ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

心豊かでありたいと

2019-05-18 20:12:35 | 思い
 周囲の悪弊に、心冷えることがある。
だからなのか、とても古い出来事が思い出された。

 教職について6年が過ぎ、最初の人事異動があった。
だから、もう40年以上も前のことだ。

 着任初日、職員会議があった。
新年度の校務分担が、案件だった。
 その冒頭、企画委員の選挙が始まった。

 私は戸惑っていた。
職員会議に次ぐ機関として、
企画委員会があることは承知していた。
 しかし、その委員を選挙で決めるなど、
聞いたことがなかった。

 選挙管理委員が配った投票用紙には、
4名の氏名を書く欄があった。
 私は誰の名前も書かず、投票箱にその用紙を入れた。
その後、投票結果が発表になり、企画委員4名が決まった。
 
 ところが、選挙管理委員の先生が強い口調で言った。
「企画委員を決める重大なこの選挙に、
白紙投票をした人がいます。」
 「ナンセンス!」
数人が、声をそろえた。選管は続けた。
 「これは本校が勧めてきた企画委員選挙を否定するもので、
見過ごすことができません。
 白紙投票をした人は、
是非この場でその考えを述べるべきです。」
 「その通り!」「発言しろ!」
いくつもの尖った声が、職員室を飛んだ。

 私は、その剣幕にビックリしながらも、
手を挙げない訳にいかなかった。
 「すみません。先生方の名前もよくわかりませんし、
こんなやり方は初めてだったので・・。」

 再び「ナンセンス」の声が、あちこちから上がった。
「企画委員選挙の制度を軽視する行為だ。」
 「反省を求めます。」
などの声が相次いだ。

 「名前も分からないんですよ。
仕方ないですよ・・。」
 そんな風に味方する先生はいなかった。
だが、周りには表情を堅くし、
口を閉ざしている先生方がいた。

 その時だけではなかった。
機会ある毎に職員会議は紛糾した。
 管理職をはじめ1部の先生へ、
批難と攻撃が集中した。

 先生方は、いつ自分がその標的になるか、
それくらいならと、攻撃に荷担する人もいた。

 約2年間も続いた職員室のこんな雰囲気に、
いつも不快感を抱いた。
 教育の場に相応しくない。
その上、人としてのあり方に、
大きな違和感を持ち続けた。

 認め合うことより、揶揄すること。
受容するより、「ダメ出し」すること。
 理解するより、見ない振りすること。

 歩み寄ることなどはしない。
自分たちの考え以外は排斥する。
 それだけに、力をそそいでいるように見えた。

 そんな貧相な発想を、
私はどう考えても受け入れられなかった。
 決して同化されないようにしようと心した。

 そう、あれからずっとずっと、
今も、あのザラザラした言動とは、
無縁でいたいと思っている。
 明確に距離を置き続けて、今がある。

 やはり、努めて心豊かでありたいのだ。
周囲の騒音をかき消し、その道を淡々と進み続けよう。

 最近、拾った『心豊かな』種をいくつか記し、力にする。

 
 ▼ 4月の伊達ハーフマラソンは、途中棄権で終わった。
スタートからのオーバーワークで、バテてしまった。

 家内の知り合いが、マラソンコースの沿道で、
私に声援を送ってくれていた。
 その方に助けを求めた。
ご主人がマイカーで、マラソン会場まで、
送り届けてくれることになった。
 
 ハンドルを握りながら、私よりやや年長のご主人は、
リタイアで落胆している私に、話し続けてくれた。

 「走れる人が羨ましいんですよ。
もう3年前になるかな、右膝は人工関節で、
最近は左膝も痛くてね。
 そろそろ左も手術かなと思って・・。

でも、まだゴルフだけは何とかできる。
 だけど、どう頑張っても1キロも走れないさ。
矢っ張り羨ましいなあ。

 だから、私の分もなんて言わないけど、
今日に懲りずに、走れる間は走れるところまで、
いつまでも走ってくださいよ。
 羨ましがって、私見てますから・・。」

 会場近くで、何度も礼を言い車を降りた。
送り届けてくれたことへのお礼だけでなかった。
 さり気ない優しさが、ジワジワと心に浸みていた。

 ▼ 連休明けと一緒に、
洞爺湖マラソンにむけて、朝のジョギングを再開した。
 「無理をしないで・・」。
「今年は辞めにしたら・・」。
 そんな声が届く。

 「出場か否かは、その日の朝に決める。
それまでは、可能かどうか走ってみたい。」

 そう決めて、5月の風に誘われ、
一斉に花咲く野草や樹木に心寄せながら、
42キロ走破を想定し、ゆっくりと走った。

 ある朝、道端の斜面を真っ黄色に染めたタンポポのそばを
散歩するおばさんを見た。
 普段より一段と素敵に映り、走りながら一瞬ときめいた。

 そんな光景の続くある日のこと。
中学校近くの道でだった。
 まだ真新しい制服の男子3人が、横並びでやってきた。

 楽しげに会話する姿が、青空によく似合っていた。
すれ違い際に、話し声が聞こえた。
 「いくつ ぐらいだ?」
同時に、1人の子と目が合った。

 応じる必要などなかった。
なのに、春の陽気がとっさに言わせた。
 「七十一!」

 「余計なことを口走った。」
少し悔いたその時だ。
 すれ違いざまに、背中から声が届いた。

「すげーえ。ぼくのおじいちゃんより上だ。」
 「俺のじっちゃんよりもだ。すげーえ、すげー。」
 
 急に恥ずかしくなった。
振り向くことも出来ず、
それまでよりも少し足早に走って、照れを隠した。
 なのに、いつまでも笑顔が続いていた。

 ▼ 3年程前、歩いて10分程の場所に理髪店ができた。
便利なので、そこを利用している。

 ご夫婦2人で切り盛りし、
主にカットはご主人、顔そりは奥さんが担当している。

 2人とも前回の話題をよく記憶しており、
2,3ヶ月ぶりの私でも、
すぐに「マラソンだ」「ゴルフだ」と話を向けてくれる。

 まだ40歳代の2人だが、
奥さんは、結婚前まで東京八重洲口付近の美容室に、
勤務していたと言う。
 なので私とは、東京のことがよく話題になる。

 つい先日だ。
顔を剃り終えてすぐ、
「いらしたら、言おうと思っていたんですよ。
沈丁花が咲いている家があったんです。
いい匂い、してましたよ・・。」
 「この近くですか。」
「芙蓉ホールのすぐそばの家の庭です。
まだ、きっと咲いてますよ。」
 「そうですか!」
「伊達でも咲くんですね。懐かしくて、それで・・。」

 私に教えよう。その気持ちがやけに嬉しい。
そして、やや興奮気味だった懐かしさに、共感しながら、
勤務校の校門にあった沈丁花の、ほのかな香りが蘇ってきた。




   八重の桜色に 見とれて  

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