ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

教育エッセイ『優しくなければ』より ②

2017-01-05 21:01:20 | 出会い
 明けましておめでとうございます。
今年も、いや今年こそ、
良い年でありますように、と願っています。

 さて、今日は、最初に今年の年賀状の詩を記し、
次に、昨年始めのブログ同様、
私の教育エッセイ『優しくなければ』から、
2つを抜粋します。


     遅 い 春

 寒々とした小枝の新芽が弾け
 息吹きを取り戻したのを何度も見てきたから
   どうしてそんな無茶をと問われて
   手が届きそうな気がしてと答えてみた
 遅咲きの桜が並ぶ湖畔ににぎわうランナー
 それに飲み込まれ先が見えない私

 やがてそこら中の新緑が陽を受け
 色とりどりに咲き誇るのを何度も見てきたから
   途中でリタイアする勇気を持ての助言に
   必ずゴールインをと意気込んでみた
 ガラス色の細波のそばをまばらなランナー
 それでも重くなった足で前を見据える私

 初めての42、195は完走後に号泣さと先輩ランナー
 その感情を走路に置き忘れてきた私
   潤んだ声で「頑張ったね」の出迎えに
   言葉のない小さな微笑みが精一杯
 いつしか洞爺の湖面を流れる春風が肩を
 初めての心地よさにしばらくは酔っていた


  
    対角線を進まない

 もう20年(執筆当時)近くも前のことですが、
ある時、多摩動物園のチンパンジーの飼育係の方から、
お話を伺う機会に恵まれました。

 多忙な時間をさいて、私共のために、
小1時間程お話をしてくださるとのことで、
はるばると、八王子に近い動物園まで足を運びました。

 園内の約束の場所で待ち構えていると、
歩く格好から顔の表情まで、
どことなくチンパンジーに似た方が現れ、
思わず忍び笑いをしてしまいました。

 「チンパンジーの飼育係になって8年になりますが、
最近富みに似てきたようで、妻からも
『あなた、人間離れしてきたわ。』
と言われるんです。」

 私共の大変失礼な反応を、そんな風に軽くかわしながら、
彼は、大好きなチンパンジーの紹介に、
熱弁をふるってくれました。

 その一節に私は強く心をひかれました。
それは、チンパンジーが寝室にいる時に、
飼育係が近寄っていく場面のことです。

 チンパンジーは大人になると、人間の成人よりも大きく、
腕力などは人間のおよびもつかないものになります。
 赤ちゃんのチンパンジーを、
チンパンジーのイメージとして固定していた私は、
まず、その思いをすてる所から話を聞いたのです。

 チンパンジーの寝室は、当然鉄の檻ですが、
一頭ずつ長方形に仕切られ、
床はコンクリートがむき出しになっています。

 一方の鉄柵の角に、飼育係が出入りする扉があるのですが、
チンパンジーは決まって、その扉と正反対の片隅に、
毛布を敷いて寝るのだそうです。

 時々、体調を崩してしまうことがあり、
どうしてもその寝室へ入って、
直に様子を見なければならない時があるそうです。
 そんな時、飼育係の方は扉を開け、
チンパンジーに近づいていくのですが、
私はその近づき方に教えられました。

 扉と正反対の片隅にいるチンパンジーに近づく時に、
決してストレートに対角線を進まない。
 鉄格子ぞい、壁づたいに、
あえて遠回りをして、近づいていくのです。

 チンパンジーは、
顔馴染みの飼育係が寄ってくるのに気づくと、
そのまま近づいてもいい時は、動かないが、
近寄ってほしくない場合は、
近づいてくる飼育係とは反対の方向へ移動するのです。

 しかし、仮に対角線を進んだら、
もし近寄ってほしくない気分でいる場合、
部屋の角にいるチンパンジーはどんな行動を取るでしょう。
 移動する場所がないのですから、
残された方法は威嚇するか、
それとも飼育係にとびかかるかになるでしょう。

 決して対角線を進まないというこの話は、
チンパンジーと飼育係のことに限らないように思います。
 私たちが常に心して良好な人間関係を、
築いていく基本のように思えます。
 そして、子育てに携わる者にとって、
極めて重要な教えだと私は思います。



    生きる原点

 ある年、長崎に原爆が投下された日に、
NHKで30分程のドキュメンタリー『しげちゃんにあいたい』が、
放映されました。

 昭和20年8月9日、小学校1年生のみっちゃんとしげちゃんは、
たまたま病院の屋上で遊んでいて、
その帰り、エレベーター付近で被爆します。
 みっちゃんは親御さんも何とか生きのびましたが、
しげちゃんは両親が亡くなり孤児となり、
行方知れずになってしまいます。

 あれから63年(放映当時)がたった今も、
みっちゃんは、あの時に離ればなれになった
しげちゃんを探し求め、
「しげちゃんにあいたい。」と言い続けているのです。

 どこかから、じげちゃんらしい人の情報が入ると、
足繁くその情報を頼りに遠方でも確かめに行くみっちゃん。
そして、しげちゃんらしいわずかな手がかりにも、
表情を明るくするみっちゃん。

 私はその映像を見ながら、
もう何年もご無沙汰をしているH氏のことを思い出していました。

 H氏は、私と顔を合わすと必ず、
「先生、ぜひ浦川原に足を運んでください。」と、言われます。

 その地名は、皆さんには馴染みがないと思いますが、
新潟県上越市郊外にある「農村」といっていいかと思います。

 この村に、私が以前勤務していたS小学校の卒業生H氏が、
『おいで山荘』という別邸を設けているのです。

 H氏は、とうに70才(執筆当時)を越えた方ですが、
H氏をはじめとする当時のS小学校の児童は、
終戦間近の昭和19年頃、浦川原村に学童疎開をしました。

 それが縁で、S小学校は村の小学校と姉妹校提携をして、
今も盛んに学校間交流をしております。

 この交流が決して絶えることがないように、
そして学童疎開という悲劇が風化することのないように、
そんな願いを込めて、10年前(執筆当時)にH氏は私財を投じて、
浦川原の旧農家を買い取り、山荘を開きました。

 私は、H氏にお会いするたびに、
小学校6年生、12才の体験を、
昨日のことのように語る姿に触れ、
H氏の生きる原点が、学童疎開という体験にあることを、
思い知らされてきました。

 人は誰でも、それぞれの長い人生の中で、
その人の生き方を、決定づけるような
出来事や事柄に出会うものです。
 それを、私はその人の『生きる原点』と言ってきました。

 みっちゃんやH氏のような戦争という強烈な出来事ではなくても、
小学校生活を通して、そんな原点を持つことになる子どもも、
きっといると思います。

 そう考えると、私たちの一つ一つの行為の重大さに、
身の引き締まる思いがします。





 氷点下の伊達漁港・空は少しだけ夕焼け

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