魚料理店をしている兄の所では、
大晦日にお刺身セットとオードブルセットの予約が、
百件も入ったと言う。
店は、29日から昼も夜も休みだが、
その日の夕食後に電話してみると、
予約の仕込みのためまだ厨房にいた。
「去年は、予約したお客さんを待たせてしまったから、
そんなことがないようにしないと」と笑う。
兄は、若い頃からずっと、
年越しの日まで、忙しく働いてきた。
「そろそろ引退しては・・・?」と言う私に、
「したら、俺はどうする。何もすることなくなるべ」。
だから、きっとこれからも生涯働き続けるのだと思う。
刺激を受けない訳がない。
老け込んでなんかいられない。
「来年も、私らしさを探しながら、
一歩また一歩と歩みを進めていこう!」。
さて、「『高齢者講習』デビュー」の続編である。
繰り返しになるが、
『講習が終了する正午まで、
様々な微笑ましい言動に出会えた』。
後編は、講習会場でのエピソードを記す。
① プレハブの小さな部屋には、3と3と2列に、
机と椅子の席が並んでいた。
机には、番号があり、
受講生8人は、指定された番号の席に座った。
私は、右の前列だった。
全員が席に着くと、指導員がさっと前に立った。
大ベテラン風の女性だった。
開口一番、指導員は、
「私の声が、聞き取りにくい方はいませんか。
いらっしゃいましたら、今のうちに言ってください」。
すぐに、斜め後ろの男性が、
「少し聞きにくいワ。マスクをはずしてもらうと、
ハッキリ聞こえると思うけど」。
一瞬、小さな笑いが起きた。
でも、指導員は真顔で、
「マスクをはずすことはできません。
コロナですから。
前の席に移ったら、大丈夫ですかね?」。
「どうかな!」。
「私の席と替わりましょうか」。
私が名乗りでた。
席を入れ替わる時、そっと顔を見た。
おそらく5歳は年上、人の良さそうな印象だった。
「いかがですか。大丈夫そうですか?」
「うん。よく聞こえる。大丈夫だ」。
その後、認知機能検査が行われ、
採点のために10分間の休憩が告げられた。
女性の指導員が、回答用紙を抱えて退室した。
8人の無言の時間が流れた。
しばらくして、口火を切ったのは、
私と入れ替わった男性だった。
「珍しいね。女の指導員なんて。
やっぱり若い女の人はいいね。
何でもいいから、話しかけたくなるワ。
それだけで、元気になるよ」。
女性は、定年間近に思えていた。
でも、彼の目には・・・。
受け止め方は人それぞれ、様々だ。
「若い・・って!」。
私は、顔を隠して笑いをこらえた。
② その男性のひと言で、会場の雰囲気が和んだ。
すかざず、私の正面に座っていた
小さなマスクの大柄な男性(前編に登場)が、話しだした。
「あのさ、年寄りがアクセルとブレーキを間違えて、
事故をおこしたって言うだろう。
だけど、踏み間違いなんてするか。
俺はそんなことしない」。
しかし、自信満々の彼に同意する声は上がらなかった。
みんなやや背を丸め、目を伏せて次の言葉を待った。
すると彼は予想外なことを言い出した。
「だけど、今の検査、タケノコは野菜なのに、
果物の欄に書いちまったサ。
それから、思い出せないのもいっぱいあったし・・。
運転できなくなると、困るんだよなぁ」。
これには、後ろの席から続く者がいた。
「俺なんか、時間を書くところも、
全然違う時間を書いたみたいで・・。
心配で心配で・・」。
すかさずこんな声が、
「オンナジだ。いっぱい思い出せなかった。
けど、大丈夫だ」。
「そう、大丈夫、みんな合格するよ。
大丈夫だ。心配ないって」。
「そうさ、何ともない」。
声と一緒に、それぞれが大きくうなずき、
励まし合った。
私も思わず、その温かな空気感に包まれ、
何度も「大丈夫です」を小さく繰り返した。
③ 10分後、私たちの前に立ったあの女性指導員は、
「全員合格です」と笑顔で言った。
誰1人その結果に納得していない顔のまま安堵していた。
そして、バックの車庫入れがなくなった運転技能講習を受け、
最後の視力検査へ進んだ。
再び、講習会場の席で、隣接する別室の検査順を待った。
視野検査と2種の動体視力検査があった。
私は、無事に検査を終えホッとして、席に戻った。
次に検査を受けた方と男の検査員のやり取りが聞こえてきた。
検査を終えた直後の私には、
そのやり取りが手に取るように分かった。
2番目3番目は、動体視力の検査だった。
動く丸い輪の切れ目が分かったら、ブザーを押せばいいのだ。
検査員が彼に訊く。
「見えましたか?・・・・切れ目が分かったら押してください」
彼は、黙ったまま、無反応が続いた。
検査員は言う。
「もう一度やりますね。切れ目が見えたら押すんですよ。
いいですね。」
再び、静寂が・・・。
「じゃ、次の検査に移りますね。
同じように、切れ目が見えたら押してください。
・・・見えませんか」。
もう1度、同じことを繰り返す。
結果は同じだった。
会場にいる全員が、黙って検査の推移に注目した。
当然、誰も助け船など出せなかった。
じっと検査に聞き耳をたてた。
周囲と同じように、
私も次第に重たい気持ちになっていった。
検査員は、続けた。
「年齢が進むと、視力の低下か進みます。
眼鏡も合わなくなります」。
その通りだ。
間違っていない。
しかし、次はちょっと心に刺さった。
「だから、私の父は3年ごとの更新時には、
必ず新しい眼鏡にしています。
安い眼鏡もありますから、
是非視力に合った新しいものを作ってはいかがですか。
3年に1度のことですから」。
別室で言われている彼が気の毒になった。
案の定、退出して戻ってきた姿が弱々しかった。
自席に座りながら漏らしたため息が、
狭い部屋中に聞こえた。
私たちも同時に、小さく息を吐き肩を落とした。
講習会が終わり立ち上がった時、
あの大柄な男性が彼に近づき、何やら声をかけていた。
きっとポンと肩を叩いたのだと思う。
新春を待つ 伊達神社
大晦日にお刺身セットとオードブルセットの予約が、
百件も入ったと言う。
店は、29日から昼も夜も休みだが、
その日の夕食後に電話してみると、
予約の仕込みのためまだ厨房にいた。
「去年は、予約したお客さんを待たせてしまったから、
そんなことがないようにしないと」と笑う。
兄は、若い頃からずっと、
年越しの日まで、忙しく働いてきた。
「そろそろ引退しては・・・?」と言う私に、
「したら、俺はどうする。何もすることなくなるべ」。
だから、きっとこれからも生涯働き続けるのだと思う。
刺激を受けない訳がない。
老け込んでなんかいられない。
「来年も、私らしさを探しながら、
一歩また一歩と歩みを進めていこう!」。
さて、「『高齢者講習』デビュー」の続編である。
繰り返しになるが、
『講習が終了する正午まで、
様々な微笑ましい言動に出会えた』。
後編は、講習会場でのエピソードを記す。
① プレハブの小さな部屋には、3と3と2列に、
机と椅子の席が並んでいた。
机には、番号があり、
受講生8人は、指定された番号の席に座った。
私は、右の前列だった。
全員が席に着くと、指導員がさっと前に立った。
大ベテラン風の女性だった。
開口一番、指導員は、
「私の声が、聞き取りにくい方はいませんか。
いらっしゃいましたら、今のうちに言ってください」。
すぐに、斜め後ろの男性が、
「少し聞きにくいワ。マスクをはずしてもらうと、
ハッキリ聞こえると思うけど」。
一瞬、小さな笑いが起きた。
でも、指導員は真顔で、
「マスクをはずすことはできません。
コロナですから。
前の席に移ったら、大丈夫ですかね?」。
「どうかな!」。
「私の席と替わりましょうか」。
私が名乗りでた。
席を入れ替わる時、そっと顔を見た。
おそらく5歳は年上、人の良さそうな印象だった。
「いかがですか。大丈夫そうですか?」
「うん。よく聞こえる。大丈夫だ」。
その後、認知機能検査が行われ、
採点のために10分間の休憩が告げられた。
女性の指導員が、回答用紙を抱えて退室した。
8人の無言の時間が流れた。
しばらくして、口火を切ったのは、
私と入れ替わった男性だった。
「珍しいね。女の指導員なんて。
やっぱり若い女の人はいいね。
何でもいいから、話しかけたくなるワ。
それだけで、元気になるよ」。
女性は、定年間近に思えていた。
でも、彼の目には・・・。
受け止め方は人それぞれ、様々だ。
「若い・・って!」。
私は、顔を隠して笑いをこらえた。
② その男性のひと言で、会場の雰囲気が和んだ。
すかざず、私の正面に座っていた
小さなマスクの大柄な男性(前編に登場)が、話しだした。
「あのさ、年寄りがアクセルとブレーキを間違えて、
事故をおこしたって言うだろう。
だけど、踏み間違いなんてするか。
俺はそんなことしない」。
しかし、自信満々の彼に同意する声は上がらなかった。
みんなやや背を丸め、目を伏せて次の言葉を待った。
すると彼は予想外なことを言い出した。
「だけど、今の検査、タケノコは野菜なのに、
果物の欄に書いちまったサ。
それから、思い出せないのもいっぱいあったし・・。
運転できなくなると、困るんだよなぁ」。
これには、後ろの席から続く者がいた。
「俺なんか、時間を書くところも、
全然違う時間を書いたみたいで・・。
心配で心配で・・」。
すかさずこんな声が、
「オンナジだ。いっぱい思い出せなかった。
けど、大丈夫だ」。
「そう、大丈夫、みんな合格するよ。
大丈夫だ。心配ないって」。
「そうさ、何ともない」。
声と一緒に、それぞれが大きくうなずき、
励まし合った。
私も思わず、その温かな空気感に包まれ、
何度も「大丈夫です」を小さく繰り返した。
③ 10分後、私たちの前に立ったあの女性指導員は、
「全員合格です」と笑顔で言った。
誰1人その結果に納得していない顔のまま安堵していた。
そして、バックの車庫入れがなくなった運転技能講習を受け、
最後の視力検査へ進んだ。
再び、講習会場の席で、隣接する別室の検査順を待った。
視野検査と2種の動体視力検査があった。
私は、無事に検査を終えホッとして、席に戻った。
次に検査を受けた方と男の検査員のやり取りが聞こえてきた。
検査を終えた直後の私には、
そのやり取りが手に取るように分かった。
2番目3番目は、動体視力の検査だった。
動く丸い輪の切れ目が分かったら、ブザーを押せばいいのだ。
検査員が彼に訊く。
「見えましたか?・・・・切れ目が分かったら押してください」
彼は、黙ったまま、無反応が続いた。
検査員は言う。
「もう一度やりますね。切れ目が見えたら押すんですよ。
いいですね。」
再び、静寂が・・・。
「じゃ、次の検査に移りますね。
同じように、切れ目が見えたら押してください。
・・・見えませんか」。
もう1度、同じことを繰り返す。
結果は同じだった。
会場にいる全員が、黙って検査の推移に注目した。
当然、誰も助け船など出せなかった。
じっと検査に聞き耳をたてた。
周囲と同じように、
私も次第に重たい気持ちになっていった。
検査員は、続けた。
「年齢が進むと、視力の低下か進みます。
眼鏡も合わなくなります」。
その通りだ。
間違っていない。
しかし、次はちょっと心に刺さった。
「だから、私の父は3年ごとの更新時には、
必ず新しい眼鏡にしています。
安い眼鏡もありますから、
是非視力に合った新しいものを作ってはいかがですか。
3年に1度のことですから」。
別室で言われている彼が気の毒になった。
案の定、退出して戻ってきた姿が弱々しかった。
自席に座りながら漏らしたため息が、
狭い部屋中に聞こえた。
私たちも同時に、小さく息を吐き肩を落とした。
講習会が終わり立ち上がった時、
あの大柄な男性が彼に近づき、何やら声をかけていた。
きっとポンと肩を叩いたのだと思う。
新春を待つ 伊達神社
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