右手の痛みと痺れ、麻痺が少しでも和らいでほしい。
そんな思いで、月1、2回の日帰り温泉通いが続いている。
よく行くのは、車で30分程のT温泉である。
大浴場は、一面の大きなガラス張りで、
晴れた日は噴火湾の大海原がキラキラと輝いてまぶしいくらい。
特に、冬のこの時期は日射しが、広い浴場の奥まで届き、
より一層開放的な温泉にしてくれている。
いつものように入浴後は、
その温泉の食堂で、お気に入りの醤油ラーメンを注文し、席に着いた。
その日、珍しく家内が雄弁だった。
女湯で見た素敵な出来事を、私に教えてくれた。
大浴場に入ると、10名前後がそれぞれ湯舟につかったり、
体を洗ったり、洗髪したりしていた。
入ってすぐの円いジャグジーのついた浴槽のそばで、
お年寄りが一人座り込み、手桶でその浴槽の湯を汲み、体にかけていた。
そして、また湯を汲み体にかける。
何度も何度も、それを繰り返していた。
家内はちょっと気になったが、
横を素通りし、大きなガラス張り近くの広い浴槽に入った。
しばらくして、後から浴場に入ってきた40歳過ぎの方が、
ジャクジーのそばのそのお年寄りに声をかけた。
「お婆ちゃん、どうしたの。お風呂、入らないの。」
「足が悪いから、入れないんじゃ。ころんだら、大変じゃろ。」
「あら。」
「いつも、こうして温泉かけて、温まっているんじゃ。」
「お婆ちゃん、入れてあげようか。」
「………。」
「大丈夫! 私ね、介護士の資格もっているよ。
毎週2、3回は入浴の介護してるから、安心して。」
二人の会話を家内は、浴槽につかりながら背中で聞いていた。
「お婆ちゃん、お風呂に入れて、どう。
私、S子と言います。お風呂から出たくなったら、呼んでちょうだい。
あそこで、体洗っているから。」
「ありがとう。やっぱり、気持ちいいわ。」
それから、どれくらいしてからだろうか、
S子さんを呼ぶお婆ちゃんの声がした。
「今、行くからね。待ってて。」
S子さんは、急いで体の石けんを流し、
お婆ちゃんの所に行った。
そして、お婆ちゃんが浴槽から上がるのを手助けしながら、
「お婆ちゃん、私は毎週火曜日のこの時間は、ここに来てるから、
その時ならお風呂に入れてあげれるから、おいで。」
「いいの。すまないね。」
「かまわないよ。」
その後、二人の会話は次第に遠くなり、家内には聞き取れなかった。
だが、ガラスの向こうの真冬とは裏腹に、
明るい日射しと温かい温泉のゆっくりと流れる湯煙の中で、
その大浴場にいた人みんなの、
心までをも温もりで包んでいたのではないだろうか。
移住して3回目の正月を迎えた。
新天地での暮らしは、今も様々な驚きを私にくれる。
そして、その多くは私の心を熱くし、
今日を生きるエネルギーに変えてくれている。
ところが、
「したっけさ」 「なして」 「そうだも」 「だめだべさ」等々、
耳慣れない北の言葉に、時として心がざらつく時がある。
やがて慣れるのだろうが、
私にはその言葉の数々が荒々しいものに聞こえ、
言葉の主まで雑な人のように思えていた。
しかし、家内から聞いた
お年寄りと入浴を手助けする女性のやり取りは、
まさに北の女性の真骨頂。
人肌の温もりまで、私に伝えてくれた。
真冬でも竹は緑色(伊達ならではかな)
そんな思いで、月1、2回の日帰り温泉通いが続いている。
よく行くのは、車で30分程のT温泉である。
大浴場は、一面の大きなガラス張りで、
晴れた日は噴火湾の大海原がキラキラと輝いてまぶしいくらい。
特に、冬のこの時期は日射しが、広い浴場の奥まで届き、
より一層開放的な温泉にしてくれている。
いつものように入浴後は、
その温泉の食堂で、お気に入りの醤油ラーメンを注文し、席に着いた。
その日、珍しく家内が雄弁だった。
女湯で見た素敵な出来事を、私に教えてくれた。
大浴場に入ると、10名前後がそれぞれ湯舟につかったり、
体を洗ったり、洗髪したりしていた。
入ってすぐの円いジャグジーのついた浴槽のそばで、
お年寄りが一人座り込み、手桶でその浴槽の湯を汲み、体にかけていた。
そして、また湯を汲み体にかける。
何度も何度も、それを繰り返していた。
家内はちょっと気になったが、
横を素通りし、大きなガラス張り近くの広い浴槽に入った。
しばらくして、後から浴場に入ってきた40歳過ぎの方が、
ジャクジーのそばのそのお年寄りに声をかけた。
「お婆ちゃん、どうしたの。お風呂、入らないの。」
「足が悪いから、入れないんじゃ。ころんだら、大変じゃろ。」
「あら。」
「いつも、こうして温泉かけて、温まっているんじゃ。」
「お婆ちゃん、入れてあげようか。」
「………。」
「大丈夫! 私ね、介護士の資格もっているよ。
毎週2、3回は入浴の介護してるから、安心して。」
二人の会話を家内は、浴槽につかりながら背中で聞いていた。
「お婆ちゃん、お風呂に入れて、どう。
私、S子と言います。お風呂から出たくなったら、呼んでちょうだい。
あそこで、体洗っているから。」
「ありがとう。やっぱり、気持ちいいわ。」
それから、どれくらいしてからだろうか、
S子さんを呼ぶお婆ちゃんの声がした。
「今、行くからね。待ってて。」
S子さんは、急いで体の石けんを流し、
お婆ちゃんの所に行った。
そして、お婆ちゃんが浴槽から上がるのを手助けしながら、
「お婆ちゃん、私は毎週火曜日のこの時間は、ここに来てるから、
その時ならお風呂に入れてあげれるから、おいで。」
「いいの。すまないね。」
「かまわないよ。」
その後、二人の会話は次第に遠くなり、家内には聞き取れなかった。
だが、ガラスの向こうの真冬とは裏腹に、
明るい日射しと温かい温泉のゆっくりと流れる湯煙の中で、
その大浴場にいた人みんなの、
心までをも温もりで包んでいたのではないだろうか。
移住して3回目の正月を迎えた。
新天地での暮らしは、今も様々な驚きを私にくれる。
そして、その多くは私の心を熱くし、
今日を生きるエネルギーに変えてくれている。
ところが、
「したっけさ」 「なして」 「そうだも」 「だめだべさ」等々、
耳慣れない北の言葉に、時として心がざらつく時がある。
やがて慣れるのだろうが、
私にはその言葉の数々が荒々しいものに聞こえ、
言葉の主まで雑な人のように思えていた。
しかし、家内から聞いた
お年寄りと入浴を手助けする女性のやり取りは、
まさに北の女性の真骨頂。
人肌の温もりまで、私に伝えてくれた。
真冬でも竹は緑色(伊達ならではかな)
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