ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『児童文化手法』の開発と普及

2015-08-14 19:59:45 | 教育
 私は、平成17・18年度に東京都小学校児童文化研究会の
第16代会長を務めさせてもらった。
 その後は、顧問として現職メンバーの後押し役をしている。
本会は、平成22年度に創立50周年の節目を迎えた。

 さて、この児童文化研究会であるが、
全国的にはまだまだ十分なネットワークが出来上がってはいない。
 歴代会長の一人が、
「いつかはメジャーな研究会に。」と強調した程である。
 しかし、毎年開催する研究大会には、
500名を越える参加者があり、
その注目度や期待感は衰えを知らない。

 本会の第一の目標は、
私たちが提唱する『児童文化手法』を有効活用した授業の
開発とその普及にある。

 過去に私が記した児童文化手法についての文を付す。
 多少なりとも理解の一助になればと願っている。


 ① 授業の魅力と児童文化手法

 21世紀の中核を生きる児童には、
「生きる力」を育むことが重視されている。
 そのために、学校には、
どの子にも基礎・基本の定着を完全なものにすると共に、
自ら学ぶ意欲や思考力・判断力・表現力などの
資質や能力を伸ばすことが求められている。
 これには、くり返しくり返し学習する授業とあわせて、
教師には、児童にとって魅力ある授業の構築が求められ、
課題になっている。

 一口に魅力ある授業を定義づけることは難しいが、
私は3つの要素を上げたい。
 その一つ目は、その授業の目標(めあて、課題)が、
児童にとって魅力あること。
 二つ目は、その授業での学習方法(展開、手法、形態)が、
児童にとって魅力あること。
 三つ目は、その授業で共に学習するメンバー(クラスメイト、教師)の
全員あるいは一部に、児童が魅力を感じること。
 この3つの要素の1つでも児童が感じた時、
児童にとってその授業は魅力的なものとなり、
興味関心が喚起され、意欲は高揚するのである。

 さて、授業の魅力と児童文化手法についてである。
 多種多彩な児童文化手法は、
その授業の目標を児童自身のものとして感じ取り、
課題意識へ高めていくことに大いに活用できる。

 例えば、道徳の時間で題材となりうる説話を、
“パネルシアターを使って行う。”
あるいは“素話の手法を取り入れる。”“腹話術を使う。”

 これらの手法を授業の冒頭に取り入れることにより、
児童には、より明確な目標(課題意識)を示すことができる。
併せて、児童はその説話に入り込み、
課題を自らのものとして受け止めることができる。
 魅力的な目標に迫ることができるのである。

 そして、様々な授業でその学習の成果を、
“見立て劇の手法を活用して発表する。”
“ペープサートや紙芝居を使う。”
“ゲームや手品を取り入れ”楽しい雰囲気で発表する。

 これらの手法を活用することは、
児童に、発表することそのものへの魅力を感じさせることになる。
 さらには、学習の道筋を明瞭なものにする手助けにもなるのである。
つまり学習方法に魅力が加わると言える。

 また、いろいろな学習展開の節目節目の児童活動での、
“劇的な表現を取り入れる。”“群読の手法を活用する。”
“ゲームで理解度を試す。”“リズムダンスをしてみる。”等々の、
児童文化手法は、教科や単元の特性に応じて
あらゆる場面で活用できる。
 これが、学習方法、授業展開に豊かさをもたらし、
楽しく学習することに結びつくのである。
 児童に学習の魅力を感じ取らせることになる。

 言うまでもないが、児童文化手法は教育技術である。
教師は、その技術を習熟すればする程、
授業での有効活用は広がる。
 児童に魅力ある授業を提供することができるのである。

 児童に魅力的な授業を提供する教師を、
児童はともに学習するメンバーの一員として
魅力を感じるのは当然のことである。


 ② 児童文化手法とその活用

 子どもが主体的に学習に取り組むためには、
学習に対する極めて純粋な意欲あるいは動機が必要になる。

 教師に褒められたいから、認められたいから、
あるいは叱責を受けるから、だから課題に取り組む。
 このような外的刺激からの動機によって進められる学習は、
その働きかけが失われてしまえば、
学習への意欲も同時に消えてしまうことになる。
 いわゆる外発的動機づけでは、
真の主体的な学習は実現しない。

 自然や社会の様々で具体的な事象を捉え、
『不思議だ』『何故だろう』
『知りたい』『やってみたい』
と言った、子どもの内なるところから発せられる知的好奇心、
そして、それに導かれて得られた達成感や成就感が、
真の学習への意欲であり、動機となるのである。
 この内発的な動機づけが、主体的に学習する子どもの姿を
実現する原点である。

 さて、児童文化手法についてである。
児童文化手法は、教師が習得する教育技術の1つである。

 『人形劇、朗読劇、劇遊び、ごっこ劇、
朗読、群読、影絵、紙芝居などの劇的表現活動。    
 語り聞かせ、読み聞かせ、口演童話、
腹話術、子ども落語など話術による活動。
 体育での身体表現、創作ダンス、民舞、
和太鼓などの体育的表現。
 パネルシアター、エプロンシアター、
ペープサート、手品などの表現活動』などが、
代表的な児童文化手法として上げられる。

 これらは各教科・領域の学習の中に、
教師の様々なな指導の工夫として
有機的に取り入れられ、子供たちに示されている。
 また、子供たち自身が、これらの手法を
学習の到達段階での成果を表現する方法として用いたりもする。

 本来、児童文化手法は前述したように、
教師の教育技術として開発・発展してきたものである。
言い換えるなら、大人から子どもに提供された手法であった。
 しかし、今日の学習においては子ども自身がその手法を自らのものとし、
それを積極的に活用し、自己を表現する手法になってきている。

 子どもの内発的な学習への意欲・動機づけ、
そして、その興味関心の持続をより確かなものにするため、
児童文化手法は有効な手段なのである。
 それは、この間の教育改革と、
その実践として進められている授業改善のうねりの中で、
実証されてきた。

 くり返しになるが、
自然や社会の事象を示し、それへの内発的な意欲・動機づけには、
単にその事象を言葉や映像で
コミニュケーションを図るだけでは物足りない。
 児童文化手法は、児童に豊かなコミュニケーションを提供し、
児童自身が実感をもってそれらの事象を捉え、
鮮明な課題意識とその持続を保証するものである。
 その手法は子どもの手を通し、
あるいは教師と子どもの共同した営みを通し、
さらに工夫と広がりを見せようとしている。





 北竜町の『ひまわりの里』   「凄い!」の言葉だけ

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