① 退職は、東京都S区だった。
細々とでも縁をつないでおこうと、
S区の退職校長会には、毎年、年会費を納めている。
遠方の私が、会の活動に参加できるのは、
年1回発行の『会誌』への寄稿だけ。
文字数は、300字程度。
私だけでなく、会員はみんな,
わずかなスペースに頭を痛めながら、
想いを綴っているに違いない。
今年も9月にその小冊子が届いた。
『晴れたり曇ったり その4』で、
S・Yさんの急逝を書いたが、
彼女の一文も、掲載されていた。
人柄を偲ぶには、十分過ぎた。
まさかこれが遺稿になるとは・・・。
誰が、これを書かせたのだ。
雨上がりの白い紫陽花と共に、彼女は逝ったのか・・。
転記する。
* * * * *
雨 上 が り
S・Y
6月半ば、蒸し暑い日。新潟実家で三姉妹、兄と4人で会う。
久しぶりの里帰り。
「俺が、8月で80になるから、最後だと思って集合か。」
邪推する兄。
ひとまず、「無事あえてよかったね。」
お互い70代だから、いつ、どこで、どうなるか分からない。
足腰の痛みや視力の衰え、めきめき。
「あっ仏様忘れていた。」
線香に火を灯し、手を合わせる。
母の好きだった笹団子をいただき、幼い頃の話。
父が植えた「ナナカマド」の梢から、
雨のしずくが、キラリ。
庭に白い紫陽花が、朝方の雨を忘れ、
青空に、ポッカリと浮かぶ。
* * * * *
② 19年1月のブログに、
『風船に特別な想い ふたつ』と題した一文を載せた。
まずは、2つ目の想いの一部を抜粋する。
* * * * *
・・・・随分若い頃に聴いた、
さだまさしの歌・『天までとどけ』だ。
まずは、その歌詞を添付する。
天までとどけ
出逢いはいつでも 偶然の風の中
きらめく君 僕の前に
ゆるやかに立ち止まる
懐かしい風景に 再びめぐり逢えた
そんな気がする 君の胸に
はるかな故郷の風
※舞いあがれ 風船の憧れの様に
二人の明日 天までとどけ
ようこそ ようこそ
ようこそ僕の街へ ようこそこの愛へ
≪2番 省略≫
求愛ソングとでも言えそうだが、
この曲では、3回も『舞いあがれ 風船の憧れの様に』のフレーズが、
くり返されている。
さだまさしは、あるコンサートで『風船の憧れ』について、
あるエピソードを語っていた。
古い話だ。
まだまだかけ出しの頃らしい。
ある高名な詩人宅に招かれた。
そこでの歓談で、彼は詩人に問われた。
「さだ君、風船の恋人を知っていますか。」
彼は、突然の問いに戸惑った。答えに困った。
すると、詩人は、静かに言った。
「さだ君、風船の恋人は空だよ。
風船を持っている手をぱっと放してごらん。
すると、風船は、大好きな空へ、
さっと一直線に舞いあがっていくだろう。」
さだまさしは、詩人の言葉に感激した。
* * * * *
退職して、毎日がサンデーになってからは、
NHKの朝ドラが日課の1つになっている。
もう10年になるから、20作も見ている。
1作1作、制作者も俳優も違う。
だから、出来不出来もある。
それでも、いつも、楽しみにしている。
さて、2週間前から始まったのが、
『舞いあがれ』である。
空に憧れる女性のお話のようだ。
ゆくゆくは、パイロットにでもなるのだろうか。
まだ、その子ども時代の場面だから、
確かなことは言えない。
それにしても、さだまさしの『天までとどけ』と、
共通点を感じる。
その上、このドラマの語り手が、さだまさしなのだ。
ドラマの舞台は、大阪と長崎県五島だ。
だから、長崎と関わりのある前川清が、
早々と島の医者役で登場した。
さだまさしも同様の起用なのかもしれない。
でも、それよりも、やっぱり『風船の恋人は空』が、
『主人公「舞」の恋人は空』になっているようで・ ・・。
だから、ドラマのベースに、「天までとどけ」の
『舞いあがれ 風船の憧れの様に』があるように思えてならない。
きっと私だけの理解・・・。
「それでもいい!」。
その想いが勝手に、回を重ねるごとに期待を膨らませている。
「舞」ちゃんには、風船のように
憧れの大空へ真っ直ぐ飛んでいってほしい。
さて、握った風船の糸を、ドラマではどんな風にパッと放すのか。
想像するだけで、ワクワクしてしまう。
③ 左膝の痛みで、走れなくなったのは、
7月の半ばだった。
一時は、歩行も不自由でゴルフにも行けなかった。
MRI検査の結果、半月板損傷と診断された。
医師からは、ランニングからウオーキングに切り替えるよう勧められた。
検査から2週間位で歩行時の痛みは消えた。
でも、ラジオ体操の飛び跳ねる運動は、痛みで片足だけでしか・・。
8月中旬、静かに歩きながらゴルフを再開した。
9月のある日、ゴルフのラウンド中、
バンカーにつかまり、後続の方を随分と待たせてしまった。
グリーンからカートまでの、10数メートルを家内が走った。
私は、急ぎ足でと思ったが、試しに駆け足をしてみた。
「予想していた痛みが・・・!」。
不思議だった。
その日から、徐々に徐々に恐る恐る、
ゴルフコースでは走る距離を伸ばした。
散歩でも、横断歩道で「信号が点滅したから」と走ってみた。
10月1日の朝、思い切って、
家内に伴走を頼み、2キロを目標に走ることに・・。
痛みを感じ、1キロを過ぎた所で少し歩いたが、
数メートルで再び走り出した。
もっと走れると思いつつ、その日は2キロ手前まで・・。
それから3回目の朝ランは、3ヶ月ぶりに5キロへの挑戦。
スロースローのランニングだが、やや冷たくなった風が心地いい。
「無理は禁物!」。
でも、「走れる! 走れる!」。
久しぶりの汗が、「気持ちいい!」。
このまま順調に痛みが消えるとは思えない。
でも、時々は朝ランができそうだ。
「今度は、いつ走る?」
ずうっと晴れの日が続くといい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/86/1eff737d44fb56791d9accaf0c54c1e0.jpg)
落 陽 ~2階の窓辺より
細々とでも縁をつないでおこうと、
S区の退職校長会には、毎年、年会費を納めている。
遠方の私が、会の活動に参加できるのは、
年1回発行の『会誌』への寄稿だけ。
文字数は、300字程度。
私だけでなく、会員はみんな,
わずかなスペースに頭を痛めながら、
想いを綴っているに違いない。
今年も9月にその小冊子が届いた。
『晴れたり曇ったり その4』で、
S・Yさんの急逝を書いたが、
彼女の一文も、掲載されていた。
人柄を偲ぶには、十分過ぎた。
まさかこれが遺稿になるとは・・・。
誰が、これを書かせたのだ。
雨上がりの白い紫陽花と共に、彼女は逝ったのか・・。
転記する。
* * * * *
雨 上 が り
S・Y
6月半ば、蒸し暑い日。新潟実家で三姉妹、兄と4人で会う。
久しぶりの里帰り。
「俺が、8月で80になるから、最後だと思って集合か。」
邪推する兄。
ひとまず、「無事あえてよかったね。」
お互い70代だから、いつ、どこで、どうなるか分からない。
足腰の痛みや視力の衰え、めきめき。
「あっ仏様忘れていた。」
線香に火を灯し、手を合わせる。
母の好きだった笹団子をいただき、幼い頃の話。
父が植えた「ナナカマド」の梢から、
雨のしずくが、キラリ。
庭に白い紫陽花が、朝方の雨を忘れ、
青空に、ポッカリと浮かぶ。
* * * * *
② 19年1月のブログに、
『風船に特別な想い ふたつ』と題した一文を載せた。
まずは、2つ目の想いの一部を抜粋する。
* * * * *
・・・・随分若い頃に聴いた、
さだまさしの歌・『天までとどけ』だ。
まずは、その歌詞を添付する。
天までとどけ
出逢いはいつでも 偶然の風の中
きらめく君 僕の前に
ゆるやかに立ち止まる
懐かしい風景に 再びめぐり逢えた
そんな気がする 君の胸に
はるかな故郷の風
※舞いあがれ 風船の憧れの様に
二人の明日 天までとどけ
ようこそ ようこそ
ようこそ僕の街へ ようこそこの愛へ
≪2番 省略≫
求愛ソングとでも言えそうだが、
この曲では、3回も『舞いあがれ 風船の憧れの様に』のフレーズが、
くり返されている。
さだまさしは、あるコンサートで『風船の憧れ』について、
あるエピソードを語っていた。
古い話だ。
まだまだかけ出しの頃らしい。
ある高名な詩人宅に招かれた。
そこでの歓談で、彼は詩人に問われた。
「さだ君、風船の恋人を知っていますか。」
彼は、突然の問いに戸惑った。答えに困った。
すると、詩人は、静かに言った。
「さだ君、風船の恋人は空だよ。
風船を持っている手をぱっと放してごらん。
すると、風船は、大好きな空へ、
さっと一直線に舞いあがっていくだろう。」
さだまさしは、詩人の言葉に感激した。
* * * * *
退職して、毎日がサンデーになってからは、
NHKの朝ドラが日課の1つになっている。
もう10年になるから、20作も見ている。
1作1作、制作者も俳優も違う。
だから、出来不出来もある。
それでも、いつも、楽しみにしている。
さて、2週間前から始まったのが、
『舞いあがれ』である。
空に憧れる女性のお話のようだ。
ゆくゆくは、パイロットにでもなるのだろうか。
まだ、その子ども時代の場面だから、
確かなことは言えない。
それにしても、さだまさしの『天までとどけ』と、
共通点を感じる。
その上、このドラマの語り手が、さだまさしなのだ。
ドラマの舞台は、大阪と長崎県五島だ。
だから、長崎と関わりのある前川清が、
早々と島の医者役で登場した。
さだまさしも同様の起用なのかもしれない。
でも、それよりも、やっぱり『風船の恋人は空』が、
『主人公「舞」の恋人は空』になっているようで・ ・・。
だから、ドラマのベースに、「天までとどけ」の
『舞いあがれ 風船の憧れの様に』があるように思えてならない。
きっと私だけの理解・・・。
「それでもいい!」。
その想いが勝手に、回を重ねるごとに期待を膨らませている。
「舞」ちゃんには、風船のように
憧れの大空へ真っ直ぐ飛んでいってほしい。
さて、握った風船の糸を、ドラマではどんな風にパッと放すのか。
想像するだけで、ワクワクしてしまう。
③ 左膝の痛みで、走れなくなったのは、
7月の半ばだった。
一時は、歩行も不自由でゴルフにも行けなかった。
MRI検査の結果、半月板損傷と診断された。
医師からは、ランニングからウオーキングに切り替えるよう勧められた。
検査から2週間位で歩行時の痛みは消えた。
でも、ラジオ体操の飛び跳ねる運動は、痛みで片足だけでしか・・。
8月中旬、静かに歩きながらゴルフを再開した。
9月のある日、ゴルフのラウンド中、
バンカーにつかまり、後続の方を随分と待たせてしまった。
グリーンからカートまでの、10数メートルを家内が走った。
私は、急ぎ足でと思ったが、試しに駆け足をしてみた。
「予想していた痛みが・・・!」。
不思議だった。
その日から、徐々に徐々に恐る恐る、
ゴルフコースでは走る距離を伸ばした。
散歩でも、横断歩道で「信号が点滅したから」と走ってみた。
10月1日の朝、思い切って、
家内に伴走を頼み、2キロを目標に走ることに・・。
痛みを感じ、1キロを過ぎた所で少し歩いたが、
数メートルで再び走り出した。
もっと走れると思いつつ、その日は2キロ手前まで・・。
それから3回目の朝ランは、3ヶ月ぶりに5キロへの挑戦。
スロースローのランニングだが、やや冷たくなった風が心地いい。
「無理は禁物!」。
でも、「走れる! 走れる!」。
久しぶりの汗が、「気持ちいい!」。
このまま順調に痛みが消えるとは思えない。
でも、時々は朝ランができそうだ。
「今度は、いつ走る?」
ずうっと晴れの日が続くといい。
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落 陽 ~2階の窓辺より
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