぱい知っているんだろうなあ。みなさん、くれぐれもパンツを忘れても履いていたパンツを裏返して履くのだけは止めてくださいね。私のようにノーパンでお願いします。でも、あの挟まれたのが「毛」で良かった。間違って違うところだったら・・・それこそ「玉にキズ」・・・なんてね。危ない、危ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする