ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

初めての 頼まれごと

2022-10-22 12:45:02 | あの頃
 高校3年の秋のことだから、
かれこれ55年も前のことだ。

 高校生になってから、彼の家へはしばしばお邪魔した。
私と違って、彼は流行の先端を行っていた。
 私には、そう映った。

 まずは、ギターがあった。
それを小脇に抱え、『禁じられた遊び』を弾いた。
 その流れるような旋律に、ウットリした。

 ギターの楽譜本を譜面台に広げ、
私のリクエストに応えて、色んな流行歌を聴かせてくれた。
 マイク眞木の『ばらが咲いた』を、
弾きながら歌ってくれたこともあった。

 2つ目は、写真だ。
誰もがカメラを持てる時代ではなかった。
 しかし、学校で行事があると彼は自分のカメラで、
私たちを撮ってくれた。

 数日後、その写真を無料で、みんなに配った。
自宅に小さな暗室があり、そこで現像すると言う。

 まったく別世界のことのようだったが、
一度だけその暗室で、現像する作業を見せてもらった。
 
 薄暗闇の中で、様々な薬品と器具を使い、
幾つもの作業工程を慎重に行っていた。
 自由に引き伸ばし、現像した写真が、
液体の中から現れた時は、思わす歓声を上げていた。

 これもギター同様、「1人で勉強した」と彼は言った。

 そして、もう1つはブレンドコーヒーだ。
彼の部屋へお邪魔する度に、壁に掛かった棚の
茶色い豆の入ったガラス瓶が増えていた。
 その豆がコーヒー豆だとは・・・。

 「コーヒーを淹れるけど、飲む?」
ある日、彼の部屋で訊かれた。
 インスタントコーヒーしか知らなかった私は、
その後の彼の動きに、目を見開いた。
 初めて、コーヒー豆を知った。
それを粉にし、そこからコーヒーができるまでを見た。
 部屋中に、お洒落な香りが漂った。

 「僕がブレンドしたコーヒーだ。
この味が好きなんだ」。
 そう言って、コーヒーの入ったカップを私の前に置いた。
彼の言う「この味」とはどんな味なのか、
さらには「ブレンド」の意味も私には分からなかった。
 
 それでも、インスタントではない、
本物のコーヒーを美味しいと思った。
 
 その後もしばしば彼が新しくブレンドしたと言う
コーヒーをご馳走になった。
 残念だが、『違いが分かる男』にはなれなかった。

 その彼が、卒業後に選んだ道は、
首都圏の小さな会社への就職だった。
 てっきり東京かその近郊の私立大学へ進むものと思っていた。

 「大学で勉強なんて、性に合わない。
それより、体を使って働くほうがいい」。
 進路が決まった日の帰り道、彼はつぶやいた。
あまりにも意外で、私は返答に困り、
「そうか!」とだけ言った気がする。

 さて、そんな彼とのやり取りがあってから数日後の休日、
突然、我が家に来客があった。
 ネクタイに背広と和服姿のご夫婦だった。

 丁度、父母と私だけがいた。
狭い2間きりの家だった。
 2人を招き入れると、
母は、私にどこか外にいるようにと言った。
 私は、家の前の広場にあったシーソーに、
腰掛けて待つことにした。

 2人が彼のご両親だと気づいたのは、
10分か20分して我が家からの帰りに、
シーソーの私の前を通ったときだった。

 私は2人に軽く会釈した。
すると、立ち止まったおばさんが、
「渉チャン、よろしくお願いします」と、
ていねいに頭を下げた。
 その声と顔に見覚えがあった。
 
 急ぎ、我が家に戻った。
父も母も、珍しく神妙な顔をしていた。
 母は、やや高揚した表情で、
「あんたのことを頼ってきたのよ」と言い。
 父は、いつも以上に難しい声で、
「重たい役目だけど、ご両親の気持ちに応えてあげなさい」と。

 子どもがいなかった2人は、
1歳にも満たない彼を養子とし、家族になった。
 それは、ご両親だけの秘密だった。

 高校卒業後、彼を進学させようと考えていた。
しかし、家を出て働くと彼は決めた。

 秘密はやがてわかることになる。
ならば、この機会に知らせようと、ご両親は考えた。
 しかし、自らそれを切り出すことができなかった。

 なぜ、その白羽の矢が私だったのか。
父母も聞いてなかった。
 私も考えがつかなかった。

 誰にも相談できず、1週間ほど悩んだ。
そして、誰もいない放課後の教室で彼と待ち合わせた。

 彼の両親が、きちんとした服装で訪ねてきたことから、
父母を通して私が知ったことまでを、
ありのままに順を追って、彼に話した。
 いつだって穏やかな表情の彼だ。
だから、私の話も最後まで静かに聞いてくれた。

 「そんなことかもと思ったこともあったけど、
やっぱりそうだったか」。
 やや気落ちした表情を、今も覚えている。

 しばらく間をあけてから、彼は私を直視した。
「これからも僕の親はあの2人だ。
でも、ワタルよ。本当の親は誰なんだ。
どこでどうしているんだ」。
 全てを言い終え、ホッとしていた私は即答した。
「知らない」。
 急に彼の顔が豹変した。
あんな厳しい人の表情を見たことがなかった。

 そして、次のひと言を、私は生涯忘れられなくなった。
頼まれごとに慎重になる私の原点である。

 「そんな大事なことを知らないで、
ワタルは話したのか」。
 彼の胸の内を察すると、当然の怒りだとすぐに気づいた。
想いが至らなかった。 
 「ごめん!」。
頭を上げることができなかった。 

 その夜、彼は私から伝え聞いたことをご両親に話した。
そして、変わりない家族でいつまでもいた。

 20年も過ぎた頃、
久々に彼と顔を合わせる機会があった。
 いっぱい酌み交わしながら、
突然、小さい声で彼が耳打ちした。
 「この前、本当の両親にはじめて会ったよ。
ワタル、心配してるかなと思って」。
 ずっとタブーにしていたことだった。
「ありがとう。よかった」。
 私は小声でしか言えなかった。




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