◆ 先日、ネットの投稿サイトにあった質問と、
回答が目に止まった。
確か、質問者は成人女性だったと思う。
彼女は、小学校へ入学する時、
すでに、自分の氏名を漢字で書くことができた。
それを見た担任は感心した。
彼女は胸を張って、すかさず言った。
「幼稚園に入った時には、ひらがなもカタカナも書けたよ。」
それを聞いた担任は、こう切り返した。
「そうだったの。だから、字が汚いのね。」
以来、彼女はずっとその言葉が、心に残った。
なので、ネット上でこう尋ねている。
「早い年齢で字が書けるようになることと、
字の綺麗さは、関係あるのですか?
確かに、私は今も、きれいな字ではありません。」
その問いかけに、1つの回答が寄せられた。
「私も、早い年齢で字が書けるようになりました。
でも、みんなからきれいな字ねとほめられています。
字のことに限らず、そんな言い方をする先生って、
昔も今もいますよね。」
ドキリとした。
文字の習得時期と字形の問題ではない。
「そんな言い方をする先生」のフレーズである。
確かに、そんな先生が「昔も今も」いる。
現職の頃、身の回りであった類似する出来事を、
2つ思い出した。
◆ 当時、私が勤務していた学校は、
全学年が2学級編制だった。
私と同学年を組んだのは、同年代の女性だった。
ところが、
職員室で机が向き合わせになっていた隣接学年の2人は、
年齢差がある女性同士だった。
1人は大ベテランの50歳代A先生、
もう1人は教職4年目の20歳代B先生だ。
私たち2人は、和気あいあいと、
どんなことでも遠慮なくアイデアを出し合い、
意見交換をして、指導にあたっていた。
ところが、向かいの2人は、雰囲気が違った。
ベテランのA先生が、自分の思いを伝え、
それに対してB先生は、
意見や子どもの様子を口にすることなく、
いつも「ハイ。」と応じるだけだった。
2人には、教え子程の年齢差がある。
だから、そのようなやりとりも致し方ないと、
私は思っていた。
夏休みが過ぎてからだ。
たびたびくり返される、2人のこんなやりとりがあった。
「あなた、また、
子どもを残して勉強させていたでしょう。」
「あっ、ハイ。」
「一斉に下校させないとダメでしょう。
何かあったら大変よ。」
「わかりました。気をつけます。」
数日すると、また同じような会話になった。
子どもの安全上、『下校はできるだけすみやかに』
とはなっていた。
しかし、居残り勉強に対して、厳しい約束事はなかった。
それでも、A先生は、
授業が終わるとすぐに子どもを下校させ、
次の仕事に取りかかっていた。
だから、同じようにすることを、
B先生にも求めた。
しかし、B先生は、授業では理解が進まない子に、
放課後の個別指導の必要性を感じていた。
時折、A先生に遠慮しながら、
そっと何人かの子どもと居残り勉強をした。
自分の指導の至らなさに対する、
B先生なりの努力だと、私は理解していた。
ある朝、再び職員室でのことだ。
「きのう、また、子どもを残したでしょう。」
「あっ、ハイ。」
「ダメだと言ってるのよ。どうして?」
「ハイ、気をつけます。」
「だから、どうして子どもを残すの?」
「授業だけでは、分からない子がいるので。」
B先生は、うな垂れ、小声だった。
「一生懸命、授業で教えてあげて、
それでも分からないのでしょう。」
「ハイ。」
「ならば、しょうがないのよ。」
A先生は、そう言い切ると、足早に職員室を後にした。
私は、朝の多忙な職員室で、向かいの席から、
そんな2人のやり取りを耳にした。
A先生の最後のひと言に、
「それは違う。」と言いたかったが、ジッと我慢した。
そして、少し涙ぐむB先生に、笑顔を向けた。
「頑張れ。先生、間違ってないよ。」
その後も、二人は、同じようなやりとりを続けた。
でも、B先生は、居残り勉強をやめなかった。
◆ まだ、管理職を目指していなかった頃だ。
ある日の職員室、校長と教頭(副校長)のやりとりが、
記憶にある。
放課後、職員室で事務処理に追われていた。
同じように机に向かう先生が数人いた。
その時、教頭へ電話があった。
教育委員会からだったのだろうか、
緊急の問い合わせのようで、忙しくファイルを探し、
それに応じていた。
当時の教頭先生は、誠実で穏やかな人柄の方のように、
私の目には映っていた。
仕事もテキパキと進めた。
私たち教員にも子ども達にも、ていねいな物腰で接し、
誰からも評判がよかった。
その電話の最後、教頭はこう言って、受話器を置いた。
「では、折り返しお電話を頂けるのですね。
ハイ、私は自席でお待ちしております。」
そこまでは、日常よくある教頭の姿だった。
ところが、その日は直後に、
珍しく校長先生が職員室に顔を出した。
教頭席に近寄り、声をかけた。
教頭は自席で立ち上がり、校長と言葉を交わした。
その内容は、私の席まで届かなかったが、
やや長いやりとりが続いていた。
その時、電話が鳴った。
誰もが、さっきの折り返し電話だと思った。
だから、校長との会話をさえぎり、
教頭は受話器を耳にした。
しばらくそれに応じてから、電話を切った。
次の瞬間、突然その場の空気が変わった。
会話が中断し、待たされていた校長が、大きな声を上げた。
「電話なんて、誰かにとらせろよ。」
教頭は、顔色を失った。
すかさず、その場で深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。」
「教頭先生は、折り返しの電話を待ってたんです。
だから、受話器を取ったんです。」
立ち上がって、校長にそう言うだけの勇気が、
私にはなかった。
その夜、何人かの先生と教頭先生を誘って、
居酒屋に行った。
「先生たちの前で、叱らなくても。」
酔いがまわったのか、大の男が涙をこぼした。
◆ 『感情や心配りなどが繊細なあり様』を、
デリカシーと言うらしい。
その形容詞が、『デリケート』で、
つまりは「うっとりとさせるような」ことと解釈できる。
それらを失ってしまうと、
まさに「お構えなし」の「無神経」へとつながる。
時に、最もデリカシーが求められる学校現場に、
真逆な『デリカシーのない人』が現れる。
そして、デリカシーのない言葉をはき、
子どもや大人の心を傷つける。
私自身と現職の先生方が、
そのような人格と無縁でいるために、
『デリカシーのない人の特徴』を列記して、結ぶ。
・自分の価値観が、他人と共通だと思い込んでいる。
・自分では、親切のつもりでやっていることが多い。
・自分中心の考え方で、行動していることに気づいていない。
・「デリカシーがないこと」に対し、無自覚である。
冬ざむの洞爺湖・中島
回答が目に止まった。
確か、質問者は成人女性だったと思う。
彼女は、小学校へ入学する時、
すでに、自分の氏名を漢字で書くことができた。
それを見た担任は感心した。
彼女は胸を張って、すかさず言った。
「幼稚園に入った時には、ひらがなもカタカナも書けたよ。」
それを聞いた担任は、こう切り返した。
「そうだったの。だから、字が汚いのね。」
以来、彼女はずっとその言葉が、心に残った。
なので、ネット上でこう尋ねている。
「早い年齢で字が書けるようになることと、
字の綺麗さは、関係あるのですか?
確かに、私は今も、きれいな字ではありません。」
その問いかけに、1つの回答が寄せられた。
「私も、早い年齢で字が書けるようになりました。
でも、みんなからきれいな字ねとほめられています。
字のことに限らず、そんな言い方をする先生って、
昔も今もいますよね。」
ドキリとした。
文字の習得時期と字形の問題ではない。
「そんな言い方をする先生」のフレーズである。
確かに、そんな先生が「昔も今も」いる。
現職の頃、身の回りであった類似する出来事を、
2つ思い出した。
◆ 当時、私が勤務していた学校は、
全学年が2学級編制だった。
私と同学年を組んだのは、同年代の女性だった。
ところが、
職員室で机が向き合わせになっていた隣接学年の2人は、
年齢差がある女性同士だった。
1人は大ベテランの50歳代A先生、
もう1人は教職4年目の20歳代B先生だ。
私たち2人は、和気あいあいと、
どんなことでも遠慮なくアイデアを出し合い、
意見交換をして、指導にあたっていた。
ところが、向かいの2人は、雰囲気が違った。
ベテランのA先生が、自分の思いを伝え、
それに対してB先生は、
意見や子どもの様子を口にすることなく、
いつも「ハイ。」と応じるだけだった。
2人には、教え子程の年齢差がある。
だから、そのようなやりとりも致し方ないと、
私は思っていた。
夏休みが過ぎてからだ。
たびたびくり返される、2人のこんなやりとりがあった。
「あなた、また、
子どもを残して勉強させていたでしょう。」
「あっ、ハイ。」
「一斉に下校させないとダメでしょう。
何かあったら大変よ。」
「わかりました。気をつけます。」
数日すると、また同じような会話になった。
子どもの安全上、『下校はできるだけすみやかに』
とはなっていた。
しかし、居残り勉強に対して、厳しい約束事はなかった。
それでも、A先生は、
授業が終わるとすぐに子どもを下校させ、
次の仕事に取りかかっていた。
だから、同じようにすることを、
B先生にも求めた。
しかし、B先生は、授業では理解が進まない子に、
放課後の個別指導の必要性を感じていた。
時折、A先生に遠慮しながら、
そっと何人かの子どもと居残り勉強をした。
自分の指導の至らなさに対する、
B先生なりの努力だと、私は理解していた。
ある朝、再び職員室でのことだ。
「きのう、また、子どもを残したでしょう。」
「あっ、ハイ。」
「ダメだと言ってるのよ。どうして?」
「ハイ、気をつけます。」
「だから、どうして子どもを残すの?」
「授業だけでは、分からない子がいるので。」
B先生は、うな垂れ、小声だった。
「一生懸命、授業で教えてあげて、
それでも分からないのでしょう。」
「ハイ。」
「ならば、しょうがないのよ。」
A先生は、そう言い切ると、足早に職員室を後にした。
私は、朝の多忙な職員室で、向かいの席から、
そんな2人のやり取りを耳にした。
A先生の最後のひと言に、
「それは違う。」と言いたかったが、ジッと我慢した。
そして、少し涙ぐむB先生に、笑顔を向けた。
「頑張れ。先生、間違ってないよ。」
その後も、二人は、同じようなやりとりを続けた。
でも、B先生は、居残り勉強をやめなかった。
◆ まだ、管理職を目指していなかった頃だ。
ある日の職員室、校長と教頭(副校長)のやりとりが、
記憶にある。
放課後、職員室で事務処理に追われていた。
同じように机に向かう先生が数人いた。
その時、教頭へ電話があった。
教育委員会からだったのだろうか、
緊急の問い合わせのようで、忙しくファイルを探し、
それに応じていた。
当時の教頭先生は、誠実で穏やかな人柄の方のように、
私の目には映っていた。
仕事もテキパキと進めた。
私たち教員にも子ども達にも、ていねいな物腰で接し、
誰からも評判がよかった。
その電話の最後、教頭はこう言って、受話器を置いた。
「では、折り返しお電話を頂けるのですね。
ハイ、私は自席でお待ちしております。」
そこまでは、日常よくある教頭の姿だった。
ところが、その日は直後に、
珍しく校長先生が職員室に顔を出した。
教頭席に近寄り、声をかけた。
教頭は自席で立ち上がり、校長と言葉を交わした。
その内容は、私の席まで届かなかったが、
やや長いやりとりが続いていた。
その時、電話が鳴った。
誰もが、さっきの折り返し電話だと思った。
だから、校長との会話をさえぎり、
教頭は受話器を耳にした。
しばらくそれに応じてから、電話を切った。
次の瞬間、突然その場の空気が変わった。
会話が中断し、待たされていた校長が、大きな声を上げた。
「電話なんて、誰かにとらせろよ。」
教頭は、顔色を失った。
すかさず、その場で深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。」
「教頭先生は、折り返しの電話を待ってたんです。
だから、受話器を取ったんです。」
立ち上がって、校長にそう言うだけの勇気が、
私にはなかった。
その夜、何人かの先生と教頭先生を誘って、
居酒屋に行った。
「先生たちの前で、叱らなくても。」
酔いがまわったのか、大の男が涙をこぼした。
◆ 『感情や心配りなどが繊細なあり様』を、
デリカシーと言うらしい。
その形容詞が、『デリケート』で、
つまりは「うっとりとさせるような」ことと解釈できる。
それらを失ってしまうと、
まさに「お構えなし」の「無神経」へとつながる。
時に、最もデリカシーが求められる学校現場に、
真逆な『デリカシーのない人』が現れる。
そして、デリカシーのない言葉をはき、
子どもや大人の心を傷つける。
私自身と現職の先生方が、
そのような人格と無縁でいるために、
『デリカシーのない人の特徴』を列記して、結ぶ。
・自分の価値観が、他人と共通だと思い込んでいる。
・自分では、親切のつもりでやっていることが多い。
・自分中心の考え方で、行動していることに気づいていない。
・「デリカシーがないこと」に対し、無自覚である。
冬ざむの洞爺湖・中島
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